<私の浄心行-4>

<只今セルフ心理療法中です、読むと重たいと思うので遠慮なくスルーして下さいね>

 

 50歳も目前の今頃になって、男手一つで育ててくれた父への恨み言を綴ることを、我ながら可笑しいと思う。けれど今だからこそ言葉に出来るようになったのだ。それほどに私と父とは結びつきの強い親子だったから。
 父が悪人だったわけではない。我が儘ながら男としては気骨も茶目っ気もあり、面白い人物だろう。が、親としては。

 弟は朗らかで活発で友達と外を遊びまわっていたが、お父さん子だった私は内向的だったこともあり、膨大な時間を父と過ごした。あらゆる事を語り合い、生き方の核となるような大切な事を教わった。
 幼い頃の私は実にウジウジと弱虫で嫌な子だった。友達に仲間外れにされたり、喧嘩をしたりしてべそをかいて帰ると、父は私に「泣かされて帰ってくるな、やり返して来い!」と怒鳴って家からたたき出す。私は仕方なく友達の所へ戻り、背中をバチンと殴る。友達は驚いて「何すんの、アンタのお父さんに言いつけたるっ」。「そのお父さんがやり返して来いって」「・・・」  気の合わない人間に媚びてまで群れるな、一人でも毅然としていられるようになれ、と父は言った。
 自分が正しいと信じることを通す覚悟。父という理解者がいたことで、小学校時代は弱腰だった私が、中学入学と同時に変わった。私がガリ勉優等生ぽくて気に入らないと不良グループに目を付けられ、イジメの対象になりかけたが、私は殺されても屈しないつもりで、なじられればなじり返し、小突かれては小突き返し、その足で職員室へ直行して担任教師に被害を訴えた。結果、「コイツめんどくさい」と言われ、以後手を出されなくなった。もし私に子どもがいても、恐ろしくて同じようには育てない。それが証拠に、父でさえ、私の学校での小競り合いの様子から密かに心配していて、卒業式を控えたある日、「お前、お礼参りされたりせんか」と訊いてきた。
 中学の同級生だった夫はつぶさに見ていて、私を諸刃の剣と喩えた。刃は高校へ進むとすぐに要らなくなり、むしろ無用の長物、尖った部分が知らぬ間に周りに当たるのを持て余し、今に至る。
 父のおかげで強くなった。父を尊敬する私がいる。しかし、父との生活は経済的に不安定で、辛い事が沢山あった。それを振り返ることが出来るようになったのは、親元を離れてからだ。
 まず大学で一人暮らしを始めたこと。仕送りはハナから当てにできない。台所トイレお風呂共用の格安学生アパートへ入り、入学式の2日前にアルバイト先を決めた。経済的に一人で生きられるようになった時、私と父を繋ぐものは何かと漠然と考え始めた。
 大学4回生22歳で夫と再会し、付き合い始めた時、夫が「お父さんが羨ましい」と言ったぐらい、私はまだお父さん子だった。しかし心の支えが父から夫へとウエイトを移し始めた。親離れか。父は寂しくなっていったようだ、次第に私達の交際にいい顔をしなくなり、帰りが遅い、口の利き方が悪くなった、云々、何か端緒をつかんでは私を叱り、交際を反対するようになった。夫は大学を卒業し、就職する頃には認めて貰えると気長に構えてくれ、なんとか式の日取りが決まった。が、父はその後も気に入らないことがあると「親の認めない結婚は不幸だぞ、結婚式に出てやらんぞ」と私を脅した。
 この頃父は言った、オヤコってなんや、と。父の寂しい気持ちを理解しないといけないかも知れないが、この頃の私は一気に父への不満を抱いた。私だって思った、オヤコってなんや、子は親の持ち物じゃない、と。