早起きは三文の徳、を覆す!

 些細っちゃ些細ながら、これはこれで取り返しがつかないことにも。
 時計をね、一時間読み間違えるんだ、私は。年に何回か。結構頻繁?

 夫の出勤は早い。始業時間前に一仕事片付けたくて頑張っている。6時22分の電車に乗る為、まだ暗い5時半過ぎに私が起き、お茶をいれ、シェーバーと一緒に夫のところへ持っていく。
 枕元に直径10cmの目覚まし時計を置いており、毎夜アラームをセットするが、夫にはギリギリまで眠ってほしい、できれば鳴り出す前に私は寝床を抜け出したい。
 時計の針は蓄光していて夜中でも読める。そろそろ頃合かと見れば、5時25分、ちょうどいい。いつものように支度して夫に声をかけたが、この朝の夫は、中々目を覚まさない。昨夜はずいぶん遅くまでネットサーフィンしていたっけ。だから早く寝ないとって私言ったのに・・・。
「おーい、そろそろ起きないといつもの電車に乗れないよ、それともたまにはゆっくり出勤する?」
 夫はむくりと体を起こし、この日家から持参したいものがあったのを思い出したらしく、書類戸棚のある部屋へ行ってゴソゴソと探し始めた。そのまま5分経ち、10分が過ぎ・・・。そろそろ家を出なければならない時間になるわよ~とヤキモキ私は居間の壁掛け時計を仰いだ。
 5時10分。

 これまでにも私は間違えて1時間早いことに台所で気づき、布団へ戻ったことが何度かある。しかし今朝はもう夫に声をかけた後だ。ただでさえ眠るのが遅かった夫を、1時間も早く起こしたなんて!!
 ああ、あああっ、どうしよう、どうすればいい?? 
 いくらなんでも出勤するには早すぎ、かといってもう一度寝て頂戴と言っても、目が覚めてしまったものを中途半端に40分だけ寝なおせる夫ではない。あああああッ。
 まずはこの状況を知らせないと。そこへ書類を手に戻った夫に、もう平謝り。
 常々夫をすごいと思うのは、こういう時に腹を立てないこと動じないことだ。ふうん、と一言漏らした後、
「反対に一時間遅いんじゃなくてよかった。いつもがギリギリでバタバタし過ぎなんだ。ちょうどいい、ゆっくり出て、コンビニ寄って、朝飯と昼の弁当を買うよ」
 
 視力はいいし乱視もないのに昔から読み間違える、これって何だ…。
 せめて今夜は眠る前に凝り性の夫の背中や脹脛をいっぱい揉んでサービスしようと誓うのだった。

どうしたの食べなさいよ

 ゆで卵とマヨネーズの相性が好きだ。タルタルソースはもう掛ける主役なんか要らない、それだけで良くて、それだけを食べたくて、止まらなくなってしまうから、むしろ作らない。だから夫は私がこんなにもタルタル好きだとは思っていないだろう。
 ゆで卵を入れたポテトサラダも好きで、こちらは恋しくなると作る。

 昨日作りながら、思い出した。
 父は、手先が器用で手早いから、父子家庭の主夫になる前から料理は得意。夜食の時間になって「巻きずしが食べたいなぁ」と言い出し、お米を2合ざっこざっこ研いで鍋で炊き、その間に寿司酢を調合し、沢庵を刻み、巻き簾を出し、海苔をあぶってスタンバイ。炊き上がったら手際よく巻いて、濡れ布巾で包丁を整えながら切り、皿に盛ってゆく。
「ようし出来たぞさあ食え」
 小学生だった私は、ダイエットなんて考えないから「わーい」と手を伸ばし、一つまた一つと頬張る。
 ところがだ。肝心の、言い出しっぺの父の食が進んでいない。
「なんで?食べたかったんでしょ??」
「う~ん、不思議なもんでなぁ、匂いで腹がふくれるというか、気が済むというか、もうそんなに食べたいと思わんのや」
 皿には巻き寿司がたっぷりあって、子どもに譲るというのでもない。
「ふ~ん、…なんでかなぁ、こんなにおいしいのに」

 ゆで卵のポテトサラダを作って、実は私もあんまり食べないのだ。夕食のテーブルに並べ、ひと口ふた口箸で掬い、あとは夫が食べるに任せる。
 なんだろうねこれは。食べたくて作って、作ったらもう執着が消えたというか。
 うちの親子だけ? 他にもこんなひと居るのかな?

すぐに気付いたよ、

 半年ぶりかな、弟からの電話。
 父の三回忌の日取りを決めたから、と。
「それから」
 そうそう他にもあるだろう、あのことが。
「俺、5月に携帯を水没させちゃって機種変更したらデータを引き継げなくて」
「そうだと思ってたよ」
 ラインのトークリストに突然『メンバーがいません』が表示されたのだった。一瞬あ然となった。夫に冗談めかして「弟にラインを切られた」と言ったが、内心ショックだった。
 あれれ私なにか弟を怒らせることやったっけ?? いやいやこれはあれだきっとうん。
 昨年別の人と同じ状況を経験していたのと、義妹とのラインはそのままだったので深く考えるのをやめた。普段から頻繁に連絡をとりあう姉弟ではないし、ね。
「えっとオトモダチになるの、どうすればいいんだっけ?」
「俺のID簡単だから検索して」
 そう言って、あだ名と4桁の数字を口にした。
「あ、この数字!」
「やっぱり、姉ちゃんは分かるか。俺の周りの知り合いはこの数字を見ると”何の数字?”って訊くけどな」
 それは、もう20年近く前に亡くなった、弟の娘の誕生日と命日だった。
 弟夫婦が不妊治療までして待ち望んで生まれてきた姪は、超早産で、月初めに生まれ、その月末に亡くなってしまった。私には子どもがいないから、弟夫婦の気持ちに真に寄り添うことは出来ないが、せめてこの姪のことを忘れずにいようと思った、ひと月もこの世に居られなかった姪のことを。
 それから数年経って、弟夫婦は娘を得、今は穏やかに暮らしている。
「いい数字を使ってるね」
「うん、銀行の暗証番号とか全部これ」
「じゃ私は今日、重大な秘密を握ったねぇ。あ絶対に悪用しないからっ」
 三回忌の詳細はまたね、と電話を切った。
 切った後しばらく4桁の数字の余韻を感じていた。それは、寂しさが混じりながらも、年月が経った今となってはほの暖かいものだった。

成功率70%ということは、30%の確率で死ぬということ

 近頃日常が変化してきた。子供の頃から、見なくてもBGMよろしく点けていたTVを消す。不思議だ。PCに向かう時間も激減した。…更新さぼりの言い訳(^^;

 3日前とても悲しいことがあった。セキセイインコが亡くなってしまった。

 うちには、迷子で保護され、飼い主が見つからず引き取ったインコが4羽いた。
 ルイと名付けた雌のインコの、少し前から下腹がふくれだした。卵が産めずつかえている様子。本人(鳥)は至って元気だが、夫や私からは苦し気に見え、動物病院へ連れて行った。
 診断はヘルニア。ふくれた下腹に卵管や腸が入り込んで下がっている様子が、後日の造影検査でも見て取れた。
 ふくらみが今後萎むことは考えられない。徐々に垂れさがりが大きくなるだろう。こういった状態のまま長生き出来た事例はあるが、ある日フンが出なくなったり、ふくらみが擦れてお腹の皮が破れ腸が出てしまう可能性がある。
 手術でふくらみを取り、腸や卵管を元の位置へ戻すという治療法があるが、ルイはうちへ来て6年、少なくとも7歳以上の高齢ゆえ、全身麻酔で目が覚めなかったり、術後不良で衰弱死の可能性もあり、術後1ヵ月の生存率は70パーセント。
 またインコは卵巣と腎臓がくっついた構造だから、手術で卵管は結べても、卵巣は除去出来ず、1年後に同じ病状に陥る可能性もあるという。
 さあどうする。
 手術は高リスク。けれど、このままでも明日にも悪化して衰弱死を迎えるかもしれない。夫も私も手術を望んだ。

 手術日時は私が電話で予約した。受話器を置いた途端、私は、ルイの余命のカウントダウンスイッチを勝手に作動させた気がした。
「ねえアナタはこれが自分だったら、成功率70パーセントの手術を受ける?」
「ああ。受けなくても長生きできる保証がないなら、元気になれる可能性に掛ける」
「そっか…私は、自分だったら、もう高齢だから何もしなくてもいいかなって思うの」
「…もしルイが明日具合が急変したら、俺達は何もしてやらなかったことを後悔するよ、直してやれたかもしれないのにって。手術を選んだことは間違ってないと思う」

 当日は朝9時半に預けて注射などの実前処置、午後から手術。16時頃に終了報告の電話を頂き、そのまま数日入院・・・というスケジュールだった。
 そして15:40、電話に出ると、院長先生の声だったので、ああこれは駄目だったのだと思った。上手くいっていれば、電話は若い女性スタッフが軽やかに「無事終わりました~」と下さっただろう。
 先生によるとルイは、全身麻酔をかけた途端そのまま呼吸停止、心停止に陥り、2分後には亡くなってしまったそうだ。
「そうですか・・・やはり高齢で麻酔のリスクが高かったのですね、覚悟はしていましたが・・・」
 30分後、夫と二人で引き取りに行った。ルイは紙箱の棺に納められ、顔の両側にピンクの小ぶりなガーベラを添えて貰い、静かに眠っていた。
 朝、出掛ける前に、鳥籠の中で首をかしげるようなしぐさをしていたルイを思い出した。その時、これが最期かもという思いが浮かびかけたのを打ち消し、考えないようにした。元気で帰ってくる、お腹ぺったんこの美ボディになって戻ってくるんだと。
「覚悟はしていました」などと格好いい事を私は先生に言ったが、覚悟なんてしていなかったのだと、瞼を開けないルイの顔を見つめ、思い知らされた。覚悟なんて出来ていなかった、可能性を知っていただけだ。

 これまで私は、引き取った動物を大切に可愛がったとは言い難い。最低限かそれにも満たないくらいの世話しかしていない。関わりは薄かったと言えるだろう。けれど、ルイの命が消えたことに打ちのめされている。餌の入れ替えの度に、これまで4つだったのが3つであることに驚いてしまうのだ。

”日にち薬”って関西弁なの?

 節目は節目、なのだなぁ。
 先週、舅の一周忌を行なった。夫と私、叔父夫婦だけという小規模なものだったのに、ひと月も前からそわそわと落ち着かず、済ませて一段落した気になっている。
 舅が暮らしていた家は一年間手つかずになっていた。台所のコンロ脇には舅が毎日使っていた小ぶりなフライパンと片手鍋、シンクには洗い上げられた普段使いのお茶碗、汁椀、取り皿に湯呑み。勝手口に置かれたハンガーラックには散歩用の上着とズボン、帽子が数着ずつ掛かったまま。
 それらを法事の前に夫と片付けた。衣類をどうしようかと問うと、夫が「もう捨ててもいいだろ」と言ったので、私は可燃ごみの袋を広げた。次々に詰めていきながら、「不思議だね」と夫に話しかけた。
「去年、お義父さんが亡くなったばっかりの時には踏ん切りがつかなかったのに、一年経つと処分できるんだねぇ」
「…そうだなぁ」
 時間の流れと共に前へ進んでいくのだなぁ、ひとは。