<私の浄心行-6>

<只今セルフ心理療法中です、読むと重たいと思うので遠慮なくスルーして下さいね>

 

 ずっと迷いながら書いている。子供の頃の辛い出来事なんて公開してどうする? 読んだ人だって気が重くなるか好奇心を抱くか、いずれにせよ良い気持ちにはならない。お付き合い頂いて本当に申し訳ないと思う。けれど公開にすることで私は冷静に見つめることが出来、貯め込んだ負のエネルギーが出ていくように感じる。非公開では抱えたままと変わらないような。
 誰しも程度の差こそあれ辛い記憶を抱えている。
 例えば夫は、夫の家族は仲が良く見える。夫の両親もそう思っていただろう。経済的な問題はなく、夫も両親の愛情に包まれ、おおむね穏やかに育てて貰ったと考える。しかし幼い頃から両親に勝手に玩具や持ち物を捨てられ、その事を問うと嘘で誤魔化され、怒りをぶつけると、両親は「あんたがおかしい」と押さえつけた。俺がおかしいのか?……夫は自室で泣くしかなかった。夫の両親、特に父親は、話し合いということが出来ない人だと私も感じた。噛み合わないのだ、論点のズレた返事が返ってくる。それは自分が優位に立つ為の論でしかなく、分が悪くなると「お前親になんて口を利く、おかしいんじゃないか」で打ち切ってしまう。私と付き合いだした時、夫は「やっと普通に話せる、俺の言いたい事が理解される」と安堵していた。夫が物を捨てられず仕舞い込むのはトラウマのせいだろう。大きな心の傷だったのだ。
 経済的な苦しみと、心が通じ合わず親に否定される苦しみと、どっちがマシかなんて言えない。むしろ私は大人になるまで父とは心を通わせていられた分、幸福だったと思える。トンデモな父だけど、私は一度も勝手に大切なおもちゃを捨てられたことなどない。


 この”吐き出し”のきっかけをくれたお隣のSさんが興味深い本を貸してくれた。30代で脳卒中を起こした女性脳科学者が、自らの体験を綴ったもの。内出血で左脳の機能が失われた時、どのような状態だったか。左脳は言語や認知、時間空間に基づく順序立てた論理と思考、記憶の時系列などを司る。これが働かなくなると、自分の意識や肉体と外界との境目が分からなくなり(これはこれで宇宙に溶け込み抱かれたような幸福感を感じるらしい)、自分が何者だったかも思い出せなくなる。この時、自分という人物、左脳の思考というものが『膨大なエネルギーを要するたくさんの怒りと、一生涯にわたる感情的な重荷を背負いながら育ってきた』ことに気付き、左脳の死に大きく救われた気がしたという。
 これを読み、ああ私はまさに左脳を負のエネルギーでぱんぱんにして成長したのだと思い至った。母に次ぎ父までもある日失う可能性や、貧しさの苦痛と不安、負けるもんかという社会に対する闘争心。
 こんなもの全部捨ててしまいたい。鎧を脱ぎ、夫に、世界に、柔らかに触れていたい…。
 書き始め、吐き出し始めて2週間、ずっと父や生い立ちに思いを巡らせている。あんな辛い事があったと口に出せるようになって今、情けなさと同時に少し荷が下りた感がある。やはりもう少し向き合ってみようと思う。

 

 小学6年。中学受験する同級生を見て、父は私にも受験するよう言った。父の見栄である。しかし学校で申し込む模試の3000円ほどが払えない。見かねた担任がポケットマネーで立て替えてくれた! 塾などのお受験対策もないまま試験当日、親子面接にも父は来ず、私は一人で受けた。不合格で公立中学へ。ここで夫と出会う。
 中学時代は経済的に波が激しかった。制服も毎春の教科書代もいつも支払いが遅れた。ある日父が蕨を摘みに行こうと言った。住んでいたのは山のすぐそばで、蕨の季節だった。蕨を摘んで、お揚げさんと炊いて夕飯のおかずにしないと、今夜食べるものがない、と。私は学校を休み、喜んで父についていった。うららかな陽気の日、父は「ウルシに気を付けろ、お前は肌が弱いから」と庇われ、浅い川を父と石を飛んで渡った。この記憶を楽しかったとするか、可哀想だったと憐れむかを決めかねている。