いやきっと私達は強い筈

 ようやく雨も上がった3日目の今日になって氾濫した川があるとは。ニュースに目を耳を疑った。

  被害に遭われる方がこれ以上増えないことを強く願う。

 私の暮らす関西にも大雨が3日続いた。
 電車は止まり、高速道路も通行止め、裏山の土砂崩れに危機を感じながら家に降りこめられ、TVから伝えられる各地の被害状況に呆然と見入る。強弱を繰り返す雨音に応じて音量を上げたり下げたり。
 ふと思った。量の問題なのは承知の上で、しかし雨が降り続くことでこうも社会がフリーズ、いや破壊されてしまうものか。居座って動かない雨雲にこうもなすすべがないものか。ゲリラ豪雨や異常気象…人が招いた環境破壊や地球温暖化のせいだとか、そんなのは今、決壊しそうな崖や堤防を目の前に言うことじゃない、とにかく何とかできないのか。こんなにもろいものか。
 もし土砂災害に遭わずに生きていられたら、今年の秋はお米の値段が上がるだろう…命の危機の次によぎったものがこれなのだから、私の頭の混乱にも呆れた。
 一刻も早く、調和した日々、社会を取り戻せますように。

半歩先の50年

 週末に映画を見た。夫が小学5年から愛するスターウォーズの『ハン・ソロ』。

 近頃は事前にネットで席を予約して劇場へ行く。決済画面を見ながら夫が言った。

「夫婦50割ってどちらか1人が50歳以上だったら2人とも安くなるの? いいなぁ」

「あっ!アナタあと3日で50歳だよ。観るの3日待つ? 待たないよね~」

 以前よく話した。同級生夫婦は恩恵少ないね、ほぼ同時に50歳になるから。それに、50歳なんて当分先のハナシだね……なんて、はるか銀河の彼方の事だとうっちゃっていたのに辿り着いてる!

 翌日、私は義父のお香典返しを引取りに、繁華街へ出ていた。

 併せて夫へのプレゼントを探してお店を幾つか覗く。ふいに久々に聞く、あまりに懐かしい曲が流れてきた。ジャネット・ジャクソンの『nasty』、大学生以来だから、え~と25年以上前? 感慨にふけっていると夫から電話がかかった。

 職場の機材の操作法を教えて貰った後輩にお礼がしたいから、という。

「〇〇君もスターウォーズ好きだから、『ハン・ソロ』のチケット1枚だけでいいから買って。あそこなら安い筈、ほらあのチケット屋、高架下のお店、まだあるかなぁ」

「わ、どうかな、暫く行ってないから」

 とにかく大人1枚ねと引受けて行ってみれば店は健在。が、チケットが思ってたのと違う。テレホンカードみたいなサイズなのだ。腑に落ちず他の店も覗いたがやはり。これがそうなのだと買い求めた。

 帰宅した夫も「へぇ~知らんかった、これがムビチケってやつか」。

 滔々と流れる時間、同じ時代を一緒に歩いてるねぇ。

 私よりひと足先に節目を迎えるアナタへ。プレゼントは見つけられないまま、かわりにこんな言葉を。常に仕事の労を惜しまないアナタの善意が曲解されがちだから…

『あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっちにしたって批判されるのだから』(エレノア・ルーズベルト、米国のファーストレディ・人権活動家 / 1884~1962)

『一人前になるには50年はかかるんだ。功を焦るな。悲観するな。もっと根を深く張るんだ。根を深く張れ』(升田幸三将棋棋士 / 1918~1991)

 私はアナタに永遠に追いつかないんだねぇ @^^@

初めての、老眼鏡

 ちょっと、自覚はあった。今年に入ってから、かな。
 ちょっと、手帳に字を書く時のペン先がぼやけるなぁと。それ以外には何の支障もなかったし、針に糸を通すのくらいは多少ぼやけても勘でなんとかなった。

 駄目かも、と思ったのは今年の春。

 私は年に2,3回、夫に写譜を頼まれる。A3の楽譜を、ハガキより一回り大きいくらいのサイズに書き写す。結婚前に設計事務所で図面を描いていた私の細かい書き込みは、夫に信頼されていた。

 それが今年の春、引き受けていざ五線に向かうと、自分のペン先が覚束ない。うわ~やばいなぁと思ったが、目を凝らして書き上げた。
 すると、夫が「キミの写譜にしては珍しく、分かりにくい所が数か所ある。手直し頼める?」と言ってきた。
 冷汗&苦笑い。ついにきたか…?

 老眼。

 私の視力はずっと1.2~1.0だった。子供の頃によく父から「お前は目がいいから、早く老眼になるぞ」と言われ、そんなものかと思っていた。

 それを、5年ほど前に、お隣のSさんから「人は口にすること、思うことの通りになる。コトバには力があるの」ということを教わって、私は「よおし、反対に利用してやる」と考えた。

 その時から「私は老眼にならない」と念じ続けてきたのだった。

 だから自覚症状が現れても、認めるものかと、夫にも誰にも一切話さなかった。

 しかし3日前、また夫に写譜を頼まれた。夫が出勤した後、ひとり机に向い、楽譜を広げ、0.05ミリのペン先を五線の上に、レコードに針を載せる様に運んでみたが、定まらず、下ろすことが出来ない。
 うーーーん……うーーーん……。

 私は兜を脱ぎ、代わりにジャンパーを着て、近所の100円ショップにスク-ターを走らせた。確かあった筈、あんなのでいい、とりあえず写譜だけ、写譜の時だけ…。

 あ~あ。ついに、ついに、老眼鏡を手にした。
 眼鏡をかけて五線を見ると、悲しいくらいにくっきり。これなら手直しを食うこともあるまい。挫折と爽快感の中で、楽譜は仕上がっていった。

 f:id:wabisuketubaki:20180701181351j:plain …ミトメタクナカッタナァ。

 でも。コトバの力。まったく無意味ではなかったと思う。父によれば私は40歳を過ぎたくらいには老眼になると言われていたが、それを49まで遅らせたのだから。それに、まだまだ他の事は大丈夫、新聞も文庫本も読める。もっともっと、これからも。

 帰宅した夫に、笑いながら私は白状し、眼鏡を見せた。夫は”視力悪い”のスペシャリストだ。中学から眼鏡、大学でコンタクトレンズ、視力は0.01か0.02だっけ。
「眼鏡かけたまま遠くを見ると、ほんとにくらぁ~っとなるね」

続 )いきものじかん #9’ 最期にひと目…

 (続き) 女の人はご主人に電話してキャリーバッグを頼みます。お二人はすぐ傍のマンションにお住まいで、私が先に掛けた番号はご主人の携帯。聞けば、飲食店で共に働くお二人は毎晩仕事から帰った深夜に猫を探していて、昨夜も午後10時半に仕事から帰宅し、その後、午前2時半まで外を探して歩き回っていたから、ご主人はあまりに疲れていて、携帯が枕元で鳴っても起きられなかったらしいのです。

 今度はなんとか繋がり、ほどなく来られました。奥様に促され、溝の中を覗き、「あ、〇〇や」。ホンモノの○○や…これまで一カ月の間、必死で探しても見つからなかったので、半信半疑でここへ来られたということが、その力の抜けた声から察せられました。ああ本当に良かった。

 ご夫婦揃い、キャリーバッグが届いたところで、奥様は意を決し、道に這いつくばる様になって、溝の奥へ腕を入れ、猫の体を掴みます。奥へ逃げるかと心配しましたが、幸い猫は抵抗せずに引き出されてきました。ここでご夫婦はようやく〇〇ちゃんの全身を見ることが出来たのです。

 腕に捕えた猫を抱きあげた奥様は涙声で「ああ…体重が半分になってる」、ご主人の構えたキャリーへそっと納めて扉を閉め、ようやくひと心地。 

 しかし私はこの時、嫌な気持ちに襲われていました。引き出されてきた猫が、あまりに無抵抗と言うか、ぐったりとしているのを見て、あれ……この猫、助かるかな、衰弱が酷い…と。

 だから私はご夫婦のお礼の言葉を遮って「早く病院に連れていってあげてください」と追い立てました。

 見つかった、念願かなって私が連絡できた。それなのに、気が重い。見つかったからといって元気だとは限らないんだと、この時初めて気付きました。 

 とにかく、もう私に出来ることは無い。○○ちゃんと飼い主さんは会えたのだ。そんなふうに気持ちを静めていた朝の9時ごろ、ご主人から電話がかかりました。改めてのお礼にしては早すぎる。そう思って出たのですが、案の定です…。

「先ほど動物病院で息を引き取りました」

 ○○ちゃんは慣れ親しんだ我が家に帰り、気を取り直すかに見えましたが、水を少し飲んだきり、ゴハンも食べず、ぐったり。動物病院で見て貰いましたが、衰弱が酷く、そのまま亡くなったそうです。

 敗北感…こういう場合に適切な言葉とは思えませんが、私を圧倒したのはまさに敗北感でした。見つかったってちっとも喜べない。むしろ余計な事をしたように思われてくる。辛くて、重くて。

 

 その二日後だったと思います、奥様がお礼に訪ねてこられ、少しお話出来ました。

 子どものいないご夫婦にとって娘のような存在だった○○ちゃん。臆病で内弁慶の人見知り。だから外へ飛び出してしまったらパニックになっている筈。知らない人に餌を貰えるような性格でない事をご夫婦はよく知っていたから、とにかく一刻も早く探し出さなければと、必死だったのです。

 ご夫婦は飲食店勤務で帰宅は夜10時半。それから深夜2,3時まで探して歩く。それからご主人は少し眠って朝出勤。奥様は早朝5時頃から昼前まで時間の許す限り探して出勤する。

 この生活を、いなくなった6/16から見つかる7/12まで続けられました。

 この間、電柱への張り紙と、近隣宅へのチラシ配布3回。

 この辺りは山のすぐ傍で、2階建て住宅が広がる中に、4階建てのマンションが少し、といった住宅地です。奥様は斜め掛けにしたショルダーバッグに、猫のお八つ、軍手、懐中電灯の3点セットを装備して日夜捜索。ずいぶん遠くの町内までも範囲を広げ、歩き回り、おかげでこの辺りの猫事情にすっかり詳しくなったそうです。うろついている野良猫の分布、どれがボス猫か、野良猫に餌をあげている場所と人、野良猫を嫌っている人に声をかけて文句を言われることも。

「深夜、家のマンションのすぐ裏の山の草むらがガサガサっというので、名前を呼びながら近づくと、猪だったり狸だったり」 こんな事は何度もあったそうです。

「○○の性格を考えると遠くへは行けないだろう、飛び出した後そのまますぐ近くの草むらに隠れたんじゃないかと思っていたんです」

 その予想通りだったのでしょう。ご夫婦のマンションと我が家は歩いて30秒の距離です。山の藪へ潜んだまま怖くて一歩も動けなかった。獣医さんで撮ったレントゲンでは、大腸の中に僅かな残留物があるきり。それは飛び出す前に食べたものだろう、外では餌は恐らく一切口に出来なかった。途中雨が幾度も降ったので水は飲めて、それで命を長らえた。けれど、もう限界…。

 最期に最愛のパパとママに一目会いたい。意を決して人目に触れる場所へ姿を現した。

 そして猫が選んだのが我が家の前だったのですが、我が家サイドでもこの朝たまたまの幸運が重なっていたのです。いつもなら我が家は夫の出勤前に家の中から電動シャッターを開けてバイクを出しに行きます。この朝は雨ふりでバイクを使わなかった為、シャッターは閉じたままでしたが、もしも開けていたら、猫はシャッターに体を寄せて横たわっていましたから、きっと驚いて逃げてしまったと思います。それから、夫の出勤がこの日に限って5時半、まだ誰も通らない、静かな時間帯でした。もしもいつも通りの6時半だったら、それまでに人や車の行き来に猫はやはり隠れてしまったかも。

「よっぽど帰りたかったんでしょうね…」

「ええ。助かりませんでしたが、最期は私の腕の中で看取ってやれました。それだけがせめてもの救いです。生死も分からないままだったら…」

 見つからなかったら、このご夫婦はずっと、おそらく何年も探し続けたでしょう。

「私だったらそんなに頑張れません、本当によく探されましたね」

「…私達が諦めたらそこまで、諦めたらそれで終わりだと思ったので」

 ○○ちゃんの最期の親孝行だったと思うのです。

いきものじかん #9 何とも言えない…

 ちょうどこの時期でした。

 ある迷子猫さんの、不可思議で、悲しい、忘れられない出来事です。

 2年前の6月半ば、近所の電柱に尋ね猫の張り紙が、そしてうちの郵便受けにも同じものが入っていました。

 我が家も元野良の猫と暮らしています。ある日帰って来なくなったらという潜在的な不安は常にあるので、他人事とは思えません。飼い主さんは居ても立ってもいられない筈。いなくなった猫の特徴を把握して、連絡先の書かれたチラシを取り置きました。

 次の日、雨の中帰宅した夫が、家からすぐの所で女の人に「猫を見かけませんでしたか」と話しかけられたのです。チラシの子です。傘をさして探し回っておられる様子。

 その次の朝、仕事で家を出たところで、女の人に呼び止められました。「猫を見かけませんでしたか」 昨夜夫に声をかけた方でしょう。

 何でも臆病な猫ちゃんで、宅急便が届いたのに驚き、玄関扉の隙間から走り出してしまったそうです。極度の人見知りだから誰かに餌を貰っているとも考えらない、と苦しげです。私は見かけたら必ず知らせますと約束して別れました。

 1週間ほど後、今度はカラー印刷のチラシが郵便受けに入りました。特徴もより詳しく載っています。まだ見つからないのか…。一層気にかかり、近所を歩く時はキョロキョロ。バス停と家の行き来に、電柱の張り紙を見る度、苦しくなりました。

 それからも何度か、猫を探して歩き回っているあの女の人を見かけました。

 さらに十日ほどすると又郵便受けにチラシが配られていました。私は夫に「こんなに一生懸命探してる人を見た事がない」と話しました。

 

 実は、私もその頃には強く念じていることがありました。

 というのは、真理や理念に精通しておられる隣宅のSさんに”言葉のもつ力”の事を教えて頂いていたのです。言葉には実現力がある、他人を傷つけない正しい祈りは叶う、というような。しかも、「見つかりますように」ではなく、既にそれを受けたりと信ぜよ、「見つかりました、ありがとうございます!」と祈れば良いと。

 だから私は暇さえあれば「猫ちゃんが帰ってきました、ありがとうございます」と心の中で唱えていました。私が見つけたい、あの探し回っている女の人に「いましたよ!」と私が電話したい、あの人はどんなに喜ぶだろうか、そんなことばかり強く思っていました。

 

 そうして、電柱の張り紙がなくならないまま、7月も中旬を迎えたある朝です。

 その日夫は5時半に家を出なければなりませんでした。小雨が降っていてスクーターも使えず、玄関先へ見送りに出ると、門扉を開けて歩き出そうとした夫が、門扉と横並びの我が家のガレージのシャッター前で立ち尽くし、不思議そうな顔で私へ振り返り、
「…この猫じゃない?」というのです。

 私も門を出て見ると、幅4メートルほどのシャッターの向こう端に、猫が寝そべっています。グレーの長毛、緑の目、ふさふさしっぽ、間違いなくあの子です!

 ええええええええええ~~~~~~~~~~~っっっっッ 
 そりゃ、発見を望み、祈り続けていたけれど、こんなことある????

 夫にはそのまま出勤して貰い、横たわったままの猫がどこかへ行ってしまわないかと冷や冷やしながら、急いでチラシを取ってきました。

 携帯電話の番号は2つありました。一番新しいチラシの番号へ掛けますが、出ない。出ない。ああ、こうしてる間に猫ちゃんがどっか行っちゃったらと気が気でない。朝の5時40分くらいです。あんなに探していたのに出ない。何度も掛け直すも出ない。そぼそぼと霧雨の静かな早朝の住宅街で、途方にくれていました。どうしよう、ここで逃がしたくない、うちにあるキャリーケースに入ってくれないかな、無理かな、でも何としても捕まえたい。

 私は名前を呼びながら、少し歩み寄りました。すると猫はささっと立って、隣の家の前の、トンネル状の溝の下へ隠れてしまいました。ああマズイ、これ以上手は出せない。でもみすみす逃してはならない。

 私はチラシの別の番号へ掛けました。すると今度は女の人の声、あの人でしょう。なんとあの人はこの早朝に既に近くのバス停辺りで猫を探している最中でした。

 すぐに走ってこられ、斜め掛けにしたショルダーバッグから懐中電灯を取り出し、溝へ屈みこんで中を照らし、その姿に「ああっ」と声をあげられました。いなくなってから、ほぼ一ヵ月ぶりの再会でした。
 女の人が名前を呼ぶと、猫は「なおう」と返事をしました。私が呼んでも鳴かなかったのに。やっぱり違うんだな。
 しかし猫は出てきません。女の人が手を伸ばして届くか届かないかのギリギリの所から猫は出てこようとしません。

(長いので続きは次にしますね^^;