姑の靴下とぱんつを

 姑が二十年前に、舅が三年前に亡くなって、その時のままに夫の実家は留守宅になっている。どうしたものかと思案しながら手付かずだ。同年代、同様の事情を抱えた皆様はどうしておられるのか。

 足が遠のいて気付けば三ヶ月!さすがに気になって、今日は様子を見に行った。

 スクーターを十五分ほど走らせて山の向こうの小さな住宅街へ。ここは私が育った町内でもある。夫とは同じ中学校へ通っていた。

 まずは郵便受けいっぱいに詰まった地域情報紙と各種広告を取り出しす。玄関の脇の箒とチリトリが倒れていた。冬場なので庭の雑草は伸びていないのが救いだ。鍵を開け、仏壇のあるリビングへ入った。仏壇の横には、舅、姑の遺影がある。気まずいが仕方ない。不孝を詫びながら、庭に面したカーテンを開け、陽射しを招き入れる。蝋燭とお線香をじゃんじゃん焚く。

 菓子を供え、お経をあげた後、持って行ったインスタントコーヒーをいれてこれも供えた。テレビをつけてお昼用に持参したパンをかじり、ノートパソコンを立ち上げて、二時間ほど過ごしただろうか。義父母が居た時のような平和な空気を味わって、ぼちぼちと帰り支度を始めた。火の始末、コーヒーカップの片付け、カーテン、暖房オフ、あとはと部屋を見回す。これからどうしようかね、家財一式は。

 ふと、姑のクローゼットが目に留まる。二十年間手つかずの。開いて中を覗く。ハンガーに掛かった見覚えあるブラウスやパンツスーツ、下段の抽斗にはセーターや肌着。

 あ。私が使わせてもらお。

 この数年、私はストックを減らしていて、ちょうど新しいのを買い足そうと思っていた。これがあるじゃない、有効利用できるじゃないの。

 靴下を数足、それからショーツも。姑はLサイズ、私はMだから小さそうなのを。畳んで並んだ肌着を手に取っていると、姑の手付きや横顔が浮ぶ。二十年前、ここにいた一人の女性の姿。甲斐甲斐しく家事をこなす主婦。

 そういえば潔癖だった。もしかしたら自分の肌着を他人に使われるの、嫌がるかしら。嫁姑で肌着を使うのがヘンか。いやそれよりも愛情深く、物惜しみしない姑のことだから・・・。

「いやあねぇもう○○ちゃんたら、そんなお古なんか使わんと新しい良いのを買いなさいよ、って言うよ、お袋なら」

 帰宅して話を聞いた夫が言う。

「私も同じこと考えた。お義母さんだったら苦笑いしながら『お金は私が出してあげるわよ、高いの買いなさい』ってね」

 でも二十年経った今、私は姑のお古がむしろ嬉しい。喧嘩もしたけど大好きだから。

 持って帰った肌着を洗濯して私の箪笥に仕舞う。靴下をさっそく一足履いてみる。見覚えのあるあったかそうな靴下。姑の足はもう少し大きかったなと、自分の足に残像を重ねる。