昭和なワタクシ

 

 台所で派手なくしゃみを立て続けに2つしたあと、笑い出した私。
 夫が隣の茶の間から「どうした?」。
「今ね、コショウを瓶に詰め替えてたの」
「コショウでくしゃみって、昭和やなぁ~今時漫画でもそんなんないよ」
 そんなこと言ったって出るものは出る。コショウでくしゃみは今回が人生3度目。私だって初めてくしゃんとなった時には”よく漫画で見たけどホントに出るんだ”と感慨深かったものだ。
 平成の民は平気なの?

桜往生

 夜通し家を揺さぶった台風は、朝日輝く青空とチグハグな痕跡を至る所に残していた。
 道路の端に積もった落ち葉や枝、ひっくり返った原付や自転車、倒れた看板、垂れ下がった電線や幕。どこからかサイレンの音が響いては消える。
 近所の桜並木も甚大な被害を受けてしまっていた。数十本ある桜は根元の直径が1メートル近い、おそらく樹齢60年以上の大木ばかりだが、それゆえに老朽化し、幹や枝が一部空洞になってもいた。この度の強風に折られた枝は数知れず、2本の桜は根元から倒れたようだ。昨夕通りかかると、根ごと抜けて横倒しになった切り株があった。それよりも上の部分は車が通れるようにと急ぎ解体撤去したが、根元はあまりに大きくてすぐに運べなかったらしい。
 本当に大きくて、痛々しくて、圧倒されてしげしげと切り株を見つめているうちに、桜にも輪廻転生があるのかもと思われてきた。人だけでなく動物や生活道具などでも、年月を経るうちに霊性が高くなったり魂が宿ったりするという。桜は特に霊気が強いとか、精霊が宿るとかいう話を聞いた事がある。何十年もの年月をこれほどに逞しく生きてきた樹が、こんなにもむざむざと朽ちて死んでしまうとは思えない。春毎に、見事な花を咲かせ、沢山の人を魅了し、慰めてくれた桜。寿命を迎えて精霊は樹を離れ、またどこかで若木となって生まれ変わるのではないか。
 そう信じさせてくれる力強さを、亡骸は尚も湛えていた。

ダメもとで背伸び、してみようか

 憧れだ。花や木の名前を知っているひと。お料理の上手さ。丁寧に洗濯をするひと。ほのかな好い匂いをさせること。アイロンがけが得意なひと。動物に好かれること。それから、…ああキリがない幾らでもある。どれも少し頑張れば手が届きそうに見えるけれど、頑張らずじまいの自分にため息をついたり、実のところそれらは私には決定的に欠けているセンスなんじゃないかと絶望したり。
 美味しいお茶を淹れられるようになりたいなぁ。味だけでなく、タイミングも。
 休みの午後に夫にミルクティを作っていて思い出した、先月の父の葬儀の時の事。
 お通夜まで間があって親族控室でぼんやり座っていたら、緑茶の入った湯飲み茶碗が差し出された。弟の奥さんが配ってくれていた。うわぁすみません、と手に取って、ひと口、温かい煎茶を喉からお腹へ落とした時、はっとした。私、今お茶が飲みたかったんだと、飲んで初めて気が付いたのだ。これも気が付かないうちに詰めていた息をふう~っと吐き出させてくれた。
 弟は幸せなんだなと思った。絶妙の頃合いでお茶が出てくるなんて。すごいひとだね、と後で弟に耳打ちせずにはいられなかった。

紅葉の季節

 人を変えることは出来ない、とはよく聞かれる言葉。故意に指図して相手の反発を生み、反対方向へ動かすことは可能かもしれないが。
 そうではなく、意図しないところで、自分が人を変えてしまうということがあるのかなと考えるようになった。
 それは、夫に私の父と似た部分を感じる時だ。元々全く違うタイプだと思うし、これまでそういう事はなかったのだが、結婚して20年が過ぎた最近になって、ふとした瞬間に感じ、あれっとなる。
 こんな似たところがあったの? 父親に似た人を結婚相手に選ぶというようなことも聞いた事があるが、自分でも気づかないうちに選んでいたのかしら??
 …いやいやそうじゃない、と思うのだ。私の言動が父にも夫にも同じ態度をとらせるのではないかと。
 私の持つ嫌な癖に処する方法は似通うだろうし、私が喜ぶ事を知っている人なら同様にしてくれるだろう。その結果、身近であればあるほど私にとって似た人になっていく。
 反対も然り。本当は想像をはるかに超えて干渉し合って相手を変えているとしたら、夫婦はどうだろう。似たもの夫婦を目指すべきか、それとも正反対になって補い合える関係がいいのかな。

寂しさには平気でなく強弱があるだけ

 届いてから中二日をおいてようやく手紙を読んだ。
 休みで家にいた夫の傍で、なんとなく寝そべってしまったのは自分自身へさりげなさを装いたかったからだろう。だって近頃は手術した足先を持て余すから腹這いになることがなくなっていたから。
 封筒から抜き出した便せんは薄かった。四つ折りで2枚。そう細かくない文字も透けて見える。この分量で書かれることとはなんだろうと開いてみれば、葬儀に参列できなかったことが日に日に悔やまれており体調も良くなったのでお参りさせてほしい旨だった。
 私は期待していたのだ。弟の見ていた父が私のものと違うように、伯母しか知らない、姉目線で語られる父のエピソードが便せん何枚にもわたって綴られるのを。
 葬儀が済んだばかりの9月末にも伯母から現金書留が届いていた。御香典に便せんが一枚添えられていて、”長い手紙を書こうと思ったが、それより先にこれでお花でも供えて、仏壇を賑やかして欲しい、あの子は寂しがり屋だったから”とあった。
 ”あの子は寂しがり屋だった”
 私には意外な言葉だった。父は、いつもどこかしらひとりで、平気そうだった。そう見えたし、ひとりでいるのには別に慣れている、と父自身で言ったことがあった。
 けれど。
 平気であることと慣れていることとは違うんだ。
 違ったんだ。
 寂しいことに平気な人なんていないのかもしれない。境遇と年月の中で慣れざるを得なくて、比較的寂しさに強くいられるようになるだけ。
 
 今年の春頃から、久しぶりに伯母を訪ねたいと思っていた。父に祖父母のことを訊いても頼りなくて、これはしっかり者の伯母に伺っておかねばと思ったからだった。父が亡くなった日の電話で、この事も伯母に伝えていたのだが、短い手紙にいよいよ思いを強くした。