見ざる言わざる聞かざる、の修養。
四人部屋に現在三人。私より前からの八十歳、私より後からの八十歳と。
和やかだった方が退院され、部屋の雰囲気はすっかり変わってしまった。
後からの方が、術前から大騒ぎ。膝を人工関節にする手術だったが、術後の経過が悪く、ずっとぐずぐずナースコールを押す。
相変わらずベッドで電話、自分だけゼリーだけ食べて、まだ他の人が食べ始めたばかりでも、口をくちゅくちゅゆすぐ。
そして、始終、ひとりごと。心の声がだだもれで、ああ布団がずれた、とか、ちょっとそっちへ寄った、とか。痛い痛いは一日中。
それを快く思わない自分はなんて同情心のない、冷たい人間かと自己嫌悪。
だけど。
やっぱりみっともなくなかい? 大の大人が痛い痛い痛い痛いずっと弱音を吐き続けるのは。
いかんいかん、もっと冷静に、接しなければ。相手は視力がお悪いとか聞くし。ご本人がメクラだと言い訳の最後に付ける。強い近眼程度だ。
部屋でぶつぶつを聞きながら、これは中々の修行ですぞとか考えてて、ふと気づく!
もう一人のお婆さんは、耳が聞こえない。
目の見えない人と、耳の聞こえない人と。
なんかすごいことになってる??
あのことわざを思い出す。
ならば私は、言わざる担当だ。
絶対に、苦情は言わないぞと誓う。
「自分に都合の悪いこと、人の欠点や過ちなどは、見ない、聞かない、言わないのが良い」