見つめる

 ただいまを言う気力のないほど、夫が沈んでいることがある。

 その訳を、口に出したくない場合やはっきりした出来事ではないものの気がふさぐ日もあって。

 

 夫の帰宅時間は日によってまちまちで、会社を出たタイミングもしくは会社最寄り駅からラインをくれる。そこからわたしは台所で夕拵えをしつつ頃合をはかり、玄関の鍵を開け、門灯を灯しておく。扉の開く音が聞こえたら玄関へ小走りに出迎える。おかえりなさい。

 ただいまといつもなら返してくれる夫が無言で、伏し目がちに靴を脱ぐ。

 たちまちわたしは動揺する。いったい今日は会社でどんな困難があったのか、何か酷く嫌なことを言われたのか。あるいはもしや今日こそついにわたしに愛想が尽きたのか。

 恐ろしくて、訊かずにはいられない、ねえどうしたのと。

 しかし夫の口は重く、打ち明けない。それがわたしを益々震え上がらせ、追及を重ねる。それでも夫は黙ったまま、食卓の空気は強張ったままに夜が更ける。わたしには耐え難く、時に破れかぶれになって夫へ言い募り、世界を凍りつかせてしまう。

 背を向け合った蒲団の中で、例えばわたし達夫婦に子どもがいたら、こんなにがっぷりぶつかることも許されず、感情はうやむやながら、ケンカみたいな状態に陥らずに済んだのかしらなどとウジウジ思い煩う。

 さて月日は流れ結婚27年、近頃ようやく、見てみぬフリを体得した。それは、自分自身への諦めや夫への執着の薄らぎという負の側面も孕みながら、同時にわたしの成長の証しでもあるし、何より夫にとってそのほうが楽であろう。

 帰宅した夫の返事がなかろうが、今日は午後から冷えたねぇだの、お隣の改築工事の音が凄かったのよぅだの、アポロ(我が家の猫)ったら朝から外へ行ったままなのよだの喋り続け、「すぐにごはんにするね」と台所へ下がる。

 バラエティ番組を流しながら食事をするうち、幾分夫の気もほぐれて、床につき、翌朝はリセット状態に。

 

 その夜は、食後に夫が口を開いた。同僚の八つ当たりで投げつけられた言葉と、別の同僚が夫の言葉を誤解してヘソを曲げ、喋らなくなってもう半月になること。後者はこれまで仲の良かった人物だけに、言い訳も受け付けない態度にわたしは驚いてしまった。半月も、そんな苦い思いを夫は抱えていたのかと今更辛くなった。

 夫にとって何の解決にもならないけれど、夫の内心を知れてわたしは良かった。翌朝も、夫はひょうひょうと出勤支度を整えたけれど、その背をわたしは祈りながら見送る。強い人。がんばらないでがんばって。

 すべての人の背に、祈りが注がれているということか。

今年はどんな年になるでしょう

 年が改まって早や松の内も過ぎようとしています。

 新年の挨拶がどうも芝居じみて感じられ、子どもの頃から苦手な私ですが、今年はそれだけでなく、元日に起こった能登地震を思うと「あけましておめでとう」とは言い難く、29年前に遭った阪神淡路大震災が思い出されます。

 避難所や復旧しない電気水道で不自由なさっている方が一刻も早く暮らしを取り戻されますよう願っています。

 

 唐突ですが、近頃私は時代に逆行するような考えに至っています。

 答えは一つじゃない、様々な意見があっていい、とは以前から言われていましたし、特にここ数年は多様性を認めるべきと声高に叫ばれるようになっています。

 が。

 誰の目から見ても正しい答え、理想の正解、心地よい終着点は、実は、たった一つなんじゃないか、と思うのです。

 事象ごとに状況は違い、移ろいにもバリエーションあれど、それぞれに相応しい答えは一つ・・・それを真理と呼ぶのでしょうか。

 ・・・あ、大風呂敷広げたみたくなりましたが、ただの私の言い訳かも^^;答えがいっぱいあってもいいと言われちゃうと、目指す先が一つじゃないと、迷って迷って進めないものですから。

駆け足で

 季節はゆっくり移ろったりなんかしない。

 これは私の持論です。十月になっても夏日が続いていたのに、月を跨いだ途端、初雪の便りが聞かれて。

 

 五月に複雑骨折した肩、退院後に通院で続けていたリハビリも、ほぼ元の通りに動くようになり、十月の半ばで終わりました。

 最後の日、リハビリルームのスタッフの方から「寂しくなります、どうぞお元気で」と言われ、胸が詰まりました。お世話になったこの病院を卒業する、そんな気持ちで、帰り道しょんぼりとしてしまいました。

 病院に愛着を覚えるというのもヘンなハナシですが、スタッフの皆さんが適度に大らかな距離感で接してくれるこの病院が好きです。まあ、こんなことを言えるのも、私が怪我で入院し、快方に向かうことが前提だからでしょう。内科の厄介な病気との闘いだったら又違っている筈。

 一年間に二度も骨折し、右肘と左肩に金属プレートが入り、これを取り出すまでそれぞれ一年半ずつ。それまでは仕事もバイクも控えて家にいて、ゆっくり体力を戻すようにと夫に言われ、毎日の家事と買い物だけという後ろめたいほど気楽な日々を送っています。

 日曜日のお昼前、繁華街、前を歩く女性に同業者(今、私は無期限休職中ですが)の匂いを感じました。黒のワンピース、黒のボレロ、黒のパンプス。しかし喪服ではない華やかなデザイン。バッグは、大きくカッチリしたトートバッグ、A4ファイルが収まるサイズ。女性は披露宴の出席者ではなく司会者でしょう。バッグの中には披露宴の進行表や資料、ペンケースが入っている筈。

 この近くなら会場はあのホテルかな。彼女同様、私も数年前までは週末になると幾つかの披露宴会場へ向いました。

 仕事から遠ざかった今は、元々人見知りで引っ込み思案だった自分が、マイクを持って人前に立っていたことが嘘のようです。すっかり臆病で小心に戻ってしまいました。それでも、職業柄の訓練で身についたスイッチがあり、初対面の人と話せるようになっています。買い物帰りに乗ったバスで、隣に座った高齢のご婦人に話しかけられ、会話が続きます。

 私がバスを降りるまでの五分強の間に、その方が、八十五歳であること、来年のカレンダーを買いたかったのに買い物カートがいっぱいで諦めたこと、カレンダーには通院の予定などが書き込めるよう大きく、数字だけのシンプルなものが好ましいこと、二十七歳から七十歳まで喫茶店を営んでいたこと、本を読むのが好きでそのせいか若い時から近眼と乱視だったこと等々伺いました。

 休職しているうちに私も五十五歳。この先復職することはないかも。それでも一つ、まだ続いている仕事があります。もう十年以上になる、あるバレエスクールの公演のアナウンスです。一年半ごとに行われる発表会は、まだよちよちのベビークラスの演目に始まり、後半は他のバレエ団から客演を招いての作品が上演されます。四部構成、ほぼ四時間かかる舞台の、私は幕毎に出演者の名前を紹介します。その緊張感たるや。今年は年末にその舞台を控えていて、考えると逃げ出したくなるほど怖い今日この頃です。

 もう冬の入り口。クリスマス、お正月に向けて街は華やいでいくと同時に寒さも募ってきます。体調に気をつけて毎日を送っていきましょう!

あの場所でだけは、まだ、

 うそを選んでしまった。

 たっぷり白いケープの中で、シザーのさきさきと軽快なリズムに寛いでいると、束の間途切れていた会話が再開されて。

「うさちゃんはお元気ですか」

 わたしはうろたえて、膝の上に開いていた雑誌から視線を上げた。鏡の中のリエさんは櫛で掬い上げてはわたしの髪をシザーで梳かし、口元には笑みを浮かべていた。

 うさぎは、もう、三年前の秋に死んでいた。十三才まで生きた長寿のオスのうさぎだった。毛の色は明るい茶色、気性がとても大らかなのが自慢だったから、わたしはここでも時々話題にしたし、亡くなった時も言わずにはいられなかった。

 美容師のリエさんには十五年以上もお世話になっている。彼女が前のお店のスタイリストだった時に担当してもらい、まもなく独立して店長になったお店は、わたしの住む町から電車で二十五分、明らかに生活圏外だが、その距離が気にならないくらいわたしはリエさんに頼りきっていた。

 まず、腕前。どんな注文をしても期待以上のスタイルに仕上げてくれ、ショートカットでも後頭部や裾の髪が跳ねたりせずに手櫛で綺麗に収まる。

 併せて、人物。常にアンテナを巡らせ、技術はもちろんシャンプーやパーマ剤といった薬剤に至るまで、より良いものをいち早く取り入れる行動力と、その成果をより多くの人へ還元したいという意欲はもはや人類愛レベル。

 プライベートではオーガニックレストランシェフのご主人と幼い二児との家庭があり、リエさんは心身共にフル稼働させて生きている。

 膨大な数の顧客と日々交わす会話量を思えば、むしろ、三年間口にしていない我が家のうさぎを覚えていてくれたことのほうに感激すべきだろう。

 この場の空気を湿らせたくない。

「おかげさまで元気にしてます」

 そういうことにしてしまった。

「可愛いでしょうねぇ」

「はい、うさぎは懐かないなんて言いますけど、うちのコはわたしが呼んだら走ってきますよ」

「え、放し飼いにしてるんですか」

「ケージに入れてるんですけど、一日に三十分くらいは部屋の中で運動させるんです。わたしの周りをぐるぐる走ったりして遊ぶんですよ」

 虚ろな言葉を繋ぐうち、在りし日のウサタロウの感触が蘇ってきた。

 この店で、ウサタロウはまだ生きている。生き続けられる。

 

 なんだか嬉しくなってきちゃってさと、夜、帰宅した夫に話すと、夫はネクタイを解く手を止めた。

「ダメだよ、そんな嘘ついちゃ」

 わたしを見る目が少しだけ困惑していた。

「そっか、ダメだったか」

 弱ったな、どうしよう、今更本当のこと言えないし、今度カットに行ったらウサタロウは最近亡くなったことにしようかなと返した。

 夫がコンタクトレンズを外しに洗面所へ向ったのを潮にわたしも台所へ立った。今後、美容院で話題に上らなければ、言いつくろう必要もないし、言わない限りウサタロウは生きている、と思うとやっぱり嬉しいのだけれどダメだろうか。

五十なんてほんと鼻タレ小僧もいいとこ!

 呑気なハナシでごめんなさい(^▽^;

 家に居ることが多く、昼下がりの再放送ドラマをよく見てます、『相棒』とか。

 唐沢寿明さん主演『白い巨塔』が久々に放映されてて、今回しみじみ思ったことがありました。

 ・・・絶対的正義なんてないんだなぁ・・・です。

 どの立場から見るかで違ってくる。100%の悪人もいないし、完璧な善人もいない。

 財前教授は独善的ですが、高度な医療技術で癌などの病を克服したい、それを実現するための権力と名声が欲しかった。つまり欲望のスタートは、人の命を救いたいというもの。対する里美助教授は、患者に寄り添う心のケアに重点を見出し、信念を貫きますが、大学病院の圧力を跳ね返す力はありませんから、結局患者を救いきれない。

 

 そういえば、四十代になって『ガンダム』を見た時、夫と顔を見合わせたのは、

 ・・・シャアって、こんなに格好悪かったっけ??・・でした。

 ファーストガンダムを初めて見たのは中学生の頃でした。シャアと言えば、赤い彗星、クールでダントツ格好いいキャラだと覚えていましたが、社会人になって見ると、冷たいわ、部下を見殺しにするわ、裏切り者だわ、僻みっぽいわ、自分勝手だわ・・・ とことん情けない男でした。

 

 夫が近頃よく口にし、心掛けようとしているのが、

 ・・・正しいことこそ控えめに・・・です。

 正義は時に人を傷つける。身勝手でも素直さが受け入れられることもある。

 正義より愛、優しさのほうが重要。そんなことを近頃よく考えています。

 なかなか実行できないんですが(^▽^;