いやになるけど、いとしくもあって

 お盆最終日にテレビを見ていてびっくりしたのが、お節の予約販売CM。

 お節ですと? この残暑去らない八月に。

 そういえば、コープさんでも来年カレンダーが売られているし、ユニクロでは先月既に秋冬物を見かけたっけ。

 私が牛歩してる間も、季節も世界も着実に進んでいく。

 お陰様で骨折手術後の経過は落ち着いています。肩関節の可動域はだいぶ戻ってきていますが、まだ週一でリハビリに通っています。

 元々出不精の私、スーパーへ買い物に出る他は家に居て、すると新しい刺激が少ないせいか、古い記憶が漂い出してきます。

 浅はかな行動や身勝手なふるまい・・・・仕事をしていた頃の失敗、友達に吐いた考えなしの言葉などなど・・・・もう何年も前のことなのに今更頭を抱えてしまいます。

 そんな私を見かねたか、夫はお盆休みに色んな所へ連れ出してくれました。人混みのショッピングモールでマグカップや食器を見るのが好きな私の為に雑貨屋さんを探してくれましたし、久々に空港へも。飛行機の離発着を展望デッキから飽きることなく眺めました。離陸時の、ゴーっというエンジン音は特別ですね、お腹に響く。するとあの金属の塊が鎌首を持ち上げ、空へ向かってびよんと急上昇していく。

 精神的刺激のインプットがないと抑圧した記憶のアウトプットばかりを始めてしまうみたい・・・・そんなことを感じています。

 そうそう、自分に対して驚くのが、まさかこんな五十代になるなんてなぁ、です。

 三十代の頃に同級生が言いました、「女の人は大人になったら皆、峰不二子みたいにハイヒールを履いて色っぽくなるって、子供の頃思ってた」。

 その場にいたみんなで笑いましたが、峰不二子とまではいかなくとも、近いものを考えていました。子ども時分に思っていた五十代はしっとりと落ち着いた女性像。

 なのに私ときたら、ここへきて、身長が2センチ縮み、筋肉が落ちて萎んだ腕にはちりめん皺。その貧相な体に、猫イラストのTシャツと、中学時代に買ってもらったジーンズ(あ、ジーンズっていうのも死語ですってね)。年月を経て薄くなったのを繕って穿いていたところ、三カ月前にバイクでこけた時にぱっくり避けた膝部分を直し、正しくダメージジーンズです。

 不格好だなぁと自覚しつつもこんな自分が嫌いじゃない。

 ・・・ただ、夫には申し訳ないと思ってます。

 さあて、腕を直して、そろそろ動かなければ!

 この秋は残暑が長引くようです、皆さんどうかご自愛くださいね。

骨折手術から九週間が経ちました

 退院後は二週毎のレントゲンチェックと週一で通院リハビリ、自宅でのセルフリハビリを続けています。

 肩に金属プレート・・・ピンとこないですよね。粉々に砕けた骨頭を寄せ集めて修復し、金属プレートで固めて貰いました。これがもちろん簡単ではなく、肩関節の周りには神経や腱、筋肉が集まっていて、これも関節の骨に繋ぎ直さねばなりません。

  お医者様は、できるだけ神経や腱に干渉しないよう、かいくぐらせて金属プレートを入れて下さっているのです。お陰様で経過も良く、腕の可動域を随分取り戻せています。先週から緩やかな筋トレがOKになりました。

 日常の動作と家事程度はこなせるものの、気が弱っちくなっちゃいました(笑。

 転倒した時を思い出してバイクが怖くなってしまったし、通院と買い物以外の外出もせず、五十代半ばにして人生を足踏み状態。 ナニヤッテンダカ・・・

 ブログ、書かないとサボり癖がつきますね。そろそろ再開したいです~@^^@

ひと区切りを迎えられ、思うことはいろいろあれど、

 左肩複雑骨折の術後一週間でと、異例の速さで退院できたものの、あと二週間は自宅療養。三角巾を着けていなければならず、ほぼ片手生活だった。簡単な掃除と、洗濯機のボタンは押したが、それ以外の家事一切を夫に禁じられた。

 つまり夫の負担が増大するということ。

 夫は仕事帰りに夕飯の買い物をし、部屋着に着替えると、台所に立った。野菜数種を刻んで焼きビーフンや、中華総菜の素を利用して酢豚をたっぷりと作ってくれた。

 仕事が長引いて遅くなると、すぐに食べられる総菜を選び、その際、私の好きな酢の物や和え物を、翌日の私の昼食用にと余分に買ってくれた。

 結婚して26年半になるが、これまでに夫が料理をしたのは片手で数えられるくらいしかない。それはほぼ専業主婦で子どものいない私の、矜持とまでは言いすぎか?

 夫に家事をさせないようにしてきた。ゴミ出しも、私が脱臼したときくらいだ。

 夫は元々細やかで器用で、必要に迫られれば料理くらい出来るだろうから、不測の事態に備えた訓練などは不要だと思われた。

 昭和一桁生まれの父に育てられたこともあり、私は、”なんちゃって”ではあるが家父長制的家庭への憧れもあった。

 しかし、ここへ来て、思い切り夫に迷惑をかけてしまった。

 以前なら夫の言うことを聞かず、勝手に夕ご飯を拵えたりしたが、もしも無理をして術後の経過を悪くすれば、それこそ取り返しがつかない、夫に顔向けができないと、素直に従うことにした。

 唯一許されたのは、ご飯を炊いておくこと。夕方、無洗米を炊飯器にセットして、あとはテレビを見ながら夫の帰りを待つ。共働き家庭の子どもみたいだ。

 それで思い出した。子ども時分、こんなふうに私は待っていたっけ。

 私が六歳の時に母が亡くなり、父子家庭になった。小学三年生くらいまでは父が料理、家事一切をしてくれた。父は料理人並みに何でも作れる人だった。

 誰かに家でごはんを作ってもらうのは、姑が亡くなって以来、21年ぶりか。

 夫は二週間毎日ごはんを食べさせてくれ、洗い物と、食後に私にコーヒーを淹れてくれた。”明日、三角巾が取れる”という日には、お祝だとケーキを買ってきてくれた。

 そしておととい、レントゲンとCT検査の結果、晴れて三角巾なしになった。

 とはいえ、三週間動かさなかった肩は、関節が固まりかけているし、筋肉は弱っているし、金属プレートが上腕二頭筋の腱と干渉している可能性もあり、すぐに元通りに使える訳ではない。リハビリを続けることになる。

 それでも、昨日と今日、商店街へ買い物に行き、軽いものだけ数点を選び、夕ごしらえの台所に立てる喜びを味わっている。

 この三年弱の間に、私は右肩を2回脱臼し、右肘を骨折し、左肩を骨折し・・・と、お祓いレベルの怪我にみまわれている。

 自分のことは自分でする・・・それが叶わない時には、素直に誰かに助けてもらい、感謝する。これが、父子家庭で育った私にはかなり苦手で、これから迎える老年期を前に、猛特訓させてもらっているのだろうか。

 病院の皆様、夫、ここで覚え書記事を見守って下さった皆さん、

 言葉以上の気持ちをこめて、ありがとうございます!

家事をしようなんて思うな、ここは病院と同じだ、と

 今、自宅です。

 昨日、退院できました!

 

 午前中のレントゲン検査が問題なしとなり、午後の退院OKになった。そこからは薬剤部や医事課の手続きを進めていただき、午後イチのリハビリを受け、ゆっくり身支度、15時過ぎ夫が迎えにきてくれた。

 そのままホームセンターへ寄る。亀の餌が切れたらしい。夫と店内を歩き出してすぐに動悸がした。院内を1万歩こなせたのに。

 やはり病院内で動くのとは違う。夫が釘をさす。

「退院したのはあくまで自宅療養であって、家に帰ったからと言って、家事なんかしたらアカンぞ」

 8日ぶりの我が家は、台所、洗面所、そこここに夫の苦心の痕跡があった。

 入院中はラインだけだったから、話したいことをいっぱい喋り、興奮さめず、夫が夕飯の支度をしてくれて、手伝うこと許されず、ようやく荷物を片付け始めた。片手だと衣類がうまくたためないからちっとも捗らない。

 夫が炒め物二品、カニカマサラダと、カツオタタキを切って出してくれて、食卓に着く。美味しいのはもちろんだが、私が入院中の夫の寂しさをぶっ飛ばしたくて、やかましいほど声高に「美味しいね」を連呼した。

 明日の出勤準備や寝支度をすると夫はくたくたになった。すぐに寝息を立てていた。

 私はというと、夫が入れてくれたインスタントコーヒーを調子に乗って二杯飲んだからか、布団の中でぱっちり目が覚めたままで、ようやくうとうとできたのは午前3時。それも、夫にとケンカする夢を見て、しくしく目を覚ましたり。 

 今朝、夫が出勤し、元通りの日常が始まった。と思ったが、洗濯機を動かし、台所の掃除をしたら、三角巾の中で腕がじんじん、頭クラクラ、だめだ。こんなにも体が弱くなってしまって。

 あとは大人しく過ごし、夫の帰りを待つばかり。夕飯の支度は止められている。お腹が空いてきた。私って一体なんなんだろうと、50を過ぎて益々分からなくなっていく。

 ともあれ、いつも思い知る、私は今恵まれているのだと。

 明日は通院でリハビリ。三角巾が取れるまであと二週間。

急転直下なるか? 5/23

 午前2時半にパチリと目覚め、そのままほぼ起きていた。携帯でブログや小説を見て。

 5時半、運命の採血。果たして輸血は。

 実は輸血嫌さに前日かなりジタバタした。貧血に効く食べ物をネットで調べ、チョコレートのカカオがいいとあった。

 院内自販機にチョコがあったのを思い出し、その製品のホームページで成分検索したり。

 ココアもいいというのでまた自販機へ走るも、ない。 オロオロ検索するうち、チョコに即効性はありません、という文に無駄な抵抗を諦めた。

 採取された血が運ばれていくのを祈りながら見送った。

 朝食にメロンパンが登場。噛み締めると甘い。久方ぶりのシャバの甘さだ、なんて思った。

 10時前からリハビリが始まる。仰向けに寝た私の強張った腕を、先生はほぐしては動かす。

 施術中に、主治医が来られた。

 貧血、改善してます、6.5→7.5に。

 やったーと小さめだが叫んでしまった。

 それから、

「明日水曜のレントゲン次第で退院の相談だが、その日の午後に退院したいらしいね、いやに急ぐのはなんで?」

「夫の休みが今週は明日だけなので、面会予約をとったんですが、そのまま連れて帰ってもらえないかと、それだけなんです」

 私はダメ元だったが、主治医は、事務方と調整がつけば、と可能性をくれた。

 そして、お昼前、看護師さんが、レントゲン次第ですがと前置きの上で、

「ご主人の面会のタイミングで帰っていいですよ」と!!

 はやる気持ちを抑えて夫にライン。

 当初2週間はと言われていた退院が、なんと術後1週間に!こんなに早まることがあるなんて!!

 そこからは9割5分の夢心地と残り5分の懸念を胸に過ごした。

 病院の夕飯は早い。17時半、看護助手さんがトレーを運んできてくださり、夏のような日差しに輝く窓にカーテンを閉めて行った。

 もう少し開けておいてとは言わない。カーテンを閉めることは彼女の業務だ。

 

 手術から今日で6日、とうとう四人部屋にひとりのままになった。 整形外科と内科の病棟にいて、たまたま入院患者が少な目、しかも自立歩行のできる年代はどうやら私だけになっていた。院内をウォーキングしては目立ち、看護助手さん幾人もから声をかけていただいた。

 

 この入院は、私のバイク転倒に始まり、夫に多大な負担をかけ、全身麻酔で4時間に及ぶ複雑骨折の手術、左腕は三週間三角巾で安静、自業自得の苦痛と不自由はあれど… 気づけば保養所に滞在したような不思議な8日間となろうとしている。 さて明日の夜は自宅で眠れるだろうか。