語り部になる

 兵庫在住の私には、1.17が過ぎないと一年が始まらない気がする・・・

 と、新年のご挨拶すら更新していない言い訳にしたりして。

 

 今日、夫は職場で震災の話をする。去年に続き、今年も上司から仰せつかった。

 それで昨夜遅くまで夫はパソコンに向い、原稿を打っていた。

 現在の夫の部署30人余のうち、震災時に既に就職していたのは6人。28年前、夫は入社2年目だった。

 倒壊した建物、停止したライフライン、寸断された交通・・・壊滅し、孤立した街の記憶、混乱を極めた業務のことを、あの日にはまだ生まれてもいない若者含め、後輩に語らなければならない。

 原稿を仕上げた夫と夜半にとつとつ話す、あの日のことを。

 結婚する前の年だった。当時私は京都で一人暮らしをして働いていたが、あの日は前夜から夫の実家に泊めて貰っていた。明け方の強烈な揺れと水道ガスのない生活。知った友達の死。数日後、動き出した私鉄で神戸を出た途端、大阪も京都も何事もなかったかの普段通りの光景で。

 私は今も思う。

「あの日、一緒にあの揺れを体験できて一緒にいられて本当に良かった」

「キミの寝てた枕元に、大きくて物凄く重いブラウン管テレビが落ちてきてた、下手したら死んでたよ」

「そうだったね、テレビの下敷きになったローズクオーツのペンダントトップが真っ二つに割れてたね」

 27歳だった、若かった私達なのに、夫は語り部になってしまった。

 同じ記憶を抱えてずっと歩み続けていることを思いながら昨夜は眠った。

 戦争も災害もなく、世界中良い時間が流れますように・・・