<私の浄心行-7>

<只今セルフ心理療法中です、読むと重たいと思うので遠慮なくスルーして下さいね>

 

 夫は、学生時代ずっと留守中に無断で自室に入られ、勝手に物を捨てられ、それを問うと白を切られ、怒ると「買ってやったのは親だ」と逆ギレされた親に、特別反抗するでもなく育った。

「えらいね」と私が言うと、夫は「許してはないよ、むしろ根に持ってる、今でも。この家には子どもの人権がないと思った。ただ、親父もお袋も子どもへの愛情は深かった。だから、ああこの人らには悪気はないんや、価値観が違うんやなと分かって。どこまで行っても理解し合えない。”アンタとは平行線”って言葉をお袋はよく口にしたな。学校でイジメを受けてても親に言わない子の気持ちがよく分かる。親に言っても伝わらないから」。
「私は学校の事全部お父さんに話してた、不良グループに絡まれたこととかも。私がもしやり返して相手に怪我をさせてもいいかって訊くと、お父さんは”おう、思い切りやれ!責任はお父さんが取ったる”って。だから私は何も恐れずに堂々といられた」
「それは幸せな事だよ」
 …そう。だから今まで気持ちを片付けられないできた。


 物事は”良い””悪い”に分けてしまえない。入り交じって境目がない。
 中学時代、父は一番の理解者で味方だった。けれどちょうどその頃にこんな事があった。父は生活費に困ると時々サラ金から10万円程度のお金を借りた。たかが知れた額だが、返済が遅れると家まで取り立てが来る。はじめは私や弟が「お父さんはいません」とドアを開けたが、そのうち父が私達に「出なくていい」と居留守を教えた。あるお正月、取り立てが来た。父と弟と私、コタツに足を入れたまま息を殺す。コンコンコン、コンコンコンと玄関扉を叩く音を聞きながら、私はふと考えてしまった。今年はお節どころかお餅もない、なんて哀れなお正月だろう…。思わず涙がこぼれ落ちた。すると、父が不機嫌になった。怒った。仕方ないやないか、それなのにお前は嫌味なヤツだ、と。私は慌てて父の機嫌を何とか取りなそうとおろおろした。
 父も子に泣かれて辛かったのだろうが、子が泣くのは尤もな状況で、その泣いた子に怒るほうが間違っている。理不尽だ、とあの時の父へ抗議したい気持ちが宙ぶらりんに残ってしまっている。
 父は良い親だったのか、悪い親だったのか分からない。子どもだった私にはこの父がこの世で唯一の拠り所で、この人しかいなかったのだ。


 そうそう。この頃考えた事。私が大人になったら、だれが来ようと居留守なんか使わず、お母さんが昼間いつも居る友達のお家みたいに、玄関の鍵は閉めず、子どもが「ただいま~」って帰ってこられる家にしたい、と。しかし時代は変わってしまった。在宅していて玄関扉の鍵を開けたままにしておくのはちょっと物騒な世の中になって、私の抱いた夢は結局叶わなくなってしまったな。