あきのひはつるべおとし

 霜月、か。

 旧暦に基づく呼称なのに、この頃の冷えが当て嵌まる。寒くなってきた。

 今年は寒さ以外に、今の気候が身にしみる。一年前のこの時期だったから、ゆさが逝ってしまったのが。

 ゆさは十三年半一緒に暮らしたウサギさん。最後の二ヶ月は体の自由が利かないゆさのケージの前に毛布を敷いて夜を明かした。・・・こう書くと、自分が甲斐甲斐しいことをしたようだが、違う。ゆさは手のかからない、こころの真っ白な清らかな男の子で、甘え、救われていたのは私だった。

 この一年、ゆさに愛想をつかされ、見捨てられてしまったような心持がしている。あんないい子を、私は大事にしてあげなかった。もう一度逢いたい。逢って謝りたい。でも、出来れば戻ってきてほしい。もう一度チャンスが欲しい。

 六歳で母を亡くし、そんなこと叶う訳がないと誰よりも骨身に沁みて知っている私が、今五十歳を過ぎて切実に思わずにいられない。誤解も軽蔑も恐れずに正直に言ってしまえば、二年前に父が亡くなっても悲しくなかったのに、ゆさの不在は辛くてたまらない。ウサギを飼っている人のブログを覗くと、癒され、微笑ましいと同時に、羨ましくて妬ましくて。性格悪い。でも本音だ。

 この世には取り返しのつかないことがある。そんなこと分かりきってるのに、ねぇ。

 我が家猫のアポロの瞳を覗き込んでいると、異次元に繋がっているように思えて、

「アポロ、ゆさを呼んできて」

「ゆさをつれて帰ってきてくれ~」

「ゆさに、ごめんねって言って」

などとこの一年に幾度となく懇願してしまった。

 そのアポロは九年前のちょうどこの時期、十一月の頭からの付き合い。長くなった。

 うちの庭にある朝気付くといた。右耳にV字の切れ込みのある地域猫だ。極度に警戒心が強い。一生慣れることはないと思いながら、餌皿を置き始めた。それから少しずつ少しずつ信頼を築き、ゆっくりゆっくり家族になってきた。現在進行形で、これからもっともっと。

 体は小さく、魂は大きい。ゆさもアポロも宇宙より大きな存在だ。未熟な私は教わり続け、至らぬままに死んでいく。それはきっと幸せなことだ。

季節を猫の居場所で感じる

 今月も8日になってようやくカレンダーを捲った。今月も可愛い。f:id:wabisuketubaki:20201008085108j:plain

 猫マンガ作家、卵山玉子さんの『うちの猫がまた変なことしてる』のカレンダー。

 もう10月。コロナの影響か、季節感がいつもと違う。春をすっとばして長い長い梅雨になり、突然猛暑がきて、急に肌寒くなった。

 彼岸花金木犀も咲くのが1週間くらい遅かったのでは? 佇まいや匂いといった存在感が例年より淡いような・・・。

 それでも。季節は進んでいく。

 猫は一番居心地のいい場所を知っていると聞く。

 夏からついこないだまで、2階のベランダのそばや、居間のフローリング、寝室の畳で寝そべっていたが、近頃はお座布団に乗っている。

 夜は座椅子で寝ていたのに、3日ほど前から夫の掛け布団の足元で丸くなっている。夜中、寝返りをうつ夫に蹴られながら。

 暑いのと寒いのと、どっちがマシかと、子供の頃から半世紀近くも繰り返す、そんな季節が今頃だ。

空き箱さえも気遣いの国

 チョコレートや焼菓子が好きで、時々背伸び気分で外国のお菓子を買ったりする。
 食べたことのない初めてのパッケージをわくわくと開封・・・・・が、これがなかなか開けにくい。開け口が分かりにくかったり、うまく開かなかったり、そもそも開け口のミシン目がないものも。
 いや、普通なのだ、こんなもの、これで十分な筈。
 しかし、こんな時、日本のお菓子のパッケージの親切ぶりが身に沁みる。
 例えばクッキーの箱。
 スムーズにミシン目に従って開く外箱。開け口は開閉を繰り返せるよう、差込口が用意されている。
 中袋も、切れ目が入りやすく作られていて、矢印が方向を指示してくれている。 
 食べた後は、捨てるのに箱が嵩張らないように、畳むためのミシン目もある。そこへ指を押し当てれば簡単に開く。
 十年以上も前のことだ。M社のビスケットの外箱に、この捨てる際用のミシン目を発見した時、
「ちょっとサービス過剰なんじゃないの、いくらなんでもやり過ぎよ」
と思ったものだ。
 ところがその後、自分がリウマチになり、指先が痛み、上手く動かせなくなり、手の力も衰えてみると、その心遣いがとても有り難く、助かるのだ。ミシン目の有り無しがストレスにさえ感じられるほどになっている。
 以来、何かの蓋が固かったり、機構的に開けにくかったりすると、
「ちょっとちょっと、こんなのお年寄りや手の力の弱い人には無理よ」
なんてぶつくさ言っている。
 先々月に脱臼して不自由を味わった時といい、身をもって不具合を感じないと、差し出された親切に気付けないなんてと情けなくなる。
 ともあれ、日本は思い遣りがそこここに溢れた国だと思う。

なんだろう

 ちょっと、驚く光景だった。
 それは朝六時過ぎ、出勤する夫とバイクに乗って駅へ向かう途中だった。
 静かな住宅街の前方を、男性と女性が歩いていた。
 後ろからだから表情は見えないが、二人共細身で、背筋はしゃんと伸びていて、男性はグレーのスーツ、女性はベージュのワンピース。後頭部の白髪の交じり具合から、六十代と感じた。
 ご夫婦ではないかと思う。並んで、黙って歩いているのだが、驚いたのは、二人が、つないだ手をぶんぶんと揺らして振っていることだった。
 高齢のご夫婦が手をつないでいるのを見た事がないわけではない。だが、はしゃいだ様子もないのに、つないだ手をあんなにぶんぶんと振っている中高年は見た事がない。
 通り過ぎた後、夫に肩ごしに声をかけた。
「ね、なんであんなに手を振ってるのかな」
「ああ・・・」
「ちょっとびっくりしたよね」
「うん」
「一種異様にも見えたんだけど、でもね・・・なんかすごく羨ましい」
 あと十年ぐらいして、何か余程嬉しいことがあった時に、私も夫とあんなふうにつないだ手を振りたい、夫は手をつないでくれるだろうか。思い切って、夫に正直な感想を述べておいた。それは、今日の私の願望をいつか叶えてねという布石であった。夫は覚えていてくれるだろうか。

脱臼、の喉元。〇〇始めました

 喉元過ぎれば・・・の典型、ああ私はつくづく俗人。
 脱臼で味わった不自由、回復につれて取り戻す当たり前の日常動作。毎日が楽しい。
 ・・・と書いたのは、つい十日前のことなのに、この数日、ウキウキした感じが消えてしまった。認めたくないけれど、普通のことが普通に戻ってきている。
 もったいない、残念でならない。
 一年ぶりくらいに夫の手作り弁当を再開し、張り切っていたのに、ルーチンになりかけている。
 せっかくのあのシアワセな気持ちを、自分で生み出そうと考えた。
 で、決めました!
 一日一新。
 今日から、毎日、新しい事、初めての事をする。
 作った事のない料理や、掃除の順番を変えることだったり、どんなに小さくても新しい事をやってみよう。
 手始めに今日は、駅前の喫茶店でパフェを食べた。
 そんなこと? と言われそうだけど、私はこれまで滅多に一人で飲食店に入れなかったし、パフェは大好きだけどカロリーと値段が気になって手が出なかった。
 それを、思い切って、明日死んでもいい様にと・・・・そんなに大げさな事か?と笑われるけど、それぐらい思い切らないと、私はその店のドアを押せなかった。
 何年も、前を通る度ずっと気になっていたお店のパフェを食べた。
 結果は、惨敗である。
 フルーツてんこ盛りのミニパフェは、上のフルーツが邪魔で、大好きなアイスクリームが食べづらく、そのアイスは少なく、沢山入ったコーンフレークがホイップクリームとチョコソースにまみれたのをわしゃわしゃとスプーンですくって口へ運んだ。そうこうするうち、お店が混んできて、一人客の私は伝票を掴んで急いでテーブルを立ち上がった。
 なんともアイスクリームを食べたりなくて、余計にもやもやして、マクドナルドへハシゴしようとしたら、ここも外へ行列が伸びるほど混んでて諦めた。
 私は物心ついて以来、アイスクリームが大好きだ。真冬の屋外で、ソフトクリームを3本食べても満足しないし、お腹も壊さない。レディボーデンのマルチパックを一気に食べる自信がある。勿体なくてしたことないけど。死ぬまでに一度、バケツ一杯のアイスクリームを食べて、「ああもう食べられない、ギブアップ」と言ってみたい。つまり、生まれてこの方、アイスを食べて満足できたことがない。ああこの夢もいつかかなえよう。
 今日の挑戦、結果は好ましいものではなかったけれど、やってみて初めて分かることだし、これで心残りが一つ消えた。やってよかった。
 さあて明日は何をしようかな。私って恥ずかしいほど暇人だ^^;