繰り返し。それは幸せなことだろう

 本年もよろしくお願いいたします。

 お正月三が日が過ぎようとしている。子もなく、既に親もなく、五十を越えた夫婦二人で、しかし寂しいということはなく、台所に立ち、蒲鉾を切ったり、お煮しめを皿に盛ったりしていると、しみじみと思われてくる、ああ、いいお正月だなぁ、と。

 今までもそうしてきたし、これからもそう。

 三年前に舅が亡くなって以後、もう誰かの為に何かをするお正月ではなくなった。縁起物だからとあまり好きではないゴマメや黒豆、昆布巻きなどに拘らず、夫が比較的好むものでお正月らしいものを用意する。お煮しめクワイ抜き、鰤、ちょっとだけ数の子、紅白蒲鉾、頂き物のロースハム、これに唐揚げなんかを並べる。夫はお餅が嫌いだから、とうとうお雑煮もやめてしまった。

 お正月番組を点けて、食卓で箸を進めながら、つい私は子どもの頃の正月料理のこと、つまり父のことを話してしまっている。

「お父さんがさ、酢の物好きな私の為に蓮根やごぼう、蕪の酢漬けをいっぱい作ってくれてさ」

「棒鱈を甘辛く炊いたの、滅茶苦茶美味しかったんだよ」

白味噌のお雑煮がホワイトシチューみたいにこっくり甘くて美味しかったよ」

 父子家庭で育った私の『お袋の味』は、京都出身の器用な父の手料理だ。正月料理を前にすると、ぽつりぽつりと思い出され、口をついて出てくる。出しながら、この話、去年も一昨年も、いやもっと、正月の度に話していることに気付く。聞かされてる夫は何も言わないけど内心どう思っているのかと、かえって冷や汗ものだ。同じこと何度も何度も言ったりして、私って認知症のおばあちゃんやん、とギクッとなる。これが年を取るってこと?

 年越し蕎麦の残りとお煮しめが昨夜で片付く。今日のごはんは何にしようかとぼんやり考えている。明日は夫の仕事始めでもう日常に戻る。戻っていける日常のあることにホッとする。また一年を始められるんだ。