かけがえのない毎日

 たかが夕食の時間の逡巡だった。
「もうちょっと後にする?」
「そうだなぁ、も少し後にするか」
「そうね、も少しお腹空いてからね」
「ああ。待つと空くかな、あんまり遅くなると胃に良くないけどな」
「あらじゃ、今から用意する?」
 ここで夫の苛立った答えが。
「も少し後にする、って俺言ったよな」
「…ごめん」
 しかしモヤモヤする。
「言い訳させて、アナタが”遅くなると”って言ったから。だからそんなにイラッとしちゃ嫌」
 すぐに猫のアポロの事や見ていたTVの話を向け、夫の返事が普通に戻っているのを確かめた。だから、拘りたくはないけれど、打ちのめされている、私は。それほど気に障ることだった? いやこれだけじゃなくきっと私は普段から何かしらよくないのだ。こんなにも伴侶をイライラさせる私って何だろ? あ~あ…結婚して21年にもなるのにな。
 けれど、陽の煌めく朝が確かに在る。
 雨上がりの朝、じゃ行ってくる、と歩き出した夫の背中から、何気なく足元へ目を転じた。濡れたアスファルトに赤いモミジがちりばめられていた。モミジ葉はいずれも小ぶりながら開いた指先がくっきりと美しい。宇宙に浮かぶ星々にも見える。束の間にそんな事を思いながら顔を上げると、ちょうど夫が振り返って足元を指さした。
「綺麗だな」
「うん、私もおんなじこと思ってた」
 たとえ一緒にいられなくなる日が来ても、この瞬間は奇跡、永遠に私の宝物。

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悪徳業者??

 昨夕、古着、靴を買い取らせて下さいと、軽快な女性の声が電話で社名を告げた。履かなくなった靴、破れてなければTシャツ1枚でもお出しください、今日はお近くを社の者が回っていますと言う。不用品は沢山あるが大したものもないし、急に言われてもガサゴソ出すのが面倒で断ると、「明日はいかがですか」。明日も日中は出掛けますのでと答えたが、「それならご都合のいい時間に」と食い下がる。その話し方が、嫌じゃないんだな。むしろいい感じ。
 私も以前、通販のコールセンターでバイトをしたことがあるのだ。上手いなと思った。この女性は電話だけ、実際に訪問するのは別の人だと分かっていたが、玄関の上がり框で構わないそうだから、掃除しなくていいし、明日夕刻を約束した。
 そして今日は午後から、箪笥の開かずの抽斗、ハンガーラックにかけっぱなしの服、下駄箱上段の靴なんかを引っ張り出した。買ったまま一度も着ていないジャケットとか、足を痛める前の靴とか、いろいろあるなぁとしみじみしてしまう。いやいやそんな時間はないぞ、急いで玄関へ運ぶ。
 ふと、気になる事が。査定、商談に小一時間かかるそうだが、うちの前の道は狭い。車を停めておけない。そこへ男性からの事前電話がかかった。前のお宅が長引いて、もう暫く後になるという。
「それは構わないのですが、実は…」車が止められないことを話す。近くにコインパーキングもないし、近所の少し広い道に路駐しかないのだ。私は続けた。
「うち迄来て頂いて、もし無理そうでしたら、申し訳ないですが、お寄り頂かなくても結構ですから」
 ううむとなり、男性は「場合によっては…」とひとまず電話を切った。
 さて、もうしばらくは時間がある。PCを開き、どんな会社かと検索を掛けた。出た。2チャンネルの書き込みがあった。
 "押し買いです!”って。”靴一足、古いTシャツ一枚でもいいと愛想よく女性が電話を掛けてくる”…うちと同じ。”ところが来るなり、古着には目もくれず、貴金属はないかとしつこく、出すまで居座る。出せば、市場価格の5~10分の1で買い叩いていく”。
 う~ん。まあね、私も胡散臭い業者である可能性も考えていたけどね。
 玄関に並べたもののうち、ブラウスとかTシャツとかを片付けておくことにした。靴箱数点と食器類、ハンガーにかけたジャケット類、これだけあれば、形になるだろう。
 で、片付けも終わって、今。予定の時間を1時間過ぎた。車が止められないと、居座れないもんね。来ないと見たが、どうだ?
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天使の翼は誰の背中にも

 大人になると失くしてしまうもの…陳腐にさえ聞こえるが、それを思わずにはいられなかった。幼児は全く別の世界を生きているようだ。
 保育園経営に携わる友人が幼児作品展の案内をくれて、ふらりと、久々に友人の顔を見られればと出掛けた。しかしギャラリーへ入った途端に捉えられてしまった。子ども達の絵が壁一面にずらりと並んでいる。その一枚目の絵が、正直何を描いているか分からない。大きな紙に黒い筆が縦横に走る。救いを求めて題を見ると”〇〇ちゃんとこうえんで遊んでる。トイレはここ”とあって余計に頭がこんがらかった。気を取り直して次の絵に進むも、同じ。描かれたものが分からない。題と全く結びつかない。次も、その次も。何となくソレと分かる作品があり、念の為題を確かめると”くじゃく。きれいって言ってる”。ただの孔雀じゃない、喋ってる!? この辺りでようやく私はこの作品展を理解した。常識的な尺度で量るなんてナンセンス。分かる訳がない。とっぷりとこのパラレルワールドに翻弄されてみようではないか。
 最初の10枚を見るのに5分かかったろうか。そこへ友人が現れた。挨拶もそこそこに「すごいね」と言うと、友人は説明してくれた。「テーマを与えずに子ども達が自由に描いて、題は後から先生がその子に聞いたものなの。でもね、正直その題の通りか、現実かどうかも疑問。絵日記みたいに経験した出来事を描いてるようで、絵本やTVや夢で見た事と現実との区別がついてないみたい」
「自分がいかに枠に縛られた、頭の固い人間かを思い知らされるね」
「まあね。でもこの絵を描いた子達だって、大きくなるにつれて失っちゃうんだよね、平凡になるというか。社会生活に適応する上でそれも必要なことではあるんだけど」
「なんか勿体ないねぇ」
「だから、子ども達の才能をこのまま伸ばせるようにこんな作品展を開いてるの」
 こんな機会は滅多にあるもんじゃない。よし全部見てやろうと決めた。
 絵を見て、題を読む。”ママとお姉ちゃんが遊んでるところ”と題された絵は、正方形の下半分が赤、上が黄色に塗られているだけだった。なんで? 動物の家族や、プールで遊んだ思い出など様々。やがて題が面白くなってきた。”ママとパパと▲チャンと川で遊んでいたら、きいろい風がふいてきた””ふうせんがあばれてる”子どもが語ったそれはそのままで物語みたいで、詩みたいで。
 800点余りの作品を、途中から急いだが、見終わると2時間半が経っていた。

 私もこうだったかしらと幼い頃を思い出そうとしたが、記憶は物心ついてからのものしか残っていない。物心つく、とはこういうことか。そういえば、幼稚園で、大輪の菊の花を画用紙いっぱいに書いた時、他のクラスの先生達まで見に来て、すごく褒められたのを覚えている。私の、絵にまつわる最初の記憶だ。

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願い

「これをしちゃ駄目」と言ったことをことごとく実行する…とある認知症の方の事が書かれていた。駄目と注意されるとその事に意識が向く。向いても、通常ならそれを我慢するが、自制心が弱いのが子どもと認知症
 禁止より肯定で。分かってて出来ないから余計に自己嫌悪が募る。生前の父に私はガミガミ言った。言わずにはいられなかった。自分の親だもの。しっかりしてよどうしちゃったのピカピカしてたお父さんはどこにいったのよ!目の前で分からない行動をする父を容認できなかった。
 それに人格まで変わってしまうあれは何だろう。一番酷かったのは、父が「誰か人を殺して、お前の人生まで滅茶苦茶にしてやるからな」と言った時だ。父は足を骨折して入院中で、痛みや手術、環境が変わった事によるショックとストレスで攻撃的になっていた。とはいえ、付き添いの娘にそこまで言えるものだろうか。
 泥酔や認知症によって現れる人格は、本来その人が持っていた内面なのか、それとも全く別人になっているのか。どうか後者であって欲しい。
 大好きだからこそ、その人格が壊れるように感じると、こちらまで壊れそうで怖くてたまらなくなる。黙って微笑んであげるには、少しでいい、距離をとらなくては耐えられないもの。
 施設で父は、ここ数年落ち着いて暮らしていた。寄り添って暮らさなかった私は親不孝だが、亡くなる6日前に訪ねた時、父のベッドに並んで腰かけ、和やかに話し、にこやかに手を振って別れることが出来た。
 友人のお母様が認知症で施設にいたのを、病気で入院し、退所せねばならなくなった。次の施設を探して友人はあたふたしている。そんなメールが届いた。私の父も、亡くなった日、本当なら病院へ行く予定だった。検査して入院して、きっと同じことになっていた筈だ。朝からずっと考えてしまっている。どうか良い道が開けますように。

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謝れ、人の本質は善だ!

 滅多に混まないコミュニティバスに、ジャージ姿の一団が乗ってきた。中学生ぐらい、クラブ活動の遠征だろうか。十数人ほどがどんどんと乗り込んで、通路に立ち並んだ。正直、ちょっと憂鬱になった。この子たちはおそらく終点の駅前までいる。私は途中で降りる。席から立ち上がって、狭い通路を「すみません、降ります」と言いながら、子達のリュックにつっかえつっかえ降り口まで進むのだなぁ、と。
 さて。降車ボタンを押した途端、真横に立っていた男の子はさっと後ろへよけてくれた。小さくありがとうと会釈して通路を進みかけると、今度は立ち並ぶ3~4人がやはり体を寄せて通路を広く空けてくれるのだ。ありがとう。つっかえたのは最後に立っていた引率の先生だけ(笑。
 降りた私は驚きと反省でバスを見送った。「すみません」じゃなく「ありがとう」と言わせてくれて、ありがとう!

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