<私の浄心行-8>

<只今セルフ心理療法中です、読むと重たいと思うので遠慮なくスルーして下さいね>

 

 職を転々とした父。2、3か月勤めた会社にある日行かなくなる。大抵は人間関係が煩わしくなって辞めてしまう。すると中途半端乍ら何日か分の給料が発生する。もう関わりたくないけれどお金は要る。そこで父は私に取りに行かせた。そういうことが何度もあった。当時の私は、父の会社に対する不満を聞き知っていて、父と同様にその会社に憤っていたし、むしろ胸を張るくらいの気持ちで父のお使いを務めていた。これは私にしか出来ない手助けで、私と父は運命共同体だというような。
 小学5年生の時、ある会社へ行くと、父から話に聞いていた嫌な上司から「給料はお父さんに直接渡します、こちらもお父さんと話したい事がある、だからあなたには渡せない」と穏やかな口調で言われた。私は焦った。お使いは失敗になるし、そのお金がないと困る、どうしよう。言葉も出ず、立ち尽くしていたら、ボロボロと涙がこぼれてきて、泣いてしまった。結局その涙に慌てた上司はお金を私に渡してくれた。
「今思うとね、あの上司は別に嫌な人でもなかったんだよ、言ってることは至って全うだった。うちのお父さんのほうが悪かったんだと思う」
 こんな出来事を思い出したのはつい数日前で、忘れていたということは、私の中で余程嫌な事として葬っていたのだろう。夫に話してしまった。
「こんな事アナタにこぼしてるけど、うちのお父さんが滅茶苦茶酷い親だったかといえば、別に子どもを殴ったわけでもなく、ギャンブルにおぼれたわけでもない。でも、良い親だったかと言われると、…子どもにあんな事させちゃ駄目だよね、自分が矢面に立たずに、さ」
「う~ん…、お義父さんは虐待とか異常な親じゃなかったけど、普通ではなかったよね。子どもを守るために嫌な事を我慢するとか出来なかったのかな…、お義父さんは弱かったんだよ」
「そう、弱かったんだと思う。お父さんの弁護をするなら、まさか妻に先立たれて一人で子どもを育てることになるなんて思ってなくて、自身も父母のあ愛情を受けられずに育って、だから、心が弱かったんだろうね」
 
 父の事をこうして書きながら思うことがある。今現在子どもを育てている人も既に育てた人も、ほとんどの人が当たり前のように行っているけれど、それはすごい事なんだと思う、お子さんを飢えさせず、辛い目に遭わせず。
 人が成すべき最も重大な使命は、子を産み育てることだと私は考える。種の保存の為の本能として備わっているし、生物は皆疑問など持たずに行うことで、避妊や不妊を思い煩うのは人間だけだ。そして私は子どもを欲しいと思えないまま生きてきてしまった。理由が自分でも分らず、度々考えてきた。恐らくは私自身の心の未成熟ゆえだろう。父を見て育ったからかもしれない。私は夫に先立たれて一人になっても育てると思えるほどの覚悟は持てなかった。子どもの心を傷付けずに育てる自信がない。子を持たないことが父への復讐だったのかもしれない。本当のところは分らない。いずれにせよ、いつも私は思う、子どもがいなくて良かった、私には到底育てられなかったと。
「子どもが欲しい?」と夫にはこれまで何度も訊いた。欲しくなったら考えようと夫は言ってくれた。そろそろ私が生物的タイムリミットだけどと言った時も、夫は「キミがいいなら俺は子どもがいなくてもいい。ただね、歳をとって俺が先に死んだら、キミが寂しいんじゃないかと思ってる」
 結婚する時から私はある覚悟を持ってきたつもりだ。もし夫が子を望み、別の人との人生を選んでも仕方がないと。
 私は夫のご先祖様方に恨まれてるだろうな、このままだとこの優しい夫のDNAを絶やしてしまうのだから。