脳内出血、その時

 脳内で出血が起こった時、どんな状態になるか。

 この秋、興味深い本に出会った。『奇跡の脳』、30代で脳卒中を起こした女性脳科学者が、自らの体験を綴ったもの。

 著者はある朝目覚め、激しい頭痛を覚える。体の動きがぎこちない。心と体が切り離されていく感じ。重大な危機を察し、一人暮らしの著者は助けを求めようとするが、その電話が掛けられないのだ!

 その時、著者は左脳に出血をおこしていた。左脳は、言語や認知、時間空間に基づく順序立てた論理と思考、記憶の時系列などを司る。その機能が失われると……自分が何をすべきかが分からなくなる。電話を掛けなきゃという考えが持続できない。電話を目の前に置くと、電話ってなんだ??となる。寄せては返す意識の中、なんとか受話器を握るも、誰に掛けていいか分からない、番号が思い出せない。それでも危機感に自己を奮い立たせ、ひねり出した番号をプッシュ。ようやく繋がるも声が出ない、言葉が出ない。唸り声で窮状を訴えた。結局助けを呼ぶのに1時間近くかかっている。

 この間ずっと酷い頭痛が続き、体という入れものは苦痛にさいなまれていたが、同時に平和な感覚、静けさに満たされていた。いつもなら左脳が間断なく行う脳のお喋り……今日はあれをしなきゃとか、何を着ていこうかとか、昨日の同僚の嫌な発言を反芻したり……が行われず、外界の知覚が薄れていく。時間の流れ、人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、心が和む。高度な認知能力と過去の人生から離され、体の境界がなくなって、宇宙と融合して一つになるような心地良さを味わっていた。

 左脳の働きである、時系列の感覚を失うと、左脳の「やる」意識から右脳の「いる」意識へ変わる。今がすべて、目の前にあるものがすべてで、何もかもが美しい。というのは、左脳が普段行う比較や批判が行われないから。自分の意識や肉体と外界との境目が分からなくなり(宇宙に溶け込み抱かれたような幸福感)、自分が何者だったかも思い出せなくなる。この時、自分という人物、左脳の思考というものが『膨大なエネルギーを要するたくさんの怒りと、一生涯にわたる感情的な重荷を背負いながら育ってきた』ことに気付き、左脳の死に大きく救われた気がしたという。

 ならば右脳だけあれば素晴らしいかといえば、駄目なのだ。
 右脳は音や映像の3次元的な知覚が出来ない。目の前の光景の遠近感が分からない。耳に聞こえる音の、雑音と話し声を分離できない。言語能力や記憶に基づく論理的な思考が組み立てられないので、社会生活が送れない。

 要はバランス。
 私達は普段、脳を一つの塊と捉え、二つに分かれている事を考えない。が、頭の中には異なる人格が生じている。
 そして、大抵の人が一方に偏ってしまっている。
 左脳が勝つ人は、常に分析し、批判的、何かをしなければと時間に追われ、柔軟さに欠ける。
 右脳派は、感性的過ぎて、周囲とほとんど現実を分かち合えず、殆どの時間を上の空な状態でいる。
 日本人は特に左脳派が多いのではないかしら。

 ----------ところで、脳の働きや性格を私達自身が作っていける、どんな気分で人生を送るかを選べる、という魅力的な事も書かれてありましたので、これについては次回書きます!