ひと区切りを迎えられ、思うことはいろいろあれど、

 左肩複雑骨折の術後一週間でと、異例の速さで退院できたものの、あと二週間は自宅療養。三角巾を着けていなければならず、ほぼ片手生活だった。簡単な掃除と、洗濯機のボタンは押したが、それ以外の家事一切を夫に禁じられた。

 つまり夫の負担が増大するということ。

 夫は仕事帰りに夕飯の買い物をし、部屋着に着替えると、台所に立った。野菜数種を刻んで焼きビーフンや、中華総菜の素を利用して酢豚をたっぷりと作ってくれた。

 仕事が長引いて遅くなると、すぐに食べられる総菜を選び、その際、私の好きな酢の物や和え物を、翌日の私の昼食用にと余分に買ってくれた。

 結婚して26年半になるが、これまでに夫が料理をしたのは片手で数えられるくらいしかない。それはほぼ専業主婦で子どものいない私の、矜持とまでは言いすぎか?

 夫に家事をさせないようにしてきた。ゴミ出しも、私が脱臼したときくらいだ。

 夫は元々細やかで器用で、必要に迫られれば料理くらい出来るだろうから、不測の事態に備えた訓練などは不要だと思われた。

 昭和一桁生まれの父に育てられたこともあり、私は、”なんちゃって”ではあるが家父長制的家庭への憧れもあった。

 しかし、ここへ来て、思い切り夫に迷惑をかけてしまった。

 以前なら夫の言うことを聞かず、勝手に夕ご飯を拵えたりしたが、もしも無理をして術後の経過を悪くすれば、それこそ取り返しがつかない、夫に顔向けができないと、素直に従うことにした。

 唯一許されたのは、ご飯を炊いておくこと。夕方、無洗米を炊飯器にセットして、あとはテレビを見ながら夫の帰りを待つ。共働き家庭の子どもみたいだ。

 それで思い出した。子ども時分、こんなふうに私は待っていたっけ。

 私が六歳の時に母が亡くなり、父子家庭になった。小学三年生くらいまでは父が料理、家事一切をしてくれた。父は料理人並みに何でも作れる人だった。

 誰かに家でごはんを作ってもらうのは、姑が亡くなって以来、21年ぶりか。

 夫は二週間毎日ごはんを食べさせてくれ、洗い物と、食後に私にコーヒーを淹れてくれた。”明日、三角巾が取れる”という日には、お祝だとケーキを買ってきてくれた。

 そしておととい、レントゲンとCT検査の結果、晴れて三角巾なしになった。

 とはいえ、三週間動かさなかった肩は、関節が固まりかけているし、筋肉は弱っているし、金属プレートが上腕二頭筋の腱と干渉している可能性もあり、すぐに元通りに使える訳ではない。リハビリを続けることになる。

 それでも、昨日と今日、商店街へ買い物に行き、軽いものだけ数点を選び、夕ごしらえの台所に立てる喜びを味わっている。

 この三年弱の間に、私は右肩を2回脱臼し、右肘を骨折し、左肩を骨折し・・・と、お祓いレベルの怪我にみまわれている。

 自分のことは自分でする・・・それが叶わない時には、素直に誰かに助けてもらい、感謝する。これが、父子家庭で育った私にはかなり苦手で、これから迎える老年期を前に、猛特訓させてもらっているのだろうか。

 病院の皆様、夫、ここで覚え書記事を見守って下さった皆さん、

 言葉以上の気持ちをこめて、ありがとうございます!