微塵の躊躇もいらないのね

 今年は空や街路樹、道脇の草花の鮮やかさにハッとすることが多かった気がする。外出を控えたり、マスク着用で視野を狭くしているからだろうか、ふと目に留まる美しさが心に沁み入ってくる。

 紅葉の季節を迎えている。モミジの赤、イチョウの黄はもちろんだが、この数年、私は桜の落葉が楽しい。エンジ色の大きめの葉が落ちて、桜並木に降り積もった葉は、通りかかり、踏むと、ぱりり、とポテトチップみたいな乾いた音を立てる。乾いた、清々しい音だと思う。

 バスを降り、傾き始めた柔らかい日差しの中を歩いていて、もしやと、今まさに通り過ぎようとしている桜の枝を注視する。

 あ。やっぱり。米粒くらいの蕾がもうあった。

 数年前のお正月に見つけたのだが、むき出しの枝のそこここに小さいながらしっかりとした蕾があるのに気付いて、驚いた。今は12月だが、もう蕾がついていた。一体何時から準備は始まっているのだろう。まだ葉を落としたばかりなのに、春へ歩みだしている。

 私は何でもひと区切りとばかり終わりを意識しがちだけれど、自然界は常に次のステージへ進むこと、始まりしかないのかもしれない。

夫はこの24年をどう思っているのかな

 明日は結婚記念日だ。が、私はこういうイベントに演出が出来ない。気の利いたプレゼントも選べないし、料理も腕がない。二人で美味しいものをと思っても、普段通ってる回転寿司やおうどんといったB級グルメ好きだし、平日では翌日の夫の仕事が気になって寛げない。せめて食後にケーキでもと思っても寝る前に胸焼け胃もたれが懸念されるお年頃である。結局、「特別なことしなくていいよね」と夫に念を押しておくのだ。

 こんな調子で24年がたつが、子どもがいないからだろう、時が止まったような感じがしていて、結婚式の日をすんなりと思い出せる。

 以前も書いているかもしれないが、へそ曲がりな花嫁の父の反対を何とか凌いで、交際5年半にして結婚式にたどり着いた私。当日はもう嬉しくてホッとして、高砂の席でずっと微笑んでいた。花嫁の手紙も読まず、涙目の父に大きな花束を渡して、披露宴を終えると、夫の入社同期の数人と居酒屋で和やかな二次会。

 午後十時に店を出ると、雪が舞っていた。街のそこここにクリスマスツリーが瞬いている。空を見上げながら、

「ねえ、もう夜遅くに帰っても誰にも怒られないんだね」

「そうだよ」

「おんなじ家に帰れるんだね」

「そうだよ」

あの時の開放感、万能感は生涯忘れられないだろう。あの日、第二の人生が始まった。

 その夜は披露宴をあげたホテルで眠り、翌朝生まれて始めての海外旅行へ。スーツケースを引いてロビーからエントランスを出ると、真っ白な世界が広がっていた。

 結婚式の日のことで、もう一つ今も心にあるのは夫の言葉だ。

 司会者さんが新郎新婦にインタビューの時間に。

司「今日のお相手をご覧になって感想は?」

夫「白いです」(布量の多いウェディングドレスだった)

私も真似して「白いです」(夫は私に合わせて白いタキシードだった)

「どんな家庭を築きたいですか?」

夫「強い家庭です」

司「え、強い? 明るいとか笑いの絶えないとかじゃないんですね。新婦は?」

私も「強い家庭です」

と会場が軽い笑いになるよう答えをかぶせた。

 その時は深く考えなかったが、ヘンな答えだなとは思っていた。

 その後、夫婦二人の比較的平穏な生活にも、当然だが大波小波があった。家族の病気や死去、車の盗難、事故、仕事上の厄介ごとや小さな自治会トラブル、私の父の素行不良と認知症、エトセトラエトセトラ。

 あれは結婚して十年くらいの頃か、父が軽度の認知症になり、骨折入院中の病院で暴れて、泊りの付き添いが必要になった。大腿骨がきちんと直らないと、父は寝たきりになってしまう。固まるまでの三週間、油断がならない。私ばかりでは体を壊すと、夫が交代で泊まると譲らない。で、そのようにするが、夫は泊まった翌朝、病院から出勤することになる。朝、私が交代のために7時に行くと、目の下に隈の出来た笑顔を作り、よれたワイシャツで夫は病室を出て行った。ふと見ると、サイドテーブルにペットボトルのホットミルクティとレジ袋には病院向かいのパン屋さんのまだ温かいパン!!慌てて携帯電話をかけ、

「アナタ、朝ごはんを忘れて行ってる!まだ電車乗ってないでしょ、私今から持ってく、駅で待ってて!」

「ちがうよ、それ、キミの朝ごはん。あったかいうちに食べなさい」

私は打ちひしがれた。

 私と結婚したばかりに夫はこんなにも苦労を強いられる。離婚と言う選択肢もあるというと、夫は

「何言うてるんや、当たり前のことや、二人で何とか出来るやないか」

と揺らぐ様子がなかった。三週間後、父はしっかりと自分の足で歩き、徘徊するまでに回復した。

 その後も、何かあるごとに、すぐに嘆く私と違い、夫は一歩も引かず私の手をしっかりと取り、むしろ立ち向かうようだった。

 いつしか私はあの言葉を浮かび上がらせるようになっていった。

 「強い家庭」とはこういう意味だったのか、と。

 何かある毎に、夫は強くなる。

 近頃は比較的凪いだ夫婦の暮らしも、この夏私が脱臼した際には、夫の行動力と細やかな気遣いに改めて圧倒された。

 こんな夫と私は釣り合っているかしらと、いまだに自信がない。夫婦のことは夫婦にしか分からないなんていうけれど、夫婦にだって分かるもんか(笑

そう簡単に壊れてなるものか

 スクーターの自賠責保険を継続すべく、なじみのバイクショップへ向かう。

 期間は1~5年が選べる。2年なら8950円、3年で10790円。どちらにしようかな。スクーターはほぼ毎日使う。今までもそうだったし、これからもそうだろう、割安な3年くらいが適当だな。

 しかし。

 前回の手続きをした3年前を思い出した。ちょうど平成の天皇陛下の退位が話題に上り始めた頃で、ショップの方が保険期間を書類に記載しながら、

「・・・平成32年まで・・・、平成32年ってあるのかしら」

と仰っていたっけ。果たして令和2年と相成っている。

 お店に入り、まず消毒スプレーをお使いくださいと勧められ、今回交わした会話は、互いにマスク越しの「こんな事態になっちゃって」「ねぇ」だった。

 未来は予測不能に決まっているが、本当に思いがけないことになる。

 3年後の世界はどうなっているか、私達夫婦は大丈夫だろうか。どちらかの身に何かあったりして・・・。2年にしておこうか。いやいや、3年後も今と変わらず二人でバイクに乗っていられますようにと願を掛け、令和5年までの保険にした。

それは誤解じゃない

 行きつけの美容院が十周年記念にエコバッグのプレゼントを行っていた。

 紺、キャメルベージュ、ライトグレーといずれも落ち着いた三色。お好きな色をどうぞと言われ、え~っと、明るい色がいいな。

「グレー」と声にしかけた一瞬先に店員さんに、

「紺かベージュかな」

と言われ、言葉が詰まった。思わず店員さんの顔を見る。店員さんはにっこりと、

「○○さんのイメージからするとこの二色のどちらかでしょう」

と続けた。

 私のイメージってどんな・・・。どうしよう。「グレー」と言って驚かせようか。が、期待を裏切りたくないような気持ちになった。紺かベージュか・・・紺のほうがいいけど、ええい、いっそ。

 「ベージュを」

「やっぱり。もうイメージ通りだわぁ」

 紺とベージュ・・・保守的で地味といったところかな。

 自分が思う自分と他人が思う自分にはズレがある。人が見ている自分はある意味、自分の本当の姿だ。世界が自分をそう見ている、自覚できないところで滲み出ている自分の姿。

 一体自分はどう思われているのかと複雑な気がしないでもないが、今回私は嬉しかった。美容師さんが私のイメージを持ってくれていることが。十年のお付き合いで育まれたものがあるということが。

同級生ゆえに苦くて

 同級生の夫とは例えば中学時代の先生のこととか話がすんなり通じて便利だと、前回書いた。ほぼ利点ばかりだが、時々ふいに思い出して胸が痛むこともある。
 37年経っても切ない。
 中学三年の秋の早朝のこと。私たちは吹奏楽部で、その日は県の吹奏楽イベントに出演予定だったが、台風接近も懸念されていた。予定通りなら6時45分に学校前に集合し、バスに乗って現地へ。
 起きて窓の外を見ると、雨も風もわずかで薄日が差している。いってきまーすと玄関を出、団地の階段を下りきった所に、夫が立っていた。夫の家は徒歩圏内とはいえ通学路はまるで違う。しかも、なんといっても片想い中の相手である。それが私の家の前に来ているのだから、どれだけ驚いたか。
「・・・なんで??」
「今日はイベント中止だって」
「・・・え、あ、そうなの。でも、なんで・・・?」
「連絡網をさ、〇〇君がお前んとこに回そうとしたけど、電話がつながらないって俺にかけてきたから」
 私は言葉が出なかった。父子家庭の我が家、父親は職転々としていて経済的に苦しかった。電話料金が滞って、回線を一時的に止められることが度々だった。
「わざわざ、来てくれたの・・・」
「だって、知らずに学校行っちゃうだろ。じゃあな」
 それだけ言って帰って行った。
 恥ずかしかった。
 次の日も、その後も夫は何も言わなかった。
 夫はそういう人だ。
 私は今だにあの朝を時々思い出してしまう。その度ほんのり苦くて口に出さない。
 一度だけ、持ち出したが、夫は覚えていなかった。
 たぶん、本当に忘れてしまっているみたいなんだけど。それならいいんだけど。