ごめんなさい、を言いたい人のいる私の幸せ

 人に押し付けにならないよう要注意なもの、三つ。

 自分が行ってきた旅行のこと/自分のアルバムを見せること/面白かった本のこと。

 ・・・・相手が乗り気で聞いてくれるならOKだけど、興味がないならこれほど退屈なことはない・・・と、かつて夫から聞き、夫も誰かの受け売りらしい。

 その点、ブログなら、スルーができていいですね^^;

 今、わたしが書こうとするのは、書評ではなく、本をきっかけに考えちゃったこと。自分の備忘録なので、遠慮なくスルー願いまーす@^^@

   *** 西川美和さん『永い言い訳』を読んで ***

  妻はやり手美容院経営者、夫は売れない時代を妻に支えられ、成功した小説家。四十代の、子どももおらず、とうに冷め切った夫婦。突然、妻が事故死するも、夫はぼんやりと泣けないまま数ヶ月が過ぎて。ある日の思考。 

    『誰かにとって、「自分が不可欠である」と思えること、「自分が守ってやらねばどうにもならない」と思えることは、何と甘美なのだろう。そんなふうに他者に対して実感をもったことがなかった。とりわけ夏子に対しては。事実、夏子は幸夫の庇護など求めなかったし、そして、自分が居てやらなければ夏子はだめだ、などと幸夫が思ったことがないことを、きっと彼女自身よくわかっていたはずである。・・・(ある日熱を出した夫に、妻が病院へ行けというと、夫「俺がいつ死のうが、俺の人生だ」とうそぶぶいた時、妻「あなたは」とだけ言いかけると、そのまま家を出ていった』

 このくだりを読んでいて、私はヒヤッとした。もしかしたら普段私は夫にとてもひどいことを言ってるんじゃないか、と。

 私は夫と結婚生活をしてきて、不遇だった子ども時代を取り返し、今とても幸せで穏やかになった。しかし夫はどうだろう・・・とこの数年怖いのだ。夫にはもっと気立ての良いおおらかな奥さんを貰って、安定した人生があったんじゃないか。男の五十はまだやり直せる。今からでも若い奥さんと再婚して、子どもを授かれれば。

 だから最近言っていた。「ねえあなた、わたし、あなたの人生を浪費させて、もう十分してもらった。今更遅いかもだけど、わたしは独りになっても大丈夫だから、やり直したかったら遠慮なく言ってね」 夫を解放してあげたいような気がしていた。しばってはいけないと。

 でも夫は悲しかったのか。私は「あなたなしでは生きられない」と言うべきだったのではないか。誰かに必要とされることが生きる力になるのではないか。

 私は物凄く夫を傷つけたのか。私の父が生前かけた迷惑、私の持病、生い立ちから来る性格の悪さ、母性のなさ、家事下手、ルックスの悪さ、数えればキリがない、こんなにも至らない私でも、夫は「妻の人生にとって自分は不可欠だ」と確信できることが幸せなのか。それで、いいの?

     『これから俺はきっと、死ぬまでかけて、いくつも君に放った言葉のあれやこれ、取った態度のあれやこれ、をじわじわと思い出しながら、生きていくんだろう』

    ♪  短い、優しい詩ですね・・・よろしければ1分足らずの朗読で ♪

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