子どもの感性が大人の脳を揺さぶる!

これは何を描いたものでしょう??f:id:wabisuketubaki:20171202102131j:plain 竹馬ですって。

これはf:id:wabisuketubaki:20171202102152j:plainママと観覧車にのってるそうです。

f:id:wabisuketubaki:20171202102215j:plainちんあなごのかぞくのごはん、メニューは炒飯。

f:id:wabisuketubaki:20171202102225j:plain燕の赤ちゃんがお母さんを待っています。

 

「新・童美展」行ってきたんですが、昨日の感動が去らない。

今日と明日、兵庫県立美術館のギャラリー棟は無料です!

行ける方は是非是非!

 

主に3~5歳の子ども達の作品が800余り展示されています。

大人には”型破り”に見えますが、そんなもんではすみません(笑。

例えば、縦の大きな長方形の紙の、いっぱいに緑色が塗られている。これは何?とタイトルを見ると「ママはいつもコーヒーを飲んでる」??…マグカップの色なんでしょうかね?

或いは、タイトル「ママが焼きそばを作っているところ」は、大きな画面に青い絵の具がただ一色、大胆な筆遣いが走っていたり。

初めのうちは一つ一つ、絵とタイトルを見比べて理解しようとするのですが、すぐに不可能だと分かります。あとは思いっきり、けむに巻かれてください。脳みそをわきわきほぐされる感じでした。またポエムとも言えるタイトル(子ども達の作品解説)に胸がじんとしたり、「なんでやねんっ」と突っ込んだり。

この「新・童美展」のこと、もっとお話したいんですが、先にご案内!

今日と明日、兵庫県立美術館のギャラリー棟へ行ける方は是非是非!!!

父語録。殴る、は駄目だけど

 折に触れ、父の言葉が読み出される。それは亡くなったからではなく、もうずっと私の日常だ。
 台所で小麦粉を水で溶いていると「ぬるま湯を使うとダマになりにくいで」とか、夏にご飯を炊く時は「お酢をちょっと入れると腐り難いんや」とか。「お米には七人の神様が宿ってる、1粒でも粗末にしたら罰が当たるで」 おかげでお米をうっかり数粒こぼしたりすると、床を手のひらで撫でて、レンジ台の下まで捜索に及ぶ。「椎茸は旨みが逃げるから洗うなと言うけど、ちょっとは洗わんと気持ち悪いよなぁ」私は躊躇わずちょっと洗う。
 子どもの頃からずっと言われたこと、耳にしたことは、沁み込んでしまっているのだなぁと、父が亡くなって改めて実感する。
 小学生の頃、友達と諍いをして泣いて帰ると、「負けて帰ってくるな、殴り返して来い!」と追い出された(注/私は女の子です)。
「秋田犬の子犬はかわいいで」確かに。見るともうメロメロになる。
「うまいもんは宵のうちに食え」遠慮なく頂きます。
「刃物を使う時は刃の前に指を出すな」そそっかしいわりに手を切る事は少ない。
「悪い事をする時は腹くくってやれ」大学の授業をサボる時は単位を落とす覚悟で臨みました。
 事の大小あれど、親は子に、知恵や生き方を譲り渡していくのだ。私は特に子を望まずきたから、いないことに殊更の思いはない。しかしごく最近になって、私が父に貰ったものは誰にも引き継いであげられないのだと気付き、その点だけは惜しいような、勿体ないような気がしている。

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苦くて、苦くて、

 先週、20年ぶりに伯母を訪ねて乗った私鉄は、これも20年前、結婚するまで勤めていた会社の近くを通る。車窓の光景の一々が脳の奥のほうにじんじん沁みた。感慨の内訳は大きく2つ。1つは恋人と会えなかった辛さ、そしてもう一つが勤務先への心苦しさ。社長には、本当に申し訳なかったと今も思っている。
 結婚前に3年間勤めたのは、社長、次長、社員、私の4人きりの会社だった。社長のアニキ肌な厳しさと、家族的な温かさがある、良い会社だったと思う。それなのに私ときたら仕事にちっとも身が入らないのだ。
 夫との交際を、父に反対され、勘当され、1人で暮らしていた。週末は夫に会えたが、平日の夜は電話だけが頼り。受話器を握りしめ、すがる様に夫の声に耳を澄ませた。しかし当時は夫も就職3年目の余裕のない時期で、返事は途絶えがち…夫が居眠りしてしまうからだ。それ程までに疲れている夫の睡眠時間を削っていることと、それでも電話を切れないこととが、私を苛み、”こんな状態が続いたらカレは私の事が嫌になる”と益々不安を募らせる。父が結婚に反対しているのは夫の人柄に問題があるのではなく、”娘はやらんぞ”なのが明らかだから、もうどうしていいのか分からない。
 頭の中はカレのことでいっぱい。沈んだ顔で毎日を過ごし、月に一度くらいは会社を休んだ。後ろめたいのに自分でどうする事も出来なかった。社長ははっきりした人だったから、私にクビを言い渡してもよさそうなものだが、寿退社まで何も言わずに置いてくれた。
 感謝とお詫びを籠めて、毎年出している年賀状を、今年は喪中はがきでひと足早く出した。過去はどうしたって取り繕えないけれど、何か別の形で、今だから出来る恩返しはないものかと、宛名を書く度思う。f:id:wabisuketubaki:20171129204356p:plain

あえて明るい服を着て

 昨日書いた「黒」のことで、あるバレエ教室のブログにぎくりとなった。
 生徒のレオタードについて『黒は締まって綺麗にみえちゃうとこあるので、できるだけ普段のお稽古は薄い色きて身体のラインをしっかり見せて下さいね!』
 …どうりで近頃、黒いセーターに袖を通してしまうわけだ(笑。
 これも昨日書いた父のこと。伯母に会えた4日前から思い巡らせている。
 私の知る父と、伯母(父の姉)が見ていた父と、ズレがあるのは当然だろう。父だけじゃない、誰にだって幾つもの面がある。ただ幼少期の父は両親に縁が薄く、幸福とは言い難く、それが父の印象を変えてしまっているとしたら悲しい事だ。私の知る父は、時には冗談もするが家で一人でお酒を飲み続けた。伯母は繰り返し「あの子は甘えん坊の寂しがり屋」だと言った。「小さい頃は明るくて無邪気だった」とも。
 一番驚いたのは祖母(父の母)のことだった。父からは”父を生んですぐに亡くなった”と聞いていた。しかしそれは”亡くなった”のではなく、曾祖母によって”子どもを置いて再婚させられた”のだった。それを1歳の父には”死んだ”ことにした。ところが、父が13歳の時、死んだ筈の母が数か月だけ帰ってきたという。
 祖母は、なんと私が19歳の時まで存命だったらしいが、父は一切関わることなく、”生きていた”ことは私に黙り通した。一体どんな心持ちだったのだろう。
 何とも言えないものに、伯母と会った翌日の私は塞がれ続け、到底分かる訳がないと諦めた。そして、強く、思った。それを夫に話した。
「人は立場によって様々に見てしまうし、見せたくない面を隠すのは当然だから、真の姿が見えないのは仕方がない、見ないことが優しさかもしれない。けれど、それでも私は良い事も悪い所も、”私が思う私”と”あなたが見ている私”が同じでありたい」

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黒は本当はこの世に存在しない

 おととい。ブラックフライデーとTVで何度も告げられ、ん?ブラックマンデーじゃなかったっけ??買い物に行くと店頭のポップにもこのロゴが踊っていて、知らないのは私だけかと慌てて調べた。”米国で毎年11月第4木曜日に催される感謝祭Thanksgiving Dayの翌日、第4金曜日を指す。このブラックフライデー以後本格的なクリスマスシーズンへ突入し、年末商戦が始まる。小売店が「黒字」になることから。” …ふうん、ハロウィンの次はこれ?いろいろ導入されるなぁ。
 ”世界恐慌を引き起こしたブラックマンデー(暗黒の月曜日)の「暗澹とした、光の見えない」とは大きく意味を異にする。” …なるほど真逆だ。
 「黒」は色の名だけれど、純粋な「黒」はこの世に存在しないという。いや確かめられない、というべきかも。まったく光のない状態が完全な「黒」であるとされているが、この状態ではなにも感じられない。「墨のように黒い」というような表現をするが、実際には、わずかの光を反射するものを「黒」といっている。
 かそけき光、暗闇は微妙な揺らぎでニュアンスを生む。大人には衣服などで好まれるが、子どもには敬遠されがち。
 白黒はっきりさせたい、と何かにつけ思う私はやはり、視野が狭いというか精神年齢が低かったのだろう。その意味で、この度、私は少し大人になれるかもしれない。
 父が亡くなって2か月が過ぎて、伯母(父の姉)が語ってくれた父の生い立ちだとか性格だとかは、私の知っている事と大きく小さくズレがある。正しくしたい、私の中の父を正確に修正したいと、土台に手をかけ、途中まで建て直したが、止めてしまった。無理だもの、確かめようがないんだもの。もう分からないままにしておこうと、初めて思った。真相は闇の中なんていうけれど、真実は在る。私には確かめられないだけで、確かに在る。だから、大丈夫。父は父。

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