目を逸らさずに

 もうすっかり終わったな、と新緑のソメイヨシノを見上げると、梢の、茂った葉の間に、まだ咲いている花がいた!

 思い込みを詫びた。

 

 疑問を抱いたのは一月初旬。新年早々にお金の話もアレだなと見送ったのだが。

 昼下がりの電車内で、中年女性が、封筒からお札を取り出して数え始めた。私はドキリとして目を逸らして、そして思ったのが『この人は韓国か中国か、日本で育った人ではないんじゃないかしら』だった。

 途端に、なぜそう思ったのかと自分に疑問が湧いて、考え始めることになった。

 

 日本ではお金のことはあからさまにしてはいけないと常々感じるし、自分もそのようにふるまってきた。

 しかし、お金ほど生活に必要不可欠で当たり前に身近に存在するものもない。なぜタブー視されるのだろう。

 同様の疑問を抱いた人がいる筈だとネット検索したところ・・・

 原因は、どうやら『徳川家康』にあるというのだ!

  (あ、私、朝ドラと大河ドラマは観ない派です)

 織田信長が焼き討ちにあった時、家康は、自身も狙われるのを恐れて野山を逃げ回った。その時味わった恐怖やひもじさ情けなさがこたえた。

 それで、天下統一を果たした後、二度とそんな目に遭わなくて済むよう、誰も自分を追い落とすことがないよう、権力者を出さないよう、様々な策を執った。

 人間はお金を持つと更なる野望を抱く。困窮過ぎると一揆反乱を起こす。

 だから年貢や参勤交代などで徴収する。精神的なものが美徳であり、金銭や物に執着することを恥と唱えた。

 農民には勤勉さ、武士には誇りを美徳とさせ、士農工商身分制度を敷き、お金儲けする商人を一番下にした。

 これが浸透して戦乱の世は治まり、長く平和な時代が流れ、現在に至る、とか。

 平和は素晴らしいし、精神的な価値も尊いけれど、大切なお金を、もう少し真っ直ぐに大らかに扱えるようになってもいいんじゃないかな、と思う。