呪文が解けて

 この年の暮れ、お煮しめの里芋を剥いている間ずっと、ある思いが胸にあった。
 甲斐甲斐しかった姑が十数年前に亡くなって以来、お正月は舅の為の行事になった。年越し蕎麦、煮しめ、雑煮、鰤の漬け焼き。舅の好むものだけを用意し、大晦日と元日に夫の実家で一緒に頂く。
 12月30日。
 私は夫に呟いた。「まとまったお休みは嬉しいけど、お義母さんが亡くなって以来、お正月がつまらなくなったね」
夫「してあげるだけ、だからかな」
 そう言われてみると、姑の煮た黒豆、栗きんとんに勧められるまま箸を伸ばし、延々お喋りをした甘やかな記憶が懐かしく、ものぐさな自分が恥かしくなった。して貰う時代は終わり、する側になったのだ。うちなんか極めて簡単で有り難いんだから。
 さて、と夜の10時になって漸く台所へ籠る。手伝うと夫は言ってくれるが、これぐらいは私がやらなきゃ。干し椎茸を戻し、野菜の下拵えにかかるべく並べてみる。牛蒡、筍、人参、大根、蓮根、里芋。うん里芋からだ。一番手間がかかりそう、それに…。
 実は、里芋の皮を剥くのは人生初だ。母が亡くなった小学1年から父に教わり炊事をしていたが、里芋だけは父に「お前は皮膚が弱い。手が痒くなるから触るな」と言われていた。結婚前は父が剥いてくれ、結婚後は冷凍の剥き里芋を買っていたのを、この度、八百屋さんで土まみれ毛むくじゃらに手を伸ばした。
 だいたい何故今まで律儀に父の言いつけを守ってきたのだろう。手が荒れるからやめておけ、なんてどこのお嬢様よ。昭和一桁雷親父にも過保護な所があったものだ。しかし、その父もいなくなった。
 新聞紙を広げ、とっかかりの1つ目を手にとり、しげしげと眺める。茶の間の夫に声を飛ばす。「ね~え、里芋ってオランウータンに似てると思わない」「?どのへんが?」…そうか伝わらないか。
 父の手つきを思い浮かべながら、包丁を当てていく。
 あれは高校生の頃だ。里芋煮が大好きな私に父が「飽きるまで食わしてやる」と箱で買ってきた。が、飽きたのは父のほうだった。来る日も来る日も里芋を剥くことになったのだ。コタツに座り、前に新聞を広げ、せっせと作業する。箱の芋は中々減らない。切りがないから「一日30個までにする」。しかし箱の下のほうから傷みだし、手を休めることが許されない。最後の一個を終え、「はあ終わった、終わった、やれやれや、もうやらん、こんなこと二度とやらんぞ」と父が両手をひらひら振ってたっけ。
 確かに、面倒な作業だ。舅も夫も好きだから2袋買って20個ほどあるが1時間たってまだ半分。夫に「先に寝てね」と声をかけた。くるかくるかと恐れる痒みは今の所セーフ。冷えてこわばってくる指先を機械的に動かし続ける。ふいに浮かぶ思いがあった。…これくらい出来て当然、私は仕出し料理屋のひ孫娘なんだから。
 父は自分が母方の祖父母に育てられたとしか言わなかった。その母方の家業が仕出し料理屋だったと、つい先日伯母に聞いて、初めて知った。
 妙な気持ちだった。知っていようがいまいが、今更私には何ら影響のない事なのに、知ってしまうと、意識が生じ、根を下ろしてしまったようで、包丁を動かす間中響き続けるのだ、”私は仕出し料理屋のひ孫娘”、料理が得意でなくては。
 全部剥いても手は痒くならなかった。

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