言い方なんだ、とどのつまりは

 正論でも愛が無ければ受け入れられないよ。
 独り暮らしだった義父が亡くなった翌日、新聞を止めなきゃと配達所に電話して事情を話したところ…。
「4年契約の、まだ2年なんで、継続して取って貰えませんか?」
「いえ、もう読む人間がいなくなったので」
 途端に相手は横柄な口調になった。
「まあねぇ、死んだんは仕方ないけど、契約の時に3万円の商品券を出したんだ、せめて半分の、1万5千円は払っても貰わんとねぇ」
 絶句。そして「分かりました、払います」
 何か酷いなぁと、夫と二人で話しあったが、最後は、
「契約して商品券取られてすぐ解約されたら堪らないもんね」
と理解しようとした。
 それにしても、である。
「言い方だよね。同じ内容でも、穏やかに上手いこと言って、こちらを『まあ半分でいいんですか、ご迷惑おかけします』って気持ちにさせてくれたらいいのにね」
 そこまで配慮する必要なんかないって? いいけど、20日たっても私はまだ収まらないよ、未だに抗議の電話かけちゃおうかしらと思う。それに、80歳の独居老人相手に4年契約した時点で、お店側もリスクは覚悟して貰わないと。身寄りがなかったら商品券代は回収できなかった訳でしょ。 今回のことで、〇〇新聞だけは今後絶対取らない!って私は思った。遺恨を作るのはやはり損なんじゃない?
 同じことでも物言い一つで皆がhappyになれる。肝に銘じとこう。

永久に消滅したゴール

 永遠に上がりそこなったすごろく、完結しない100物語みたいになってしまった。
 義父の突然死以上に呆気にとられたのはその事だ。
 8年前に家を買う時、経済的に余裕のあった義父から1500万円を借り、毎月15万円ずつ返していた。有り難い無利子のローンである。
 快く貸してくれたが、義父はほんの少しお金に執着があり、借用書を要求された。「ワシが生きてるうちに返して貰えるかな」と言った。当時72歳。半分は冗談なのだが、半分は本気。義父の普段から「正月にはなにをご馳走して貰おうか」的なからかいを口にするところが私は嫌だった。
 健康に関しても、義父の小心が腹立たしかった。病院で検査の数値が少しでも悪いと「ワシもうアカン」と萎れてしまう。「これくらいは大丈夫ですよ」とお医者さんに言われると、途端に豪快に笑い、鰻重をかき込む。それまで大好物だった食べ物でも量を過ぎると血圧に影響するなんて聞くと以後一切食べなくなる。私自身、恥ずかしながら持病があるが、心まで侵されたくない取り乱すまいと、義父を横目に思っていた。
 義父は数年前から透析を受けながらも、身の回りのことを自分で調え、朝夕のウォーキングを欠かさず、昼には車でイオンモールへ買い物に行き、ちょくちょく一人焼き肉ランチを楽しんだりして暮らしていた。親戚を見ても長寿の家系である。なんのことはない、我が家の返済は余裕で間に合うじゃないか。今年2月末に振り込んだ際、私は義父に「あと3回ですね」と言った。そうして3月、4月とカウントダウンをしていた。
 5月8日、朝から電話に出ない義父を訪ねて行くと、義父は布団の中で永遠の眠りについていた。救急車を呼び、救急隊員が警察を呼び、警察が来るまでの間、義父の寝室で私は義父と二人きりの時間を持った。義父のベッドに腰掛け、仰向けの義父のお腹に手の平を載せ、義父の顔を見ていた、ぼんやりと。
 そして突然あっとなった。あと1回だったのに!あと10日で100回目、返済完了だったのに!! まさかこんな…。
 私の不遜をご先祖様方に窘められた気がした。思いもよらないことがあるのよだからね、と、先に亡くなった義母の柔らかい、困ったような笑顔が浮かんだ。

オマエにはまだ早い

  この世で縁のある人とは何らかの形で魂を磨き合う関係なのだという。
  2週間前に亡くなった義父に、私は批判的だった。性格が合わない。話が噛み合わかった。それでも、緩やかに老いていく義父と、そろそろ喧嘩しながらでも寄り添っていこうと考えていた。その矢先に、逝ってしまった。ある朝、突然にだ。
  なんというのか、お世話や介護という形の孝行を返す機会を与えて貰えなかった、という気がしている。お前にはそんな善徳を積ませてやらないぞ、と。
  こんな言葉は介護がどれほどのものかを知らないから出るのだろうが、私なりに覚悟を固めようとしていたのだ。
  というのも、義父の母、つまり義祖母は酷かった。嫁いで間もなくから義母を嫁いびり倒した挙句に認知症になり、続いて寝たきりになった。この憎むべき存在を義母は最期まで看取り、義祖母が亡くなった10ヵ月後に結婚した私に、義母は言ったものだ、アナタに面倒を掛けたくないと。
  そしてその通りに、5年間だけ母のいない私の世話を焼けるだけ焼いて、僅か3か月の闘病で逝ってしまった。残った義父のことを心配しながら。
  だから、その時が来たら義父を介護するのは私の当然の務めだとずっと思っていた。
  それなのに。
  車で15分の距離を時々行き来しながら、義父は身の回りの事を自分で調えて一人でのんびり暮らし、その夜も日課の血圧を測ってノートに記録し、布団に入り、そのまま目を覚まさなかった。翌朝いつもと変わらない寝顔の義父を、私はゆすってみたのだが。
  私が苦労しないように義母が連れて行ったとも思えるが、だとしたら余りに甘やかし過ぎではないだろうか。そうではなく、義父自身の徳の高さゆえの安らかな旅立ちで、そこに私は介在させて貰えなかった。オマエには介護なんて到底無理じゃ100年早いわい。そう言われている気がするのだ。
  自らの両親も既になく、子育てもせず、自分のことに精一杯なオマエよ、もうよいわ、今世はオマエにくれてやる、宿題は来世に持ち越しじゃ、その代わりにもっと真剣に謙虚に生きてみよ。

対岸でも背中合せでもない、手を繋いでいるんだ

 常々気にしていた。私は亡くなった人の話ばかり書いている、と。

 子どもがいないせいもあるかな、思考は未来よりも過去へ向く。

 幼い頃に亡くなった母のことをずっと考えながら育ったから。

 結婚時には夫のと併せ8人の祖父母は皆他界してしまっていた。

 結婚して5年目に夫の母が亡くなった。

 昨秋に父が亡くなった。

 死は常に傍らにあり、思い出は私の潤沢にして最高最大の財産。

 それにしてもだ、私って辛気臭い奴かな、と。

 

 先週、夫の父が亡くなった。

 なんだこれ。

 

 通夜の締めくくりにご住職が参列者にお話し下さった。

「皆さんは普段、死というものから目を背けている。

 しかし身近な人の死に触れると、生というものの有り難さを知る。

 今一度、見つめてみてください」

 それじゃ遠慮なく。もう躊躇いません。   

手塩にかけて愛すればこそ

 ジンクスって本来は不吉なものだけに使う言葉だって。ゲン担ぎと一緒にしてた。
 コープのチラシに漬け梅が載り始める時期になった。
「梅干し作りを失敗すると縁起が悪い、って昔から言うんや。やめとけ」
 結婚して間もない頃に挑戦しようとした私に、父が待ったをかけた。
「お父さんは漬けてるじゃない。失敗したらどうなるの、何が起こるの?」
「昔からそう言うんや、お前はやめといてくれ、お父さん心配や」
 父にもはっきり答えられないくせに余りに怖がるものだから、私は敬遠してきた。
 そんなふうに私を庇ってくれた父も昨秋他界した。手がかぶれるからと父に禁じられていた里芋の皮むきをこのお正月解禁にしたことだし、今年辺りどうだろう。
 梅漬けの失敗は主にカビが生じることだが、そもそも滅多な事では失敗しないらしい。梅自体に抗菌効果がある上、塩の滅菌作用が働く。
 それでもカビるというのは余程運が悪いということになるのか。因果関係は不明だが、失敗した後火事になったとか相次いで両親が他界したという話はある。う~ん。
 更に調べるうち、真逆の説が出てきた! 
 梅漬けを失敗したから家庭内で良くない事が起こったのではなく、体調不良や家庭の問題があって梅漬けを失敗した、というもの。
 梅干は、下漬けから土用干しまで様々な工程をふむ。そのどこかで手順が滞るとカビ生えたりする。”手塩にかける”という言葉は、手間ひま掛かる梅干作りが語源。
 作業に携わるひと月以上の間を体の”塩梅”に気をつけて過ごしなさいというのが言い伝えに込められた本当の意味だったようだ。

 f:id:wabisuketubaki:20180507162041p:plain お父さん、安心した?