また恋をする

 ノロケや自慢ではなく、第三的な目線で、優しいひとだなぁと思う。
 時々小さな諍いはあれど、何をするのもほぼ一緒の同級生夫婦二人暮しも23年になった。子もなく、互いの親も既になく、ますます気楽な暮らしだが、齢五十を過ぎて老い先がちらちら気にかかる。

 ある60代の女性が日々を綴られたブログを愛読している。お若い頃に美術を専攻されたという、独身のとてもおしゃれな方で、早期退職を余儀なくされた後、美術展・ジム・仏像の木彫り・読書・年に一度のひとり旅などを楽しまれる傍ら、家事も丁寧にこなしておられる。数年前にお父様を亡くされ、お母様との二人暮し。
 このお母様が認知症で、日に何度となく同じ話を繰り返し、聞いたことを忘れるくらいならウンザリで済むが、何より、お金に対する執着が強く、家電が故障したり、病院にかかることを進言すると、返ってくる罵詈雑言がひどい。「あの電気温水器はまだ使えただろうに、あんたが余計な買い物をして、私の金を当てにしやがって」「金輪際病院にいかないよ、高い金を取られるだけなんだ」
 お母様が通院を嫌がるからと手を尽くして訪問診療を呼べば、「アイツラを二度と家へ入れるな、高い金をふんだくろうって魂胆だよ」と怒鳴り散らす。筆者である娘さんは参ってしまって、少しくらい体調が悪かろうがお母さんが気分良く過ごせるならばと心を決め、訪問医に事情を話して断りの電話をすれば、訪問医からは「アナタは介護者失格だ」と叱られたという。自室で声をあげて泣いた、と。

 読んでいる私でさえ辛く、同時に怖くなる。昨日休みで後ろにいた夫に、私はこのブログのことを話し、そして。
「これから年をとって、私が認知症になったら、施設に入れてね、どうせ私は分らなくなってるんだから。私絶対にボケちゃうと思うの。あなたのことを分からなくなったり、罵詈雑言を浴びせるくらいなら死んだ方がマシ。お願いね」
「大丈夫。キミはずっとニコニコしてるよ」
 これを聞いて思い出したことがある。数年前にやはり同じような事を話した。
「ね、私、アナタのことを分からなくなるのかな、なったらどうしよう」
 その時、夫は言ったのだ。
「大丈夫。たとえキミが俺を誰だか分らなくなっても、キミはきっと俺のことを好きだと思うよ」
「え、誰だか分らないままでってこと?」
「うん」
 誰だか分らなくても私は夫を見て嬉しそうに笑っているだろう、と。
 今の私は小さな事にもイライラするし、自分をロクでもない人間だと思っている。だから、夫の言葉にうろたえるほど救われる。ボケても、夫の言うようなニコニコしたお婆ちゃんでいられそうな気がしてくる。