なにがあっても

 デパートで玩具を買ってと地団太を踏み、叫ぶ子に、親はこう一喝したという。
「Don't be panic」
 取り乱すな。
 以前TVで紹介された”紳士の国”イギリスの光景。玩具をねだる我が儘よりも、人前でみだりに感情を露わにすることの方が問題だ、何時いかなる時も冷静であれ、と。
 感情の起伏が激しい私には忘れられないエピソードとなっている。出さないまでも内心が鋭利な折れ線グラフを描くのを持て余す、些細な事で。
 ローカルなミニバスの定期券を買いに行った。取り扱いは、商店街から道を1本外れた、昔ながらの煙草屋さんだけ。小さい引き窓から、中にいた80歳位のお爺さんに声をかける。「すみません、バスの定期券をください」するとおじいさんは少しもごもごしてから、「ばあさんでないと分からんのやけど、今パーマ屋へ行っとって」と言う。
「いつお帰りですか?」「昼過ぎになるかなぁ」
 まだ11時だ。もやもやしたが、このお爺さんに言うだけ無駄と「出直して来ます」。
 午後2時に行くと、店先に”ばあさん”と思しき小柄な、やはり80歳位のご婦人の姿があったが、どなたかと立ち話をしておられる。なあに急がない、手前にスクーターを止めて待つ。話は続く。うむ。…続く。ううむ。あ終わった。ご婦人は引き戸から店の中へ入った。よし、と後へ続く。口を開けかけた途端、レジ横で電話が鳴った。はいもしもしとご婦人は受ける。新たな会話が始まり、戸口に突っ立つ私。え~ちょっとちょっと、となっている。もう結構ですと去りたいが、だってここでしか買えないんだよ、夫の通勤定期券。待つ。待つしかないのだ。ようやく電話を切ったご婦人に要件を告げると、すぐに手提げ金庫から必要なものを取り揃え、定期券を発行してくれた。磁器カードなんかじゃなく、大きな数字のダイヤルスタンプの日付をセットし、インクを付けて押す。有効期限となる6か月後の日が黒々と現れた。「もう平成30年なのねぇ」とご婦人が渡してくれた定期券は、ティッシュペーパーにくるまれていた。まだ乾いていないインクが付かないように。ああ、いい。もやもやは立ちどころに霧消。子供の頃、祖母がチリ紙にお菓子を包んでくれたことなんかを思い起こしながら、ほくほくとスクーターを走らせる。そして、はっとするのだ、こうも簡単に苛立ったり感激したり、みっともないなぁワタシ。

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天使たち?

 日曜日のお昼時、饂飩屋さんの店内は賑わっていた。夫と席に着くと、お子さん連れのご家族があちらにもこちらにも。パパママの間で箸を握りしめる幼児のぷっくり丸っこい手指を垣間見ていると、通路の向こうの座敷卓で掴まり立ちをする赤ちゃんが目に留まった。立ってはいるがまだ1歳に満たないだろう、危なっかしい背中をママが支えている。赤ちゃんの表情を見て、おや、と閃くものがあり、隣の夫に、
「ねえ、向こうのあの子、可愛いんだけど、こんなこと言うと親御さんは気を悪くされるかもしれない、悪い意味に取ってほしくないんだけど、まだ人じゃないというか、目がさ、まだ魂が入ってない感じがしない?動いているけど、意志がないというか」と言いながら、表現を探り探り、続けた。
「あのね、亡くなり方にもよるだろうけど、人って亡くなる1週間くらい前から少しずつ魂が抜けて、あの世と行き来を始めるって聞いた事があるの。ほら、16年前、お義母さんが亡くなる数日前に病室のベッドで、嬉しそうに『藤棚の下でおじいさんとおばあさんが楽しそうに話しているの』って話してたの。あの時は、モルヒネのせいで朦朧としているからだと思ったけど」 義母は末期の癌だった。
「藤棚の光景って、あれはお義母さんは天国を見てたんじゃないかなって、最近になって思うようになってたの」
 夫は話の帰着が見えず、相槌を打ちかねている。
 私は最近こんな話も聞いていた。ある児童教育セミナーに参加した方から。生前の記憶を持つという小学生数人へのインタビュー映像だ。子ども達は天国みたいなところのスクリーンみたいなものに映し出された幾組のカップルの中から『この夫婦の子どもになる』と選んできたと語っていたとか。
「で、あの赤ちゃんなんだけど。あの目を見て、もしかしてと思ったの。人は亡くなる時だけでなく、生まれる時も魂がしばらく天界と行き来をする時期があるんじゃないかな、って」
 そして、この世に定着した時が”物心がつく”と呼ぶ時期。
 突拍子もない妻の話に、夫は否定も反論も加えず、
「まあ、確かに、あの子がもしゴジラ位大きかったら、何の躊躇いもなくビルを踏んづけて、街を壊すな」と笑った。
 その時、くだんの赤ちゃんがママの抱っこひもに納まって店を出て行った。

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松尾芭蕉さんへの誤解とお詫び

『松島やああ松島や松島や』 有名な句である。
 俳句の基本の季語がないのは、松尾芭蕉が、松島の絶景に感動のあまり季語を入れる隙もないという表現だと、習ったと思う。しかし、これがありなら俳句って何だ?
 私はこの句をずっと卑怯だと思っていた。やってはいけないこと、有史続く限り誰か一人がやったら他の誰もが使えなくなる禁じ手だと。
 ところが!この句は松尾芭蕉の句ではないと今日知ってしまった…。
 本当は、江戸後期の狂歌師、田原坊が「松嶋図説」(観光ガイド的な)用に詠んだキャッチコピー「松嶋やさて松嶋や松嶋や」が芭蕉作と伝わったというが、一体なぜこんな間違いが。
 芭蕉は松島に憧れていたが、訪れた松島で句を詠まなかった。それは感動のあまり句を詠めなかったという表現とも。
 そうですよね、松尾芭蕉さんともあろう方がこんな句を詠む筈がなかったですよね。天国の松尾芭蕉さん、長年の誤解をどうかお許しください。

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絶対になくしたくないもの

 外付けハードディスクが昨日から開かない。パソコン本体を軽くしておきたくて、私も夫も保存したいものは写真でも文書でもすべて外付けへ入れていた。ふたりで「え~?!」となり、「ちょっと待てよ」さしあたって何が困るだろうかと考えた。夫は、お気に入りの類いは勿論、取説的な物やちょっとしたブックマーク等をこの十数年にわたって丁寧に保存していたから「ちょっとした財産だぞ」と力なく言ったが、仕事には一切使っていなかった。私は、仕事関係一切が入っているが、仕事はやめているから困らない。あとは写真やイラストが少しと書き溜めた文章。惜しいが、イラストも文章も又書けばいい。そう惜しい、それだけ、私が。
 今秋亡くなった父のお通夜の日、夕刻までは時間があり、葬儀場から近い弟の家へ荷物を見に行った。十年ほど前、父が施設へ入る際に実家から運び出してそのままになっていた品々の、今後の処分の為の確認だ。父の身の回りの品が少し、後は私と弟の幼い頃のアルバム、おもちゃや私の七五三参りの髪飾り、学生時代の卒アル、文集等々。これはあの時の、それはその時のと、弟と昔話をし、同行していた夫に聞かせる。
 しばし感慨を味わったが、私は言った。「もう全部要らないかな」
 夫が驚いて私を見た。「ええッなんで、大事な物ばかりでしょ」
「私には思い出深いけど、今の生活には全く要らないし、困らない、きっとこの先も」
 すると弟が。「俺も、最近そう思うようになってた。俺には大事なもので、あの時は捨てられなくて持ってきたけど、俺以外の人には何の価値もない。この先俺が死んだら、子どもが処分に困るだけだなって」 
「うん。大事なのは物自体じゃなく、まつわる思い。それは胸に持ってればいい」
 牛乳を入れたあったかいコーヒーや、おやつのチョコレート、ヘビロテのセーター、大好きな歌……手放したくないお気に入りは沢山ある。ないとじだんだ踏んじゃうかも。けれど、失くして私を打ちのめすことが出来るのは、それは大切な人や生き物と共に生きる時間だけ。

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ポケットの中身

 物事を後回し先延ばしにするのはいつものこと、2ヵ月半たってようやく、他のドライ洗濯物と一緒に父の形見のベストを洗った。薄手のウールで前ボタン開き、背広の下に着る、父はチョッキと言ったっけ。
 チョッキとベストはどう違うのかと今更の疑問をググってみた。結論から言えば日本では同じもので、ベストは米英語で正しくはヴェスト(笑)、チョッキは日本だけの言葉で、ジャケットが訛ったか”直着”から来たものだとか。
 チョッキの他にも幾つか、私にとっては主に父、年配の方にしばしばみられる言い回しがある。鶏肉をかしわ、ハンカチをハンケチ、固ゆで卵をにぬき、ごぼうをごんぼ、おでんを関東炊き、蕪をかぶら、お刺身をお造り。特ににぬきは関西でしか通じないようだ。
 関西特有のものの多くは京都、お宮、女房言葉に由来するようで、あらためて父の京都育ちが裏付けられる。社会人になり、京都を離れた父は、京言葉、特に男性が使う京都弁が嫌いだと言っていた。意識して使わいようにしているとも。なのに、出ていたのだなぁ。
 出る、といえば、父の遺品を整理した時の事。夫に促され、処分する服類のポケットの中を念の為改めると、年がら年中水洟の出た父らしく、次々とティッシュが手品みたいに出てきた。笑いながら古い背広のポケットに手を入れたところ、指先が違うものをとらえた。皺くちゃの二つ折りの封筒の、中が何やらじゃらりとする。覗くと、色も形もまちまちの十数個のボタンが入っていた。何をまぁ後生大事に…。不意を突かれて声の出ない私に、夫が「やられたな、お義父さんらしいや」。裁縫が出来た父は糸と針を身近に使ったから。
 父の形見として、昔から着ていたチョッキ1枚とこのボタンだけを私は持ち帰った。
 私なら、亡くなった後に、夫や弟を”アイツらしい”と笑わせるものって何だろう?

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