免許証の写真

 免許更新をした。
 せわしなく進む手続きの中で、髪と襟元だけさっと整えて撮った写真。出来上がりを見てびっくり。ひょうきんな笑顔になってた。確か日本では証明写真で笑顔はダメなんじゃなかったっけ。つい笑っちゃうのは、披露宴司会をしていた職業病で、お葬式にいってもつい笑顔で挨拶してしまう。
 それにしても、私の笑顔ってこうだよなぁと今更ながらがっくりする。
 子どもの頃からの片噛みの為か、口角の上がり方が左右で違うから、口元が歪む。目は細くてタレ眼。ま、仕方ない、仕方ない。
 あらたに感じたことも。
 前回更新時より体重が落ちたのと、喋る仕事を離れて3年経つのとで、頬から顎にかけてホッソリしつつも緩んでいるという複雑な変化が。

 免許の写真でいつも思い出すことがある。
 同級生が16歳で原付免許を取った時。嬉しそうに免許証を見せてくれた。
「ちょっとこの写真見てよ、笑っちゃうよ」
 彼女らしからぬ怖い顔だった。
「だってさ、前日から教科書暗記して、朝早くから試験場行って、手続きやらテストやらで頭使って、散々時間かかって、ヘトヘトの頃に写真撮られるんだもん」
 この写真は魔除けになる、と彼女は笑った。
 免許写真は魔除け顔。あれ以来、ずっと思っている。

 この度の写真を見て、ささやかな決意を抱いた。
 5年後の更新時に、今よりいい笑顔・・・欲を言えば肌つやも今より明るく・・・を目指すゾ(笑

なぜ「あけましておめでとう」?

 年が変わることは目出度いか?
 新年早々そんな文章を目にして、ぎくっとした。 ほんとだ・・・。
 かつて ”年が経つことは死に一歩近付く” 不吉なことだと考えた僧侶もいたとか。
 新しいだけではめでたいかどうかは分からない。「おめでたい」は「めでる」を語源とする。「愛でる」は「価値がある」「優れている」ことを認めるという意味。

 だから新年が「おめでたい」と言われる為には、新しいだけでなく、来る年が、価値があって、旧年より優れていないといけないことになる。
 旧年より積み重ねてきたものの上に、調和発展した形で新しい価値を生み出してこそ、価値が加わる。
 「あけましておめでとう」は、新年を良いものにするぞという決意表明だった。

また恋をする

 ノロケや自慢ではなく、第三的な目線で、優しいひとだなぁと思う。
 時々小さな諍いはあれど、何をするのもほぼ一緒の同級生夫婦二人暮しも23年になった。子もなく、互いの親も既になく、ますます気楽な暮らしだが、齢五十を過ぎて老い先がちらちら気にかかる。

 ある60代の女性が日々を綴られたブログを愛読している。お若い頃に美術を専攻されたという、独身のとてもおしゃれな方で、早期退職を余儀なくされた後、美術展・ジム・仏像の木彫り・読書・年に一度のひとり旅などを楽しまれる傍ら、家事も丁寧にこなしておられる。数年前にお父様を亡くされ、お母様との二人暮し。
 このお母様が認知症で、日に何度となく同じ話を繰り返し、聞いたことを忘れるくらいならウンザリで済むが、何より、お金に対する執着が強く、家電が故障したり、病院にかかることを進言すると、返ってくる罵詈雑言がひどい。「あの電気温水器はまだ使えただろうに、あんたが余計な買い物をして、私の金を当てにしやがって」「金輪際病院にいかないよ、高い金を取られるだけなんだ」
 お母様が通院を嫌がるからと手を尽くして訪問診療を呼べば、「アイツラを二度と家へ入れるな、高い金をふんだくろうって魂胆だよ」と怒鳴り散らす。筆者である娘さんは参ってしまって、少しくらい体調が悪かろうがお母さんが気分良く過ごせるならばと心を決め、訪問医に事情を話して断りの電話をすれば、訪問医からは「アナタは介護者失格だ」と叱られたという。自室で声をあげて泣いた、と。

 読んでいる私でさえ辛く、同時に怖くなる。昨日休みで後ろにいた夫に、私はこのブログのことを話し、そして。
「これから年をとって、私が認知症になったら、施設に入れてね、どうせ私は分らなくなってるんだから。私絶対にボケちゃうと思うの。あなたのことを分からなくなったり、罵詈雑言を浴びせるくらいなら死んだ方がマシ。お願いね」
「大丈夫。キミはずっとニコニコしてるよ」
 これを聞いて思い出したことがある。数年前にやはり同じような事を話した。
「ね、私、アナタのことを分からなくなるのかな、なったらどうしよう」
 その時、夫は言ったのだ。
「大丈夫。たとえキミが俺を誰だか分らなくなっても、キミはきっと俺のことを好きだと思うよ」
「え、誰だか分らないままでってこと?」
「うん」
 誰だか分らなくても私は夫を見て嬉しそうに笑っているだろう、と。
 今の私は小さな事にもイライラするし、自分をロクでもない人間だと思っている。だから、夫の言葉にうろたえるほど救われる。ボケても、夫の言うようなニコニコしたお婆ちゃんでいられそうな気がしてくる。

1122の日を前にして

 夫を見送る時の気持ちって毎朝違うなぁと、ふいに思った。
 私は駅前のロータリーの一隅に停めたスクーターのそばに立ち、駅舎のエスカレーターで上っていく夫を見上げながら。それはほぼ毎朝繰り返される光景なのに、結婚してもう23年近くなるのに、今更そんなことを思う自分が可笑しかった。

 一昨日は、その前夜夫に叱られた事を私は引きずっていて、ぼんやりと夫を見上げていた。夫はいつものように手を振ってくれたのに、その日は午後まで凹んでいた。

 昨日の朝の私は、視線を結んだまま徐々に遠ざかる夫に、名残惜しいようなほの温かい感情を抱き、夫の一日の幸運を願った。

 日中それぞれの身に起きた事、夫の帰宅後から就寝まで、起床から出勤まで・・・交わした言葉、胸のうちの思い、体調などが織りなす二人の関係はヤジロベエのよう。
 いつもいつも変わらずに機嫌よく夫を見送りたいのに、23年も夫婦でいても、揺れてしまうのだなぁ。

ゆさとのお別れ 6

 純真無垢に生きたゆさに心残りなどあろう筈もなく、颯爽と帰ってしまった。
 亡くなった後の遠ざかり感が速くて、私は呆気にとられている。
 けれど、忘れられるわけではない。
 見ると辛いよなと夫が言い、ゆさのケージを私は速やかに畳み、お風呂で洗ったが、そのパーツ達は、コンパクトになっただけで、ケージのあった場所に未だに立てかけたままだ。だってどこへ片付けていいか分からない、10年以上もそこにあったのだから。
 スーパーへ買い物に行く度、もう小松菜も水菜も人参もカボチャ(種がゆさのおやつになった)も買わなくていいんだと気付いて胸が疼く。
 13年以上通ったうさぎ専門店へ行く用が無くなったと夫が嘆く。
 猫のアポロの瞳を見つめると、天界へ通じている気がして、アポロに向かってセリフを棒読みするような口調で「ゆさをかえしてくれ~」と呟いてみる。横合いから夫が「アポロに言ってもしょうがないよ」。うん、無意味なのは承知の上なんだけど、ね。
 TVにうさぎの映像が流れると、辛さと愛しさがごちゃ混ぜに湧きあがる。瞬時に泣き笑いしてしまう。
 ゆさに、f:id:wabisuketubaki:20180601124701j:plain  会いたいな。f:id:wabisuketubaki:20180601124507j:plain

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