脱臼

 その日を境に世界が一遍する、とまではいかないけれど。
 冠婚葬祭ほどの一大事ではなくともキッカケになる出来事・・・病、事故、異動、諍い etc・・・は穏やかに繰り返す日々の中にポコンと浮上する。数年前の入院手術も心に変化をもたらしたものだった。習い事がしたくなったり、エコや断捨離を強く思ったり。
 そして、この度の、脱臼・・・。いろいろと考えることがあった。

 二週間前に、脱臼した。
 土曜の朝、自宅で右腕で力任せに掃除機を引っ張り寄せたら、抜けた。休みで在宅だった夫に病院へ連れて行って貰った。
 車で5分強に赤十字病院があり、随分前に通院したこともあり、迷わず向かった。
 土曜の午前、開いていた筈の外来が締まっている。夜間入口へ回ると、そこが救急受付になっていた。症状を訴えると、「事前にお電話は下さいましたか」と問われた。しまった、そうだった。自分の一大事に頭がいっぱいだったが、この時になって初めて『コロナ状況下』であることを思った。土曜だからなのか、コロナのためか、外来診察は行われていなかった。
 診察が可能か確認するのでお待ちください、と言われて、長椅子に掛ける。総合病院ならではの長く、四方へ伸びる通路の、至る所が閉鎖あるいはビニールシートで隔絶され、ほの暗く沈んでいる。
 だいぶ待って貰わなければならないがドクターが看ます、と言われ一先ずほっとする。
 診察室の前で一時間以上待った。その間、救急車が時折到着し、ストレッチャーでうめく老人が運ばれていき、顔色の悪い青年が看護師に導かれていく。ああここにはコロナ患者も運ばれてくるのだと気付き、ここにいることで、付き添ってくれている夫を感染の危険にさらしているのだと怖くなった。
 いよいよ処置となった。看護師さんは救急外来のスペシャリスト。外科医は若く、私くらいの小柄な美女。
 医師は事前に撮ったレントゲンとCTを確認し、右腕に麻酔をかけ、あっという間に治してくれた。
 さっきまで作っていた渋面が恥ずかしいほどほころんでしまった。
 しかし、問題がこれからであることを思い知らされる。
 夫共々聞いた説明は。
 脱臼はただでさえ繰り返しがちだが、あなたの骨は、リウマチの持病のためかは不明だが、骨がかなり脆くなっていて、この度の関節もすでに一部が欠けて小さくなっており、相当外れ易い。今後繰り返すようなら、人工関節にすることも。主治医とよく相談するように。
 が~ん。て感じで、診察室をあとにした。
 右がそうなら、左肩も同様の状態だろう。他の体中の骨も脆くなっているのか。恐ろしく思っていると、夫が
「五十肩じゃなかったんだ。ずっと痛い痛い言うてたのは、骨が削れてたんだろう」
 私は去年からの両肩、腕の痛みを五十肩だと思っていた。
 三日間安静、三週間は要注意。
 三日間の家事禁止を、帰りの車の中で夫に申し渡された。
 この土曜と日曜、夫は自宅での仕事を抱えていたのに、私が時間を奪った。専業主婦の私が、仕事で常々忙しくしている夫に、料理や洗濯、買い物までさせることがとても辛かった。
 月曜日は、「家でじっとしてるから」と約束し、いつも通り出勤して貰った。
 しかし、夫は始業前に上司に訳を話し、年休を取り、帰ってきた。
 私は盛大に夫に文句を言った。バチアタリ、お門違いは重々承知だが、あまりの後ろめたさ、引け目に感情を爆発させてしまった。
 対して夫は、利き腕の使えない家族をひとり家に残すオレの気持ちだ、迷惑云々じゃない当然のことだ、二人きりの家族じゃないか、と、根気強く、確固として説き続けた。
 結婚して二十三年と半年、私は、今まで、自分がどんなに身勝手であったかを思い知った。自分のことを好きなようにしてきたのは勿論の事、夫の為にと行った一見思い遣り深い事さえも、根っこは私の勝手な思いではなかったか。
 夫婦は他人である。離縁という選択肢がある。これまでの持病でも実家の父の事でも厄介と心配をかけてきた私は、夫にいつ愛想をつかされても受け入れる覚悟ばかりを考えてきた。
 しかし夫は、なぜこうも共に生きる道を疑わないのだろう。
 結婚して二十三年と半年、私は今になって、やっと、共に生きる覚悟を胸に灯したのではないか。
 泣きべそをかいて頷き、夫の顔をまじまじと見つめながら、私は、自分が生まれ変わるような感覚の中にいた。