はぐれた蟻、取り返しのつかない事…

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 数年前からネットで知り合った友人と毎年お花見をする。母親程の年上の彼女は博識で、今年は散り始めたソメイヨシノではなく、只今満開のツツジを見せてくれた。
 コバノミツバツツジという小ぶりの可愛らしい花は、兵庫の天然記念物で、古社・廣田神社の広大な境内に2万株も植えられている。花は桜だけじゃないんだなぁとうっとり空を仰げば、そこは花の終わったソメイヨシノの巨木の下だと気付き、少々バツが悪かったり。
 自然の精気をチャージして貰い、清々しく帰りの電車に揺られていると、腕に小さな蟻が一匹這っていた。あらら、連れて来ちゃったか…。仕方ない降りたらどこかへ逃がそう、と小さな袋にそっと閉じ込めた。
f:id:wabisuketubaki:20180404172010j:plain 駅前に大きなサクラが1本植わった広場で下草に乗せた。動き回っていた蟻が、ここはどこだとばかり固まっていた。元の群れに帰れなくてごめん、元気でねとその場を離れた。
 今までにも何度かそんな事があった。が、今日はどうにも気になって『はぐれた蟻』で検索した。
 他の蟻群には受け入れて貰えないらしい。
 そして、孤立した蟻は。
 働き蟻はグループで行動するものであり、社会的動物(人間も)が社会から隔離された時に受ける悪影響が検証されていた。
 孤立すると行動や振舞い方が分からなくなり、休みなく歩き続け、しかも食物を摂取しても完全に消化出来ず、数日で死んでしまうという。
 人も精神的ダメージを受けると食欲をなくしたり、自暴自棄になったりすることがある。同じなのだ。同じだなんて。
 他の生き物にとり時に傍若無人な存在になる人間。私が生きることを許される為に、何か世界の役に立てるよう心掛けるからと、さっき別れた蟻に詫びている夕べ。 

これもものづくりの素晴らしさかと

 思いがけず、20年以上前に自分の親が手掛けた仕事に辿り着けるなんて素敵だよね。
 掘込みガレージのシャッターが壊れた。調子悪かったのが開かなくなった。この家に暮らして8年になる。前の住人から頂いた設備類取説類ファイルにシャッターの領収証が残っていた。平成6年取り付けだから経年劣化も当然だ。
 ネットで申し込んで業者さんに見に来て貰ったら、シャッター幅が規格品より少し広く、巻き取りのシャフトを特注せねばならないという。かつては幅に合わせて作ったシャッターも、今では既製品を当てはめるらしい。頭に相当痛い見積もりを貼り付けたまま、生活の足のスクーターを封じられ、丸々3週間、修理日の待ち遠しかったこと。
 見積もり時と違う職人さんが2人来られた。私は家の中にいればよかったが、余り無関心ぽいのも失礼かと、古いシャフトを取り外した頃に外へ出た。タバコを加えた30代くらいの、けれど貫禄があって、いなせな感じのお兄さんが、外した3メートル超のシャフトを指しながら、
「これ、たぶん俺の親父が作ったもんですわ」と言った。
 驚いた。古い領収書に記載された社名は、そのお父様の仕事仲間だった。受けた仕事の部品注文をお父様へ依頼し、取り付けも行った筈だと。
 しかし我が家が呼んだのは全く別の会社なのに、こんな偶然があるのか。
「そうですね、偶然です。偶然といえば偶然だけど、市内で今、この幅の特注シャフトを作れる職人はウチだけだから、結局はウチに注文が来ることになる」
 そう言って、暮れ始めた空へ紫煙を吐いた職人さんの背後には、黒く艶やかなシャフトが控えていた。今度は息子さんの作ったシャフトにお世話になるのだ。
 工事が済み、引き上げる職人さんに、お父様へのお礼を言付けてお見送りした。

しづ心なく…

 記憶に残る最初の桜は小学校の入学式で見上げた桜だ。f:id:wabisuketubaki:20180330165942p:plain

 校門の傍に何かの石碑と枝を広げた桜の木があって、親たちは代わる代わる子どもをそこに立たせて写真を撮った。「はいこっち向いて…チーズッ、あ目瞑った」とか言われても、眩しくて。

 春に三日の晴れなしという諺は今年に限っては当て嵌まらず、連日気持ちのいい好天で、近所の桜名所は平日にもかかわらず賑わっている。花散らしの雨の心配はないが、こうも陽気が続くと、あっという間に散ってしまうのではないかと焦りを覚える。

 昭和50年頃には4月上旬に咲いていた桜も、温暖化が影響してか年々徐々に早まっているようで、近頃は3月下旬に開いてしまう。特に今年は早いような。

  サクラサクラ、ピカピカの一年生をお祝いしてあげてよね。  [今週のお題「お花見」

私達は心に桜を持っている

今週のお題「お花見」

 おとといブランコを漕ぎながら見た桜があんまり愉快だったから、昨日も陽気の中へ出掛けていった。とりあえず図書館を目指すことにして、ひと駅分歩く。
 橋へ差し掛かると、川沿いに続く桜の下ではレジャーシートの上でお弁当を開くグループが幾組もいた。本格的なお花見。いいなぁ。私もコーヒーでも買ってここで腰を下ろそうかと迷いながら通り過ぎた。

f:id:wabisuketubaki:20180329083414j:plain f:id:wabisuketubaki:20180329083447j:plain f:id:wabisuketubaki:20180329083507j:plain  住宅街を20分ほどの道々でも沢山の桜を眺められた。マンションのエントランスや病院の裏庭、保育園の垣根、街路樹、小学校のグラウンドには樹齢の高そうな枝の張り出し。普段は意識しないけれど、こうして薄桃色の花の時期を迎えれば、桜は至る所に植わっている。家々の間のひっそりとした小さな公園にも1本。
 そうだよな。例えば私がごく小さな公園を設計しろと言われたとする。狭いから植樹は控えめに、大きくなる木を1本だけ植えるとすれば、桜を選ぶんじゃないかな。
 そうなのだ。よちよち歩きの頃から春毎に桜を瞳に映して育つのだもの。

猫は自分を憐れんだりしない

 勝手に憐れんでいるだけだ。当の本人(猫)は飄々としたものだ、きっと。
 昨夜10時過ぎ、庭に面したサッシへ、うちの元野良猫アポロが走り寄り、うなおお~~う、と吼えた。アポロは物凄く警戒心が強くて、庭に来訪者…猫、狸、アライグマ等の気配を察すると窓際で唸り声を上げる。だからゆうべも誰(何)が来たのかとカーテンを捲ると、2mほどのところによっちゃんが佇んでいた。

 f:id:wabisuketubaki:20180328091806j:plain f:id:wabisuketubaki:20180328091923j:plain よっちゃんは、ここいらの野良の目下ボス猫である。お腹と手足は白、背中が茶トラの体躯立派なオスで、2、3年前から我が家の庭をよく訪れる。初めて見た時に夫が「よっちゃんって感じだな」と言ったことから我が家ではそう呼んでいる。そして、これは私見であるが、顔が小栗旬に似ている。よっちゃんを見ると小栗旬を思い、TVに小栗旬が映るとよっちゃんが浮かぶ。
  さてそのよっちゃんだ。アポロと違い、何を恐れることもなく暮らしている。ゆうべもふらりと寄っただけだ。この家にアポロが出入りしている事を知っている。今までに餌を与えたことは無い。もし与えて常駐するようになったら、アポロが帰ってこられなくなるからだ。よっちゃんには餌場が他にもある。アポロにはこの家しかない。
  けれど、庭の暗がりでこちらを向いたよっちゃんを見て。暖かくなったとはいえ夜はまだ冷える。夫の足元でヒーターの温風にあたり、餌と水が常時置かれているアポロと大違いだと思ったら、泣きたくなった。いやいや、天衣無縫に生きられるよっちゃんと臆病者のアポロ、どちらが幸せかなんて判断できない。けれど、私は胸が詰まる。

 ああ、アポロが他の猫と仲良くできる子だったらなぁ。f:id:wabisuketubaki:20180328092603j:plain