あの場所でだけは、まだ、

 うそを選んでしまった。

 たっぷり白いケープの中で、シザーのさきさきと軽快なリズムに寛いでいると、束の間途切れていた会話が再開されて。

「うさちゃんはお元気ですか」

 わたしはうろたえて、膝の上に開いていた雑誌から視線を上げた。鏡の中のリエさんは櫛で掬い上げてはわたしの髪をシザーで梳かし、口元には笑みを浮かべていた。

 うさぎは、もう、三年前の秋に死んでいた。十三才まで生きた長寿のオスのうさぎだった。毛の色は明るい茶色、気性がとても大らかなのが自慢だったから、わたしはここでも時々話題にしたし、亡くなった時も言わずにはいられなかった。

 美容師のリエさんには十五年以上もお世話になっている。彼女が前のお店のスタイリストだった時に担当してもらい、まもなく独立して店長になったお店は、わたしの住む町から電車で二十五分、明らかに生活圏外だが、その距離が気にならないくらいわたしはリエさんに頼りきっていた。

 まず、腕前。どんな注文をしても期待以上のスタイルに仕上げてくれ、ショートカットでも後頭部や裾の髪が跳ねたりせずに手櫛で綺麗に収まる。

 併せて、人物。常にアンテナを巡らせ、技術はもちろんシャンプーやパーマ剤といった薬剤に至るまで、より良いものをいち早く取り入れる行動力と、その成果をより多くの人へ還元したいという意欲はもはや人類愛レベル。

 プライベートではオーガニックレストランシェフのご主人と幼い二児との家庭があり、リエさんは心身共にフル稼働させて生きている。

 膨大な数の顧客と日々交わす会話量を思えば、むしろ、三年間口にしていない我が家のうさぎを覚えていてくれたことのほうに感激すべきだろう。

 この場の空気を湿らせたくない。

「おかげさまで元気にしてます」

 そういうことにしてしまった。

「可愛いでしょうねぇ」

「はい、うさぎは懐かないなんて言いますけど、うちのコはわたしが呼んだら走ってきますよ」

「え、放し飼いにしてるんですか」

「ケージに入れてるんですけど、一日に三十分くらいは部屋の中で運動させるんです。わたしの周りをぐるぐる走ったりして遊ぶんですよ」

 虚ろな言葉を繋ぐうち、在りし日のウサタロウの感触が蘇ってきた。

 この店で、ウサタロウはまだ生きている。生き続けられる。

 

 なんだか嬉しくなってきちゃってさと、夜、帰宅した夫に話すと、夫はネクタイを解く手を止めた。

「ダメだよ、そんな嘘ついちゃ」

 わたしを見る目が少しだけ困惑していた。

「そっか、ダメだったか」

 弱ったな、どうしよう、今更本当のこと言えないし、今度カットに行ったらウサタロウは最近亡くなったことにしようかなと返した。

 夫がコンタクトレンズを外しに洗面所へ向ったのを潮にわたしも台所へ立った。今後、美容院で話題に上らなければ、言いつくろう必要もないし、言わない限りウサタロウは生きている、と思うとやっぱり嬉しいのだけれどダメだろうか。