言いだせずにいましたが

  桜の開花は、我が国の年に一度の大イベントだと思う。

 年明け早々から天気予報で開花予想が伝えられ、杉花粉飛散や寒の戻りに強張る人々を励ます。

 今年は3月18、19日辺り、例年より早いと言われ、誰もが待ち焦がれている。

 だからこそ。

 ぎょっとなった。

 だって、先週の、まだ3月1日に、もう咲いてたんだもの!

 久しぶりにスクーターで通りかかった某大学の敷地の外れの、日当たりの飛び切りいい場所で、五分咲きになっていた。

 びっくりして、嬉しくなって、次の瞬間気まずいような気持ちになり、見なかったことにしようと思った。だって言えないわよ、まだかまだかと楽しみに待っている人々に「もうとっくに咲いてますけど」なんて。

 それなのに、週末、近所の公園にトレーニングに出かけた夫が、

「公園の桜はもう咲いてるよ」と撮った写真を見せながら、ほがらかにのたまった。

 すでに蚊まで飛んでいた、と夫の談。

 もう隠しておけないっ、 春 は来てますよ~ @^ー^@/ 

姑の靴下とぱんつを

 姑が二十年前に、舅が三年前に亡くなって、その時のままに夫の実家は留守宅になっている。どうしたものかと思案しながら手付かずだ。同年代、同様の事情を抱えた皆様はどうしておられるのか。

 足が遠のいて気付けば三ヶ月!さすがに気になって、今日は様子を見に行った。

 スクーターを十五分ほど走らせて山の向こうの小さな住宅街へ。ここは私が育った町内でもある。夫とは同じ中学校へ通っていた。

 まずは郵便受けいっぱいに詰まった地域情報紙と各種広告を取り出しす。玄関の脇の箒とチリトリが倒れていた。冬場なので庭の雑草は伸びていないのが救いだ。鍵を開け、仏壇のあるリビングへ入った。仏壇の横には、舅、姑の遺影がある。気まずいが仕方ない。不孝を詫びながら、庭に面したカーテンを開け、陽射しを招き入れる。蝋燭とお線香をじゃんじゃん焚く。

 菓子を供え、お経をあげた後、持って行ったインスタントコーヒーをいれてこれも供えた。テレビをつけてお昼用に持参したパンをかじり、ノートパソコンを立ち上げて、二時間ほど過ごしただろうか。義父母が居た時のような平和な空気を味わって、ぼちぼちと帰り支度を始めた。火の始末、コーヒーカップの片付け、カーテン、暖房オフ、あとはと部屋を見回す。これからどうしようかね、家財一式は。

 ふと、姑のクローゼットが目に留まる。二十年間手つかずの。開いて中を覗く。ハンガーに掛かった見覚えあるブラウスやパンツスーツ、下段の抽斗にはセーターや肌着。

 あ。私が使わせてもらお。

 この数年、私はストックを減らしていて、ちょうど新しいのを買い足そうと思っていた。これがあるじゃない、有効利用できるじゃないの。

 靴下を数足、それからショーツも。姑はLサイズ、私はMだから小さそうなのを。畳んで並んだ肌着を手に取っていると、姑の手付きや横顔が浮ぶ。二十年前、ここにいた一人の女性の姿。甲斐甲斐しく家事をこなす主婦。

 そういえば潔癖だった。もしかしたら自分の肌着を他人に使われるの、嫌がるかしら。嫁姑で肌着を使うのがヘンか。いやそれよりも愛情深く、物惜しみしない姑のことだから・・・。

「いやあねぇもう○○ちゃんたら、そんなお古なんか使わんと新しい良いのを買いなさいよ、って言うよ、お袋なら」

 帰宅して話を聞いた夫が言う。

「私も同じこと考えた。お義母さんだったら苦笑いしながら『お金は私が出してあげるわよ、高いの買いなさい』ってね」

 でも二十年経った今、私は姑のお古がむしろ嬉しい。喧嘩もしたけど大好きだから。

 持って帰った肌着を洗濯して私の箪笥に仕舞う。靴下をさっそく一足履いてみる。見覚えのあるあったかそうな靴下。姑の足はもう少し大きかったなと、自分の足に残像を重ねる。

今ちょっとメンタルがネガティブ

  書きかけたものの、うまく説明できるかしら。

 こないだ、同級生の集まりがあったけど行かなかった。

 なんで行かないのと夫に訊かれ、気が重くてと答えた。それにしてもなんで気が重いのか、仲のいい面々の集まりだったのに。理由を考えてみた。

 五十を過ぎて近頃時間に余裕があるからだろう、よく若い頃を思い出す。そして恥じ入り、頭を抱えたくなる。

 二十代や三十代の幾つかの場面で自分がやったあれやこれや。今ならあんな振る舞いや発言はしないのに、なんと未熟だったのか、と。

 気付いてしまうとどうも顔を合わせにくい、ような・・・うん、たぶんこれだ。

 ということは、だ。六十、七十になって今の自分を振り返ると、やっぱり未熟だったと恥ずかしくなるのだろう。

 人は生涯成長を続けられる。それは喜ばしい良い点であると同時に、いつまで経っても失敗を繰り返し続けることでもあるのだなぁ。

世界が変わるのに

  知っているのと知らないのとでは全く違うんだなぁ。

 ゆうべTVでドイツの古い町が紹介されていた。普段旅番組は見ないのに少々前のめりで見入った。そこは私が24年前に新婚旅行で、唯一海外旅行で訪れた町だった。現地ガイドさんに連れられて歩いたきりだから、夫に「こんな感じの所あったよね」とか「ここの前歩いたような気がする」とか記憶を掘り起こしながら。

 ドイツを特別知ってる訳ではない。ヨーロッパの歴史ある町並みなんてどこも似ているだろうに、見ていると、あの時の空気・・・季節は冬で一日中気温は零度前後、薄い曇天と淡い陽射し、気まぐれに頬に触れる雪片・・・が蘇る。

 この五感の動きは、たとえば、やはりTVで猫が映った時にも起こる。子どもの頃から幾度となく触れ合った生き物。姿を見ながら、毛の手触りまで感じている。

 感覚だけでなく、感情にも反映する。

 小桜インコの迷子を初めて預かった時。人にはとても慣れているのに、かごの中へ手を入れると、指を血が出るほど強く咬むのだ。心外だ、どうしてだ、この咬み癖のせいで捨てられたのではないかと思ったほど。セキセイインコは飼ったことがあるが様子が違う。とにかく困ったもんだと思っていた。が、その後、『小桜インコの育て方』という本を開くと・・・・小桜インコは別名ラブバード、とても情の深い鳥なのだそうな。特にメスは子育ての場となる自分のハウスが非常に重要で、全力で守る。

 ああ、だから。かごの中で威嚇する小桜インコがいじらしく、いとおしくなった。

 知っているのと知らないのとでは180度変わってくることもある。

 行ったことのない場所や触れたことのないもの、知らない話・・・・五十を過ぎたけど、もっと貪欲になってもいいのよねぇ。どうもモノグサでいけません^^;

繰り返し。それは幸せなことだろう

 本年もよろしくお願いいたします。

 お正月三が日が過ぎようとしている。子もなく、既に親もなく、五十を越えた夫婦二人で、しかし寂しいということはなく、台所に立ち、蒲鉾を切ったり、お煮しめを皿に盛ったりしていると、しみじみと思われてくる、ああ、いいお正月だなぁ、と。

 今までもそうしてきたし、これからもそう。

 三年前に舅が亡くなって以後、もう誰かの為に何かをするお正月ではなくなった。縁起物だからとあまり好きではないゴマメや黒豆、昆布巻きなどに拘らず、夫が比較的好むものでお正月らしいものを用意する。お煮しめクワイ抜き、鰤、ちょっとだけ数の子、紅白蒲鉾、頂き物のロースハム、これに唐揚げなんかを並べる。夫はお餅が嫌いだから、とうとうお雑煮もやめてしまった。

 お正月番組を点けて、食卓で箸を進めながら、つい私は子どもの頃の正月料理のこと、つまり父のことを話してしまっている。

「お父さんがさ、酢の物好きな私の為に蓮根やごぼう、蕪の酢漬けをいっぱい作ってくれてさ」

「棒鱈を甘辛く炊いたの、滅茶苦茶美味しかったんだよ」

白味噌のお雑煮がホワイトシチューみたいにこっくり甘くて美味しかったよ」

 父子家庭で育った私の『お袋の味』は、京都出身の器用な父の手料理だ。正月料理を前にすると、ぽつりぽつりと思い出され、口をついて出てくる。出しながら、この話、去年も一昨年も、いやもっと、正月の度に話していることに気付く。聞かされてる夫は何も言わないけど内心どう思っているのかと、かえって冷や汗ものだ。同じこと何度も何度も言ったりして、私って認知症のおばあちゃんやん、とギクッとなる。これが年を取るってこと?

 年越し蕎麦の残りとお煮しめが昨夜で片付く。今日のごはんは何にしようかとぼんやり考えている。明日は夫の仕事始めでもう日常に戻る。戻っていける日常のあることにホッとする。また一年を始められるんだ。