50年目の反抗期

 元々かなり怠惰ではあったが、近頃、急に体が重くて何もしたくなくなることがある。そんな時に限って、頭の中ではこれをしてあれも済ませてそれを片付けなきゃと分かっているから、余計に追い込まれる。

 この心身の重さはもしやウツでは…と思った次の瞬間、いやいや自分でウツを疑った時点でウツではない、まだ余裕があるのだろうと苦笑いをこぼした。

 それにしてもこの一年ほどは色々あった。まず昨春の手術と入院、昨秋に父が亡くなり、今年5月に義父が亡くなった。その間の諸々もあるし、義父は、寝床で息を引き取っていたのを発見したのが私だから、自分では平気だったつもりでも意外とショックを受けていたのかも…なんて、逃げ口上にイチオウ挙げてみる。

 或いは、私、今頃になって父への反抗期なのかも。

 というのが、夫に叱られるのがとてもこたえるようになった。私が悪いのだけれど、反省を通り越し、自分に愛想が尽きて、辛くて情けなくて。もう怒られたくない。それで、詫びの言葉の次に出るのが、
「私には無理、アナタの奥さんは務まらない、自分が嫌になる、アナタを100%怒らせない若くて良い奥さんを探して」。

 夫にすれば何を極端な事をと驚くし、夫婦喧嘩だと思うだろう。けれど私には亡くなった父への反発が思い当たるのだ。

 父は昭和一桁生まれの雷親父で、手こそ上げないが、何かにつけ厳しく叱られた。勿論口答えなど許されない。幼い頃はそれでよかったが、私も成長につれ、父の言い分の間違いや偏見にも気がついてくる。それでも父が絶対だった。そして結婚前には夫との交際を反対され、ようやく結婚を認められた後も、何か父の気に障ることがあると「結婚式には出ないぞ、親が出席しない結婚式なんて出来ないだろう、お前の結婚をぶち壊すことだってできるんだ」と脅された。あの頃既に父も老いて感情が壊れていたのだろう、その後まもなく軽度の認知症を現した。

 結婚という区切りを得て、生い立ちを俯瞰できるようになった私は、昨秋の父の死によって一気に解放された。それどころか反動が出ているのだろう。叱られるという状況そのものに酷く動揺する。

 叱られると、まず咄嗟に酷く委縮し、しかし次には目の前の夫に怒りを覚えるのだ、そんなに私に腹が立つのか、それほど私が悪い事をしたのか、と。(逆ギレやんっ)

 今年の暮れに50歳になる。老眼、髪に白いもの、五十肩…体はちゃんと半世紀生きた証しを物語るのに、心はようやくスタートライン。根深い傷のカサブタが剥がれ落ち、遅すぎるけれど今ここに立っているのが本来の私。ただ。夫には全く以って申し訳ない限りである。夫は私の救世主だ。だから夫にも今後の人生が幸せであって欲しい。