今年も終わろうとしている

 テレビで『今年の漢字』が話題に上がって。
 私の今年の一文字は「肘」だなと思った。
 仕事もしないで家に居た私が、ある朝骨折し、手術入院したのがつい先月11月だからまだ記憶に新しく、それまでの10ヶ月の印象が飛んでしまっている。
 入院していた3週間も、世間から隔絶された非日常的な日々だったゆえ、振り返っても現実味がない。
 肘の関節の骨が砕け、金属プレートで固定する手術、2週間後にギプスを外し、リハビリもそこそこに退院したのが11月末。
 実は不安でいっぱいだった。ギプスを外した直後、肘が曲がらなかった。どれくらいかというと、自分の頭が触れないほど。肘の周りの筋肉や筋がカチカチの分厚いゴムみたいに固まっていて、動かすと激痛が。しかし動かさなければ固まってしまうと言われ、毎日痛みに耐えながらセルフリハビリをしている。今は自分の顎に触れられるまでになり、担当医は「これだけ曲がるようになれば上出来」と言ってくれた。
 が。退院して今日で3週間経ったが、まだ強張り感は取れず、物を掴むと腕が痛む。暫くかかりそうだ。


 昨日、私の携帯が珍しく鳴った。入院中隣のベッドだった”見ざる”さんからだった。
 ”見ざる”さんとは・・・・私の入院一週間後に、隣のベッドに入った80歳の方。膝の手術で入院されたが、ベッドで大声で携帯電話を知人に手当たり次第にかけ続け、嫁の悪口を言い、大声で痛い痛いと呻き、看護師さんに我が儘を通し、文句を言い、夜中3時に息子に電話をかけて高笑いし、独り言を叫び声レベルであげ、念仏を唱え、とそれは酷い状態だった。この人は自分のことを「メクラ」だというほどの近眼。その時、同室のもう一人がとても耳の遠いお婆さんだったので、私は”見ざる、聞かざる、言わざる”の諺を連想したのだった。
 という訳で、私は”言わざる”を担当すべく、”見ざる”の傍若無人に耐えるつもりだったが、辛抱は1週間で切れた。ある午後、私は苛立ちを露わに部屋を飛び出した。病院の敷地内をウォーキングして30分後に戻ると、”見ざる”は静かな人になっていた。おそらく空気を察した看護師さんが何らかの注意を与えたものと推察する。とにかく、”見ざる”さんはすっかり気のいいお婆さんになって、そうなると、親の年の方に、私もつんつんしては居られず、話せばすぐに打ち解けた。
 ”見ざる”さん改め、シゲ子さん。お庭に植えた花、春先のイカナゴ煮。来年の春に送ってあげるから住所と電話を書けと、私にメモを寄越した。ここだけの社交辞令に終わるだろうにと躊躇ったが、シゲ子さんは屈託なく鉛筆も差し出す。どこまで本気だろうか。まあいいや。この人が春になって覚えていたらその時はその時だ。
 私が先に退院する時も、寂しいわ、来年の春に美味しいもの食べに行こうねと言葉を交わして来たのだった。
 それが、昨日電話をかけてくれたので驚いた。
「明日退院するから、それまでに電話しとかないとと思って」
「今どこから? もしやベッドの上? 駄目ですよ、看護師さんに叱られますよ」
 私が言っても、シゲ子さんは笑っている。
 年末に餅をつくから、そしたら電話するから取りにおいで、と言う。
「年末は正月支度で忙しいんでしょ、お孫さんとゆっくりしてね」
 そう言って電話を終えた。
 さて来年、私とシゲ子さんはお友達になるのだろうか。
 土中に植えた春咲きの、何色か分からない球根みたいだ。