優しい嘘のチカラで

 決めつけないで、と。子育て経験のない私が、だからこその子ども目線で。
 大好きな美容師のKさんが産休から復帰され、8ヵ月ぶりに鏡を介しての会話。Kさんは今回2人目のお子さんを出産されたのだが。
「1回経験した事だから大丈夫と思っていたけど、キツイです」と苦笑い。
 勤務は週3日、お店の2階にベビーベッドとシッターさんを置ける環境にあっても、授乳期の赤ちゃんを抱えての生活。
「体力的にもそうですけど、上の子が赤ちゃん返りしてて…、参ってます」
 確か3歳になる娘さんだ。Kさんのご主人もお母さんも甲斐甲斐しくこの娘さんを可愛がっておられるのだが、Kさんにかまってほしくてぐずる。
「周りの人からも色々聞いていて、上の子に気を配ってあげなきゃならないことは分かってたんですが、実際下の子に手がかかって、なかなか…」
 すると娘さんは余計にママにまとわりついてくる。
「娘は元々人見知りで甘えん坊だったのが、益々気難しいというか…。[私]さんも子供の頃そうだったと仰ってましたよね? 娘に、どうしてあげたらいいでしょうかねぇ」
 私には2歳下の弟がいる。弟はよく眠り、手のかからない赤ちゃんで、誰にでもニコニコと懐き、可愛がられた。ところが、私ときたら人見知りが激しく、我が強く、始終泣くわ拗ねるわ。すると周りの大人たちは比べて言うのだ。
「[弟]君は天真爛漫、[私]ちゃんは…女の子だし、難しいねぇ」
「お前は人見知りで、性格が難しい」 父は私の欠点を直してやろうと指摘し続けた。
 ヒトミシリの、ムズカシイ子。
「ずっとそう言われ続けて、私は自分を人見知りの難しい子だと思い込んで育ちました。それで今になって思う事なんですけど、ねぇKさん、お嬢さんに上手に嘘をついてあげてくれませんか、【あなたは誰とでも仲良くできるねぇ】とか【笑顔が可愛いねぇ】とか【大らかでみんなに好かれるねぇ】とか、周りが何といおうとママだけは。言葉は良くも悪くも暗示になってしまうと思うので」f:id:wabisuketubaki:20180413103345j:plainこう話して、気がついた事がある。私は母からは「難しい」と言われた覚えがない。母が亡くなったのは私が6歳になったばかりだったから少々あやふやな記憶だが。
 母は厳しくて、私が拗ねても相手にしなかった。私の我が儘を許しはしないが、甘え足りなさみたいな気持ちを分かってくれていたのかもしれない。分かるわよ女同士だもの、アナタだって分かるでしょ、分かりなさいよ、お母さんの気持ちを。そう、そんな同性同士の目線を母は私に向けていたような気がするのだ。……ちょっと母を美化してるかな(笑。

touch me more

 アナウンススクールでは自己紹介を求められることが度々あった。自分の売りだけを面白く端的に。都合の悪い事はあえて言う必要はない、いや言ってはならないのだ。
 これは極端な例として、人物を正確に伝えるのは難しい。     今週のお題「自己紹介」
 前の記事で私は司会の仕事をしていたと書いた。これだけ読めば私がずっとそういうことに関わってきた印象になるが、この部分は結婚後に変化球みたいに現れるここ10年弱の側面だ。地味で人見知り、相手と目を合わせて話すことが出来ず、学生時代は漫画家に憧れ、建築系の学科を出て、設計事務所で働いた。ああ、こっちが本来の姿だと、書いてて実感する。
 【群盲を評す】というインドの寓話が思われる。盲人達は、それぞれゾウの一部分だけを触り、その感想を語る。足を触った盲人は「柱のようです」、鼻を触った盲人は「木の枝のようです」、耳を触った盲人は「扇のようです」…触った部位により感想が異なり、皆自分が正しいと主張して対立が深まる。しかしそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する。『物事の一面だけを見て、すべてを理解したと錯覚してはならない』という教訓。
 こう諭されると、ブログを書くのも怖くなるけど、寓話はハッピーエンドを迎えている。見方が違おうが、私達は同じ世界に生き、同じものを見つめているのだから。    f:id:wabisuketubaki:20180411121830j:plain

役に立たないからこそ愛おしいということに…

 特技を訊かれた。プロフィールには”趣味・特技”欄が大抵ある。  

①アイスクリームをどんぶり1杯食べられます!
 大好きで、いくら食べてもお腹を壊さないし、こめかみがき~んとなることもない(どこか壊れてる?)。真冬の屋外でソフトクリームを立て続けに3本食べても平気。お金勿体なくて止めたけど。
 なので、「もう食べられないようと言うまで食べてみたい。死ぬまでにバケツ1杯食べてみたい」と言っていた。満足したことがなかったのだ。
 ただ、2年前、治療薬ボイコットして寝たきり寸前の、骨と皮の体になった時、たった1個のカップアイスを途中で持て余したことがあり、新鮮な驚きだった。死ぬ前にバケツ1杯のアイスを、と言っても、元気でないと美味しくない、嬉しくない、ということを覚えておこうと思った。

f:id:wabisuketubaki:20180408110518p:plain ②アナウンスを物凄く聴いちゃいます!
 駅ホームの「まもなく2番線に、〇〇行きの電車が参ります、危険ですから~」とか、留守電メッセージの「只今出掛けております、ピーッと鳴りましたらお名前とご用件をお話し下さい、faxを送られる方は~」みたいなのが、子供の頃から耳に付き、真似していた。これが高じて、結婚後にアナウンスの学校へ行き、司会の仕事に就いた。が、元々人前に立つのは嫌いだった為、体調が最悪になった2年前に辞めてしまった。
 以前は喋り方だけに注意が向いたが、自分が学び始めた頃くらいから、声質に敏感になった。例えば日中、点けっぱなしのTVに背を向けてPCに向かっていても、話す声で顔が浮かんでくる。
 そうそう、私のこの特技、弊害がある。聞き流すCDで英会話を習得しようとした時の事。まず英語が流れ、次にその日本語訳が流れる。「I am HANAKO. 私は花子です」のように。すると私は後の日本語ばっかり聴いてしまう。数か月間CDを流していたが、「駅へ行くのはこの道でいいのでしょうか」とか「この花はあなた宛てよ」とか「只今社長は多忙で手が離せません」とか、どんどんと日本語だけを覚えてしまった。ネタやんッ…こんな私ですがよろしくお願いします 今週のお題「自己紹介」

等身大の父が

 今日は義妹と出掛けた。2人きりで会うのは初めて。妹といっても私より年上のしっかり者だ。父が亡くなって半年が過ぎた今頃になって保険証の返納やらに手を付けたら、喪主を務めた弟の通帳等が要ると分かり、義妹が同行してくれることになった。朝から車で連れて行って貰い市役所へ。
 用が済み、ランチを一緒して貰い、話すうち、弟が亡き父と同じセリフを口にすることが知れた。雷親父だった父は私や弟を厳しく叱ったが、その後、シュンとする私達に「分かったならもうええ、もうええから、あっさりせえ」と言った。いつまでも暗い顔しているな、からりと気持ちを切り替えていつも通りに振舞え、ということだ。弟も、小学生の娘を叱った後、よく「あっさりせえ」と言うらしい。
 子供の頃、父のその言葉が有り難かったし、怒りを引きずらない父はカッコいいとずっと思っていた。
 しかし、久しぶりに耳にしたその言葉に、父の側の心情が浮かび上がってきた。
「あっさりせえ」は子への思い遣りよりも、父自身の辛さを消す為だったと思うのだ。
 躾として叱ったものの、しょげかえる子の顔を見ていると後味が悪くてたまらなかったのだろう。
 妻に先立たれ、独りで子育てを余儀なくされた40代の父がそこにいる。

真夜中のミステリ、凸凹夫婦

 真夜中に手の甲をさすられていた。左手の甲を隣で寝ている夫がさすっている。
 なんでだろう。腫れているからか。関節炎を持つ私の手首を夫はこれまでにもさすってくれたことがあるが、今は炎症がそれほど酷くないしなぁ。
 ああ。かさつきを確かめているんだ。気が済んだのか夫が手を引いた。
 桜が開く直前の、寒の戻りの頃に私の手荒れは最高潮を迎えていた。指先のあかぎれに加え、手の甲がサメ肌を通り越してカサブタアスファルトみたいになっていて、慣れっこの私自身もさすがにこれは酷いと思った。それでも水仕事の合間にハンドクリームを塗るのは面倒で、もう数日のことだ、気温が上がれば治るだろうとタカを括っていたら、何かの拍子に夫が私の手の甲に触れ、驚いてざらつき具合を確認していた。
 翌日、帰宅した夫が鞄からドラッグストアの袋を出した。「今すぐこれを塗りなさい」これは効く筈だから、売り場で一番効きそうなハンドクリームだからと、ピカピカした顔で言った。高そうで怖くて値段が訊けなかった。「毎日使いなさい」
 それから数日たつ。効果の程を、私がちゃんと使っているかを、夫は調べたのだ。
 外部刺激から保護し、薬効成分が角質層深く浸透するエクストラプロテクション。夫はこのハンドクリームみたいな人だ。そして私は。実は夫より先に自分で100均のハンドクリームを買っていた。一応、ローズエキス&シアバター配合なんだけどな。