ひとの目なんてどうでもいいの

 近所の桜並木。
 この時期は訪れる人でいっぱいなのだけれど、今年はひっそりとしている。
 見てくれる人がいないのは寂しいだろうか。
 仰ぎ見たけれど、別にそんなことはなさそうだ。むしろ伸び伸びと咲いているように感じる。
 桜並木の町に住んで十年、気付いた事がある。桜の蕾は、お正月の頃にはもう枝についているのだ、小さいが確かに。
 早くから着々と準備をし、いよいよの時期となり花を開く。
 訪れることがなくても、人々が寄せる愛着は揺るぎない、ワタシはこの世界に愛されている、この世界のすべてのものと同様に。
 桜たちは知っているのだ。
 世界を、コロナのことを憂い、応援してくれていると、そんなことを感じた。

夫婦、結び目は固く

 夫婦喧嘩のそもそもの発端なんて後から思い出せないくらい些細な事が常だ。
 が、そこから互いの在り方へと本質的な衝突を露わにしてしまうのも、常。

 TVを見ながらの他愛もない会話。
「俺、それを何回も言ってたのに聞いてないってイラッとするわ」
「ごめん」
「な、キミはよく俺に「さっき言うたやん」って怒るけど、こういうことってあるんやから」
「・・・前はこんなことなかったよね、なんでこうなるかな」
「さあ、もしかしたらお互い年のせいかもしれんし」
「私達、いつからこんなに仲悪くなったかな」
「キミはまた、そっちへ話を持って行く。で、離婚がどうのっていうんやろ。それ嫌やっていつも言うてる。話のすり替えや、問題解決になってない、その事の方が余計にイライラするわ」
「だって・・・」
 明日は休みで、せっかくまったりとTVを見ながら夕ご飯食べてたのに、あ~あ。
 夫はそれ以上喋らず、スマホを眺めたままになる。
 私は、自分が悪いんだろうけれど、もうこの状況がしんどくて、自己嫌悪もごめんだ、いっそのこと離婚されたほうが楽なんじゃないかと、夫の様子を通り過ぎざまにちらりと見る。夫はスマホで地図を見ていた。
 先に寝た。
 翌日、なんとなくぎくしゃくと始まった朝だったが、電化製品を修理に持って行く予定を立てていた夫が、頃合いになると「そろそろ行こうか」。で、支度をして車に乗り込んだ。
 私達は子どももいないせいか、98%同一行動だが、別行動になる日も来るかもしれないし、今後は有ってもいいのかもしれない。
 電気店で用件は済み、その頃には夫が普段通りの調子で会話をしている。そのことを探って確かめている自分がいる。
 お昼前で、いつもの回転寿司店へ寄るのかと思っていたら、車は高速道路へ乗った。
 どこへ行くのか不明だが、その点には触れず会話を続けた。そのうちひょっとしたら、という行き先が浮かんだ。
 20分ほどで一般道へ降りて、知らない道を走って、幹線道路を一本入ったところにある、小さくておしゃれなレストランの前にとまった。それは前々日、夫が先輩に連れてきてもらったというハンバーガーのお店だった。
 あの日、帰宅した夫に「チェーン店のファーストフードじゃないハンバーガーってどんな? 美味しかった?」と私は尋ねたのだった。
 店の前に車を停めた夫は「ここのは、軽食というより、ハンバーガーが一品料理って感じの美味しいお店だった。キミも一度食べてもいいと思って」
 夫も私もグルメ情報に疎いが、夫は外で働き、付き合いがある分、誰かに教えて貰ったりして良いと思ったものを私にも教えてくれる。
 ふと、前夜、スマホで地図を見ていた夫を思い出した。口論直後の黙り込んでいた時間に、私を連れて行ってやろうと、お店の場所を調べていたのだと思ったら、胸が詰まった。この夫に、私はどれほど救われ、守られているのだろうな。夫婦って複雑ですごいと他人事のように思う。

免許証の写真

 免許更新をした。
 せわしなく進む手続きの中で、髪と襟元だけさっと整えて撮った写真。出来上がりを見てびっくり。ひょうきんな笑顔になってた。確か日本では証明写真で笑顔はダメなんじゃなかったっけ。つい笑っちゃうのは、披露宴司会をしていた職業病で、お葬式にいってもつい笑顔で挨拶してしまう。
 それにしても、私の笑顔ってこうだよなぁと今更ながらがっくりする。
 子どもの頃からの片噛みの為か、口角の上がり方が左右で違うから、口元が歪む。目は細くてタレ眼。ま、仕方ない、仕方ない。
 あらたに感じたことも。
 前回更新時より体重が落ちたのと、喋る仕事を離れて3年経つのとで、頬から顎にかけてホッソリしつつも緩んでいるという複雑な変化が。

 免許の写真でいつも思い出すことがある。
 同級生が16歳で原付免許を取った時。嬉しそうに免許証を見せてくれた。
「ちょっとこの写真見てよ、笑っちゃうよ」
 彼女らしからぬ怖い顔だった。
「だってさ、前日から教科書暗記して、朝早くから試験場行って、手続きやらテストやらで頭使って、散々時間かかって、ヘトヘトの頃に写真撮られるんだもん」
 この写真は魔除けになる、と彼女は笑った。
 免許写真は魔除け顔。あれ以来、ずっと思っている。

 この度の写真を見て、ささやかな決意を抱いた。
 5年後の更新時に、今よりいい笑顔・・・欲を言えば肌つやも今より明るく・・・を目指すゾ(笑

なぜ「あけましておめでとう」?

 年が変わることは目出度いか?
 新年早々そんな文章を目にして、ぎくっとした。 ほんとだ・・・。
 かつて ”年が経つことは死に一歩近付く” 不吉なことだと考えた僧侶もいたとか。
 新しいだけではめでたいかどうかは分からない。「おめでたい」は「めでる」を語源とする。「愛でる」は「価値がある」「優れている」ことを認めるという意味。

 だから新年が「おめでたい」と言われる為には、新しいだけでなく、来る年が、価値があって、旧年より優れていないといけないことになる。
 旧年より積み重ねてきたものの上に、調和発展した形で新しい価値を生み出してこそ、価値が加わる。
 「あけましておめでとう」は、新年を良いものにするぞという決意表明だった。

また恋をする

 ノロケや自慢ではなく、第三的な目線で、優しいひとだなぁと思う。
 時々小さな諍いはあれど、何をするのもほぼ一緒の同級生夫婦二人暮しも23年になった。子もなく、互いの親も既になく、ますます気楽な暮らしだが、齢五十を過ぎて老い先がちらちら気にかかる。

 ある60代の女性が日々を綴られたブログを愛読している。お若い頃に美術を専攻されたという、独身のとてもおしゃれな方で、早期退職を余儀なくされた後、美術展・ジム・仏像の木彫り・読書・年に一度のひとり旅などを楽しまれる傍ら、家事も丁寧にこなしておられる。数年前にお父様を亡くされ、お母様との二人暮し。
 このお母様が認知症で、日に何度となく同じ話を繰り返し、聞いたことを忘れるくらいならウンザリで済むが、何より、お金に対する執着が強く、家電が故障したり、病院にかかることを進言すると、返ってくる罵詈雑言がひどい。「あの電気温水器はまだ使えただろうに、あんたが余計な買い物をして、私の金を当てにしやがって」「金輪際病院にいかないよ、高い金を取られるだけなんだ」
 お母様が通院を嫌がるからと手を尽くして訪問診療を呼べば、「アイツラを二度と家へ入れるな、高い金をふんだくろうって魂胆だよ」と怒鳴り散らす。筆者である娘さんは参ってしまって、少しくらい体調が悪かろうがお母さんが気分良く過ごせるならばと心を決め、訪問医に事情を話して断りの電話をすれば、訪問医からは「アナタは介護者失格だ」と叱られたという。自室で声をあげて泣いた、と。

 読んでいる私でさえ辛く、同時に怖くなる。昨日休みで後ろにいた夫に、私はこのブログのことを話し、そして。
「これから年をとって、私が認知症になったら、施設に入れてね、どうせ私は分らなくなってるんだから。私絶対にボケちゃうと思うの。あなたのことを分からなくなったり、罵詈雑言を浴びせるくらいなら死んだ方がマシ。お願いね」
「大丈夫。キミはずっとニコニコしてるよ」
 これを聞いて思い出したことがある。数年前にやはり同じような事を話した。
「ね、私、アナタのことを分からなくなるのかな、なったらどうしよう」
 その時、夫は言ったのだ。
「大丈夫。たとえキミが俺を誰だか分らなくなっても、キミはきっと俺のことを好きだと思うよ」
「え、誰だか分らないままでってこと?」
「うん」
 誰だか分らなくても私は夫を見て嬉しそうに笑っているだろう、と。
 今の私は小さな事にもイライラするし、自分をロクでもない人間だと思っている。だから、夫の言葉にうろたえるほど救われる。ボケても、夫の言うようなニコニコしたお婆ちゃんでいられそうな気がしてくる。