夫婦喧嘩は猫にだって食わせるな

「1組の夫婦には2人以上の子どもを産む責任がある、でないと人類は絶滅の途を辿る」
 大学時代、経済学の教授が語ったこの説は、授業の合間の脱線だったにもかかわらず、なぜか記憶に留まり、結婚しても子を望まず、授からずの私を度々苛んできた。
 しかし「子どもがいなくて良かった」と思うことも度々ある。
 歩いて15分程の丘の上に大きな公園があり、散歩や犬連れの人、ランニングを楽しむ中高年、また土日ともなれば家族連れで賑わっている。夫も休みの朝にトレーニングに出掛ける。そうして1時間半のランニングと筋トレが終わる頃に、私がスクーターで迎えに行く。
 公園の入口にバイクを停めると、ちょうど幼い女の子の手を引く若い夫婦が入っていくところだったが、ちょっと険悪な感じなのだ。夫婦喧嘩らしい。パパが怒鳴った。「…だから今そんなん言うても仕方ないやろっ、もう帰れやっ」
 ああ嫌だ、と思った。一瞬にして居たたまれなさに身がすくむ。
 パパは女の子を連れてずんずん公園へ入っていく。その後を小さい歩幅で追うママの、胸には抱っこひもで子供がもう1人いた。
 穏やかな冬の陽ざし、幾組もの家族、キャッチボールやサッカー、凧揚げする人も。私は公園の一番奥のベンチで腹筋をしている夫のほうへと中央の芝生をつっきっていくのだが、少し離れたところにあの夫婦が見える。女の子を遊ばせるパパにママが近付き、話しかける。パパが何か答えては女の子を連れて離れていく。またとぼとぼとママが追いつく。これを繰り返している。
 喧嘩の原因は大小色々だろう。どちらかに圧倒的に否があるのかも。いずれにせよ、きっと、ママはとことん話したいのに、パパは向き合わない。周りの人の目があるし、何より自分たちの子どもの耳がある。ママは不完全燃焼のまま収まらないのだ。
 ちょうど腹筋を終え、上着に袖を通していた夫に、私は話した。
「子どもがいなくて良かったと思うのはこんな時。私は納得いくまで話したくて、感情的にもなる。理由はどうあれ、もしそれを傍で見てたら子どもはすっごく辛いよね。親の喧嘩は見たくない。私、子どもの頃にお父さんとお祖母ちゃんが口論してるのをはっきり覚えるけど、嫌だった」
「俺は一人っ子だったから雲行きが怪しくなってきたら自分の部屋に逃げ込んだ。でも、1回だけ、親父とお袋に”やめて”って言ったなぁ」
「やっぱ子どもにそんな思いさせたくないね。その点うちは気兼ねなく、あ、そうだ近頃ね、アナタと喧嘩腰で喋る時、ハッとしてアポロの顔見ちゃうの」
 アポロとは野良から家族になった、臆病で空気に敏感な猫である。
「俺もアポロを見るよ」
 私達が険悪に話している時のアポロは、少し離れた物陰に下がって俯いている。
 いや、そもそも猫がいようがいまいが、喧嘩は嫌だね、アナタ。

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呪文が解けて

 この年の暮れ、お煮しめの里芋を剥いている間ずっと、ある思いが胸にあった。
 甲斐甲斐しかった姑が十数年前に亡くなって以来、お正月は舅の為の行事になった。年越し蕎麦、煮しめ、雑煮、鰤の漬け焼き。舅の好むものだけを用意し、大晦日と元日に夫の実家で一緒に頂く。
 12月30日。
 私は夫に呟いた。「まとまったお休みは嬉しいけど、お義母さんが亡くなって以来、お正月がつまらなくなったね」
夫「してあげるだけ、だからかな」
 そう言われてみると、姑の煮た黒豆、栗きんとんに勧められるまま箸を伸ばし、延々お喋りをした甘やかな記憶が懐かしく、ものぐさな自分が恥かしくなった。して貰う時代は終わり、する側になったのだ。うちなんか極めて簡単で有り難いんだから。
 さて、と夜の10時になって漸く台所へ籠る。手伝うと夫は言ってくれるが、これぐらいは私がやらなきゃ。干し椎茸を戻し、野菜の下拵えにかかるべく並べてみる。牛蒡、筍、人参、大根、蓮根、里芋。うん里芋からだ。一番手間がかかりそう、それに…。
 実は、里芋の皮を剥くのは人生初だ。母が亡くなった小学1年から父に教わり炊事をしていたが、里芋だけは父に「お前は皮膚が弱い。手が痒くなるから触るな」と言われていた。結婚前は父が剥いてくれ、結婚後は冷凍の剥き里芋を買っていたのを、この度、八百屋さんで土まみれ毛むくじゃらに手を伸ばした。
 だいたい何故今まで律儀に父の言いつけを守ってきたのだろう。手が荒れるからやめておけ、なんてどこのお嬢様よ。昭和一桁雷親父にも過保護な所があったものだ。しかし、その父もいなくなった。
 新聞紙を広げ、とっかかりの1つ目を手にとり、しげしげと眺める。茶の間の夫に声を飛ばす。「ね~え、里芋ってオランウータンに似てると思わない」「?どのへんが?」…そうか伝わらないか。
 父の手つきを思い浮かべながら、包丁を当てていく。
 あれは高校生の頃だ。里芋煮が大好きな私に父が「飽きるまで食わしてやる」と箱で買ってきた。が、飽きたのは父のほうだった。来る日も来る日も里芋を剥くことになったのだ。コタツに座り、前に新聞を広げ、せっせと作業する。箱の芋は中々減らない。切りがないから「一日30個までにする」。しかし箱の下のほうから傷みだし、手を休めることが許されない。最後の一個を終え、「はあ終わった、終わった、やれやれや、もうやらん、こんなこと二度とやらんぞ」と父が両手をひらひら振ってたっけ。
 確かに、面倒な作業だ。舅も夫も好きだから2袋買って20個ほどあるが1時間たってまだ半分。夫に「先に寝てね」と声をかけた。くるかくるかと恐れる痒みは今の所セーフ。冷えてこわばってくる指先を機械的に動かし続ける。ふいに浮かぶ思いがあった。…これくらい出来て当然、私は仕出し料理屋のひ孫娘なんだから。
 父は自分が母方の祖父母に育てられたとしか言わなかった。その母方の家業が仕出し料理屋だったと、つい先日伯母に聞いて、初めて知った。
 妙な気持ちだった。知っていようがいまいが、今更私には何ら影響のない事なのに、知ってしまうと、意識が生じ、根を下ろしてしまったようで、包丁を動かす間中響き続けるのだ、”私は仕出し料理屋のひ孫娘”、料理が得意でなくては。
 全部剥いても手は痒くならなかった。

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毎日の始まり

 年末年始のお休み中は寝坊を通したから、ゆうべ目覚まし時計をセットする時に「明日の朝起きられるのかしら」と呟いてしまった。が、5時半のアラームを鳴らすことなく止め、お弁当を詰め、夫に声をかけて朝食を出し、着替えと水筒を用意した。
 仕事始めの夫を見送ったそのあしでコンビニへ向かう。3が日で底をついたあれこれの、とりあえず緊急を要するものだけ。猫缶・インスタントコーヒー・板チョコ。この3つが今の私を如実に物語るようで、袋を提げての帰り道、何とも言えない可笑しみが湧いた。
 部屋へ戻ると、さっきまでヒーターの傍にいた猫はもう布団に潜り込んで姿も見えない。日課の運動タイムの為にケージから出した兎に「さあまた新しい一年が始まったよ」と話しかけてしまった。元旦ではなく今日からだと実感する。いつも通りの日常が戻る。取り戻す日常の在る事がつくづく幸せだ。
 茶の間に差し込んできた陽に、鉢植えを並べた。

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あのバスに乗ればいい

 明日は百か日。父が亡くなって明日が百日目。
 百か日法要は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、この法要をもって残された遺族は「哭(な)くことから卒(しゅっ)する(=終わる)」、つまり悲しみに泣きくれることをやめる日である。…こう書いてると、父が「お前、ちっとも泣かんかったやん」と私にツッコんでる気がする(笑。
 しかしやはり、四十九日とは段階の違う、一つの節目であると感じられる。昨日、父がお世話になった施設へ伺った。3か月が経ち、父の施設での費用の精算と手続きが終わったと連絡を頂いたので、お預けしていた保険証や貯金通帳を受け取る為だ。
 先方の事務手続き可能な平日は夫も弟も仕事、最寄駅からのバスが2時間に1本という立地だから、運転できる義妹が声をかけてくれたが、私は一人で行った。一人で行きたかった。
 本当にこれが最後かもしれないと、バスの車窓を流れる景色を目の中に映し込む。このあいだ来た時は黄金の稲穂がたわわに揺れていたが、紅葉も柿の実もとっくに落ちて、見渡す限り灰色を帯びた、見事な冬の里山である。悲しみとは違うものがこみ上げて、眼球の表面張力に挑んでくるのを、瞼をぐっと、見開いた面積を広げて持ちこたえる。郷愁とは「離れた故郷や過ぎ去った時間を懐かしく思う気持ち」だという。この景色はこれから私に郷愁を抱かせる存在になるのだろう。
 施設のカンファレンスルームで、職員さんから書類と通帳と保険証を受け取った。父は幼子を抱えて職を転々としたので、年金の払込み期間が短く細切れであった為、諦めていたのだが、ここで職員さんが丁寧に調べ、払い込んでいた分を掘り起こし、受給できるようになっていた。ほぼ無一文でここへ来た父の残した通帳には、ちょうど葬儀費用とお墓を建てられるほどの残高があった。そのことがしみじみと思われた。立つ鳥跡を濁さずに逝ける為には、あの世からの助けが要る。紆余曲折の大き過ぎた父だったが、手厚く迎えて貰えたようだ。

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なにがあっても

 デパートで玩具を買ってと地団太を踏み、叫ぶ子に、親はこう一喝したという。
「Don't be panic」
 取り乱すな。
 以前TVで紹介された”紳士の国”イギリスの光景。玩具をねだる我が儘よりも、人前でみだりに感情を露わにすることの方が問題だ、何時いかなる時も冷静であれ、と。
 感情の起伏が激しい私には忘れられないエピソードとなっている。出さないまでも内心が鋭利な折れ線グラフを描くのを持て余す、些細な事で。
 ローカルなミニバスの定期券を買いに行った。取り扱いは、商店街から道を1本外れた、昔ながらの煙草屋さんだけ。小さい引き窓から、中にいた80歳位のお爺さんに声をかける。「すみません、バスの定期券をください」するとおじいさんは少しもごもごしてから、「ばあさんでないと分からんのやけど、今パーマ屋へ行っとって」と言う。
「いつお帰りですか?」「昼過ぎになるかなぁ」
 まだ11時だ。もやもやしたが、このお爺さんに言うだけ無駄と「出直して来ます」。
 午後2時に行くと、店先に”ばあさん”と思しき小柄な、やはり80歳位のご婦人の姿があったが、どなたかと立ち話をしておられる。なあに急がない、手前にスクーターを止めて待つ。話は続く。うむ。…続く。ううむ。あ終わった。ご婦人は引き戸から店の中へ入った。よし、と後へ続く。口を開けかけた途端、レジ横で電話が鳴った。はいもしもしとご婦人は受ける。新たな会話が始まり、戸口に突っ立つ私。え~ちょっとちょっと、となっている。もう結構ですと去りたいが、だってここでしか買えないんだよ、夫の通勤定期券。待つ。待つしかないのだ。ようやく電話を切ったご婦人に要件を告げると、すぐに手提げ金庫から必要なものを取り揃え、定期券を発行してくれた。磁器カードなんかじゃなく、大きな数字のダイヤルスタンプの日付をセットし、インクを付けて押す。有効期限となる6か月後の日が黒々と現れた。「もう平成30年なのねぇ」とご婦人が渡してくれた定期券は、ティッシュペーパーにくるまれていた。まだ乾いていないインクが付かないように。ああ、いい。もやもやは立ちどころに霧消。子供の頃、祖母がチリ紙にお菓子を包んでくれたことなんかを思い起こしながら、ほくほくとスクーターを走らせる。そして、はっとするのだ、こうも簡単に苛立ったり感激したり、みっともないなぁワタシ。

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