50歳から生き直す心と体

 今年もあと1週間で終わり Σ(・ω・ノ)ノ!
 もう驚くばかり。だが、だ。大晦日へ向かって怒涛のスパートがかかっているのを感じながらも、私はのん気になってしまっている。今月50歳の誕生日を迎えた、つまり半世紀を生きた今年という年に、私は物心ついてから初めての解放感を体験している。背負うもののない、身軽な感じ。

 まず、先々月の記事”浄心行~”に書いた通り、昨秋の実父の逝去から一年が過ぎ、私の中にわだかまっていた生い立ちの辛さを吐き出してしまうことができた。

 次に、今年5月、舅の急逝。17年前に姑が亡くなってから一人で暮らしていた舅も80歳になっていた。この父とは私だけでなく息子である夫も会話がかみ合わず、イライラすることの多い関係で、この上認知症になったら…と夫婦で話していたが、それは表面的な事、そろそろ一緒に暮らす頃かと考えていた。ところが思いがけず、ある朝目を覚まさなかった父。夫に兄弟はなく、手続きで揉めることもなく、次のミッションは納骨と一周忌。

 2年続きで喪中で迎えるお正月。年賀状で焦らなくてもいいし、お節の準備もなし。姑亡き後は毎年舅の為に最低限のこと・・・年越し蕎麦、お雑煮、舅の大好物のお煮しめをメインに元旦の食事作りだけは行ってきたが、「もう要らないんだねぇ」と私は夫に呟いた。すると、心の中心より少しズレた辺りに中くらいの穴がぽこりと空いた。肩の荷が下りたと喜べるかと思ったら、役割を失った無力感がそこに漂っていた。

 いろいろと落ち着いていく感じは精神面だけでなく、体にもあった。
 左足甲と指5本の関節を手術したのが昨春で、もうとっくに癒えていたつもりでいた。しかしそれは傷口だけのことで、ひと月ギプスで固めた左足は勿論、安静を余儀なくされた全身の筋肉も衰えてしまっていたし、左右のバランスが悪くてすぐにふらついていた。まだまだだったという事を、最近てくてくスタスタ歩けるようになって気付いた。時を待たねばならない事もあるのか。

 体には他にも大きな変化があり、実はこの事に一番驚いている。体重減!
 身長153~4cm、体重はこの20年程47~49kg辺りを推移、中肉中背というか中肉小背というか。丸みを帯びた日本人体型を気にしつつも長年これできた。いやこれでもマシになったのだ、高校大学の時なんか50kg以上あったんだから。大好物の甘いお菓子は絶対に食べたくて、その分食事を控えてでもチョコレートを口にする。運動しないし、ダイエットするほどの意識も持てず、体重をキープするのが精いっぱい、贅肉がそう簡単には減らない事はもはや人生哲学となっていた。
 それが、舅の葬儀が落ち着いた夏からじわじわと減り、41kgに。一体どうした事だ?? 省みるに、確かに食欲は減っていた。いやお腹は空くし、食いしん坊だし、今も変わらず毎日チョコレートは食べているんだけど、これまでなら食べ過ぎていたところが、ある程度食べたら歯止めが効くというか。

 私はストレスで食べるタチだったんだろうな。子ども時代の飢餓感…は言い過ぎ?…に加え、特にチョコレートは忙しい時、追い詰められた時ほど欠かせない。祖母の通夜の日に矢も楯もたまらずチョコレートを買いに走った事があったっけ。

 身の上が片付いて、余計なものが落ちて。心は体の表れか。

 箪笥の底にずっと、一本だけ、中学生の頃に履いていたジーンズが取ってあった。高校入学以後太り、到底履けなくなったものをなぜ残していたのか不明だが、今これを履いている。中学時代の同級生である夫に「ね、これ、当時アナタも見たことのあるジーンズなんだよ」。

 ひとは還暦で赤ん坊に戻る、第二の人生に生まれ変わるというが、私は50歳にしてスタート地点へ立たせて貰えた気がする。ジーンズはさしずめ私の赤いちゃんちゃんこ。子供の頃しんどかった分、いいよね。これから何をしようかとわくわくしている。