5つの願い、それは欲望でもあって

 灯油は重い。18ℓポリタンクをスクーターに乗せて買いに行くのも厄介だから、巡回販売車でお世話になっている。
 毎週月曜の正午頃だ。雪やこんこのメロディが聞こえてくると玄関へ走る。あらかじめ出しておいたブルーのポリタンクを見て、うちの前に販売車が止まってくれる。運転席から30歳手前位のオニイサンがひらりと降りてきて、会釈ひとつ、手早く灯油を注いでくれる。

 ごく短い手持無沙汰の間に私は財布を覗く。灯油の値段は週毎に違い、今回は1,790円。手元の小銭は100円玉ばかりじゃらじゃらだ、なんて確認している足元へタンクが返ってくる。千円札1枚と100円玉を8枚を差し出すと、オニイサンは顔をほころばせ、
「うわあ~助かります、100円玉がなくて困ってたんです」
「えっそうなんですか、私はまた小銭いっぱいで申し訳ないなぁと。そうですか、いやよかった~」
なんだか私まで嬉しくて。
 オニイサンを見送り、踵を返して、ふいに思い出した。

 ”ひとの5つの願い”っていうのを。
 認められたい、褒められたい、愛されたい、自由になりたい、役に立ちたい。

 たまたまの小銭の持ち合わせなのにまるで自分の大手柄並みにほくほくしている自分が可笑しかった。
 いい意味で、ひとってなんて小さくてシンプルで素直なんだろう(笑
 いつだって何でだって簡単に幸せになれるし、逆もまたしかりで(苦笑

 今朝、年内最後の燃えるゴミを出しに表を歩くと、きりりと門松を飾ったお宅から、灯油ヒーター独特のぬくい燃焼臭にお正月を感じました。ふしぎですね、うちだって灯油ヒーターはずっと点けっぱなしなのに、分からない、何も感じない。
 大好きな向田邦子さんのドラマの冒頭で、昭和初期の子ども時代を振り返って「毎年お正月は寒かった…別にお正月だけが寒かったわけじゃないだろうに…云々」のナレーションがあるのですが、今年はまさに寒い年の瀬、お正月を迎えますね。
 除夜の鐘をきいた途端、生まれ変わる訳ではない、今年のやり残し積み残し心残りもいっぱいですが、み~んな抱えて、続きは来年!

 これを読んで下さっている皆様、本当に、ありがとうございました。
 月並みですが、皆様にとってこの年末年始がよきリフレッシュとなりますように…

50歳から生き直す心と体

 今年もあと1週間で終わり Σ(・ω・ノ)ノ!
 もう驚くばかり。だが、だ。大晦日へ向かって怒涛のスパートがかかっているのを感じながらも、私はのん気になってしまっている。今月50歳の誕生日を迎えた、つまり半世紀を生きた今年という年に、私は物心ついてから初めての解放感を体験している。背負うもののない、身軽な感じ。

 まず、先々月の記事”浄心行~”に書いた通り、昨秋の実父の逝去から一年が過ぎ、私の中にわだかまっていた生い立ちの辛さを吐き出してしまうことができた。

 次に、今年5月、舅の急逝。17年前に姑が亡くなってから一人で暮らしていた舅も80歳になっていた。この父とは私だけでなく息子である夫も会話がかみ合わず、イライラすることの多い関係で、この上認知症になったら…と夫婦で話していたが、それは表面的な事、そろそろ一緒に暮らす頃かと考えていた。ところが思いがけず、ある朝目を覚まさなかった父。夫に兄弟はなく、手続きで揉めることもなく、次のミッションは納骨と一周忌。

 2年続きで喪中で迎えるお正月。年賀状で焦らなくてもいいし、お節の準備もなし。姑亡き後は毎年舅の為に最低限のこと・・・年越し蕎麦、お雑煮、舅の大好物のお煮しめをメインに元旦の食事作りだけは行ってきたが、「もう要らないんだねぇ」と私は夫に呟いた。すると、心の中心より少しズレた辺りに中くらいの穴がぽこりと空いた。肩の荷が下りたと喜べるかと思ったら、役割を失った無力感がそこに漂っていた。

 いろいろと落ち着いていく感じは精神面だけでなく、体にもあった。
 左足甲と指5本の関節を手術したのが昨春で、もうとっくに癒えていたつもりでいた。しかしそれは傷口だけのことで、ひと月ギプスで固めた左足は勿論、安静を余儀なくされた全身の筋肉も衰えてしまっていたし、左右のバランスが悪くてすぐにふらついていた。まだまだだったという事を、最近てくてくスタスタ歩けるようになって気付いた。時を待たねばならない事もあるのか。

 体には他にも大きな変化があり、実はこの事に一番驚いている。体重減!
 身長153~4cm、体重はこの20年程47~49kg辺りを推移、中肉中背というか中肉小背というか。丸みを帯びた日本人体型を気にしつつも長年これできた。いやこれでもマシになったのだ、高校大学の時なんか50kg以上あったんだから。大好物の甘いお菓子は絶対に食べたくて、その分食事を控えてでもチョコレートを口にする。運動しないし、ダイエットするほどの意識も持てず、体重をキープするのが精いっぱい、贅肉がそう簡単には減らない事はもはや人生哲学となっていた。
 それが、舅の葬儀が落ち着いた夏からじわじわと減り、41kgに。一体どうした事だ?? 省みるに、確かに食欲は減っていた。いやお腹は空くし、食いしん坊だし、今も変わらず毎日チョコレートは食べているんだけど、これまでなら食べ過ぎていたところが、ある程度食べたら歯止めが効くというか。

 私はストレスで食べるタチだったんだろうな。子ども時代の飢餓感…は言い過ぎ?…に加え、特にチョコレートは忙しい時、追い詰められた時ほど欠かせない。祖母の通夜の日に矢も楯もたまらずチョコレートを買いに走った事があったっけ。

 身の上が片付いて、余計なものが落ちて。心は体の表れか。

 箪笥の底にずっと、一本だけ、中学生の頃に履いていたジーンズが取ってあった。高校入学以後太り、到底履けなくなったものをなぜ残していたのか不明だが、今これを履いている。中学時代の同級生である夫に「ね、これ、当時アナタも見たことのあるジーンズなんだよ」。

 ひとは還暦で赤ん坊に戻る、第二の人生に生まれ変わるというが、私は50歳にしてスタート地点へ立たせて貰えた気がする。ジーンズはさしずめ私の赤いちゃんちゃんこ。子供の頃しんどかった分、いいよね。これから何をしようかとわくわくしている。

 

 

脳内出血、その後

 例えば腹が立った時、その怒りが90秒を超えても収まらないのは、自分が怒ったままでいたいだけ…。

 脳出血で損傷を受けた左脳の回復を、彼女はむしろ躊躇した。
 30代で脳卒中を起こした女性脳科学者が自らの体験を綴った『奇跡の脳』。

 左脳が高度な認知力を持つがゆえに他を批判し、過去の辛い経験を学習し、未来に不安や恐れを抱くのに対し、右脳は今がすべてで永遠。体の境界が感じられなくなり、自身は意識というエネルギーだけの存在となって宇宙と一体感を味わった。
 だから、左脳の回復にあたり彼女が危惧したのは”以前のマイナスの感情を起こすプログラムを二度と起動させたくない”という事だった。

 すべてを以前の自分元通りではなく、回復させる”自分”を選べないか。どんな「わたし」と過ごしたいか。

 かつては脳の働きは無意識、自動的なものだと思っていたが、コントロールできることに彼女は気付いたという。

 感情の動きは脳内の神経ネットワーク、回路が生み出すものだ。
 目の前で起こった出来事に対し、自発的に引き起こされる感情プログラムがある。脳内で化学物質が生じ、体内へ広がるのだ。しかし、血液からその痕跡が消えるまで、すべてが90秒以内で終わる。
 これが90秒過ぎても続いているならば、それはその回路が機能し続けるよう、自ら選択した結果である。

 例えば、嫌な事にいつまでイライラクヨクヨしてしまうのは、これまでの人生で自分がそういう思考パターンを育ててしまったからだという。
 脳は高度な学習機能を持つがゆえに、特定の回路に意識的に注意を払えば払うほど、また特定の思考に多くの時間を費やすほど、その回路・思考パターンはほんの少しの刺激で働くようになる。

 ほとんどの人は、自分がどう反応するかを無意識に選択してしまっている事に気付いていない。プログラム済みのシステムにゆだねるほうが楽だから。
 ならば! これを逆手に利用すれば、なりたい自分を選択できるようになる!!

 90秒は脳のやりたいようにやらせる。それが過ぎたら、切りかえて「今ここ」に立ち戻る。自分に呼びかける。いつまでもイライラしていたくないでしょ、と。これを繰り返し心掛けることで、脳のプログラムが修正されて往き、マイナスの思考パターンを改善できる。

 私はこの90秒システムを知って、些細な出来事に関して少しだけ切り替えが早くなった。バイク運転中にマナーの悪いドライバーに遭った時、以前なら嫌な気分を引きずっていたが、『はい90秒過ぎたよ、この怒りはマボロシ~』という具合に。

 

 結びに彼女の言葉を。
「左脳が回復するにつれ、自分の感情や環境を、他人や外部の出来事のせいにする方が自然に思われてきました。でも現実には、自分の脳以外には、誰もわたしに何かを感じさせる力など持っていないことを悟ったのです。外界のいかなるものも、わたしの心の安らぎを取り去ることはできません。それは自分次第なのです。自分の人生に起こることを完全にコントロールすることはできないでしょう。でも、自分の体験をどうとらえるかは、自分で決めるべきことなのです。」

脳内出血、その時

 脳内で出血が起こった時、どんな状態になるか。

 この秋、興味深い本に出会った。『奇跡の脳』、30代で脳卒中を起こした女性脳科学者が、自らの体験を綴ったもの。

 著者はある朝目覚め、激しい頭痛を覚える。体の動きがぎこちない。心と体が切り離されていく感じ。重大な危機を察し、一人暮らしの著者は助けを求めようとするが、その電話が掛けられないのだ!

 その時、著者は左脳に出血をおこしていた。左脳は、言語や認知、時間空間に基づく順序立てた論理と思考、記憶の時系列などを司る。その機能が失われると……自分が何をすべきかが分からなくなる。電話を掛けなきゃという考えが持続できない。電話を目の前に置くと、電話ってなんだ??となる。寄せては返す意識の中、なんとか受話器を握るも、誰に掛けていいか分からない、番号が思い出せない。それでも危機感に自己を奮い立たせ、ひねり出した番号をプッシュ。ようやく繋がるも声が出ない、言葉が出ない。唸り声で窮状を訴えた。結局助けを呼ぶのに1時間近くかかっている。

 この間ずっと酷い頭痛が続き、体という入れものは苦痛にさいなまれていたが、同時に平和な感覚、静けさに満たされていた。いつもなら左脳が間断なく行う脳のお喋り……今日はあれをしなきゃとか、何を着ていこうかとか、昨日の同僚の嫌な発言を反芻したり……が行われず、外界の知覚が薄れていく。時間の流れ、人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、心が和む。高度な認知能力と過去の人生から離され、体の境界がなくなって、宇宙と融合して一つになるような心地良さを味わっていた。

 左脳の働きである、時系列の感覚を失うと、左脳の「やる」意識から右脳の「いる」意識へ変わる。今がすべて、目の前にあるものがすべてで、何もかもが美しい。というのは、左脳が普段行う比較や批判が行われないから。自分の意識や肉体と外界との境目が分からなくなり(宇宙に溶け込み抱かれたような幸福感)、自分が何者だったかも思い出せなくなる。この時、自分という人物、左脳の思考というものが『膨大なエネルギーを要するたくさんの怒りと、一生涯にわたる感情的な重荷を背負いながら育ってきた』ことに気付き、左脳の死に大きく救われた気がしたという。

 ならば右脳だけあれば素晴らしいかといえば、駄目なのだ。
 右脳は音や映像の3次元的な知覚が出来ない。目の前の光景の遠近感が分からない。耳に聞こえる音の、雑音と話し声を分離できない。言語能力や記憶に基づく論理的な思考が組み立てられないので、社会生活が送れない。

 要はバランス。
 私達は普段、脳を一つの塊と捉え、二つに分かれている事を考えない。が、頭の中には異なる人格が生じている。
 そして、大抵の人が一方に偏ってしまっている。
 左脳が勝つ人は、常に分析し、批判的、何かをしなければと時間に追われ、柔軟さに欠ける。
 右脳派は、感性的過ぎて、周囲とほとんど現実を分かち合えず、殆どの時間を上の空な状態でいる。
 日本人は特に左脳派が多いのではないかしら。

 ----------ところで、脳の働きや性格を私達自身が作っていける、どんな気分で人生を送るかを選べる、という魅力的な事も書かれてありましたので、これについては次回書きます!

またひとつ、さよならを言って

 何年前になるでしょうか、懐かしのCM、”ブラウン・モーニングリポート”。
 朝出勤するサラリーマンを呼び止めて、シェーバーを差し出す。「家で髭をしっかり剃ってきたところだから剃れないですよ」と言うサラリーマンにとにかく試してもらう。その外刃を外して白い台の上に出してみると、黒い髭の粉が。「まだけっこう剃れますね」と気恥ずかしそうなリーマン。

 このCMのインパクトだろうか、結婚後にそれまで使っていたシェーバーから買い替える時に、夫は「ブラウンを使ってみたい」と言った。望みを叶えた夫は満足げにシェーバーを握りしめていたっけ。

 以来10年くらい使い続けたブラウンが、今年初めから不調だった。どこかの接触不良らしく電源が入りにくくなったのだ。スイッチオンしてからモーターが動き出すまで時間がかかる。新調しなきゃと言いつつ、つい使い続けて11月、今週になってタイムラグが大きくなった。今日こそ動かないんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、外刃も破れ、今が買い替え時とばかり、昨日、家電量販店へ走った。

 今度も夫はブラウンしか見なかった。後継機種を選び、下取りキャンペーン中だったので、これまで使っていた物を持参することにして、家から持ち出す前にさっと外側を拭いていると、突然ググッと寂しくなってきた。

 我が家では私が少しだけ先に起きて朝ごはんの支度をし、夫を起こす時、シェーバーを持って枕元へ行き、「そろそろお時間でござる」と声をかける。夫は寝ぼけ眼で布団の上に座り、シェーバーを頬に当てる。そこへ猫がにゃ~んと寄ってきて、夫のあぐらに乗る。髭を剃っている間だけ猫は夫に甘えていられる。髭剃りが終わり、シェーバーのモーター音が止まると、猫は全てを察し、不満げににゃ~んと鳴いて膝を下りる。夫は立ち上がり、以後慌ただしい支度を始める。
 我が家の朝はシェーバーから始まるんだ、手放す古いシェーバーは夫と私の10年の結婚生活に寄り添ってくれたんだと今更ながらじんときた。

 人だけじゃなく物とも出会いと別れを繰り返して生きなければならないのだなぁ。