かぐわしき哉、ことば

 単語が意味以上の響きやニュアンスを持つのだと思い知らされる。
 あやめる、という言葉。子供の頃からじいちゃんと時代劇を見ていて時々耳にしたが、ごく最近になって、”あれ…なんかうるわしい響きの言葉だなぁ”と感じるようになった。殺す、という恐ろしい意味なのに、あやめる、を使う時、そこには”已むに已まれぬ事情があって致し方なく…”という苦しい胸のうちが垣間見える気がする。かの高瀬舟のような。だから、昨今の通り魔、快楽殺人には間違っても当て嵌まらない。そういえば、時代劇にも近頃は滅多に聞かれなくなった。脚本を書くひとの世代交代だろうか。
 匂いというのは五感の中でも最も脳に深く繋がる感覚だと聞いた事がある。匂いの記憶は一生ものだと。”におう””かおる”、という二つの言葉を大雑把に区別するなら、良いものには”かおる”、好ましくないものには”におう”と私は考えている。けれど、”おかあさんはせっけんのにおいがする”なんだなぁ。”におう”のほうが普段着の言葉でもあるわけか。

 あ、これは論点がずれるんだけど、”その通りでも、あまり口にしてはいけない言葉なんだな”と思われた出来事。平日昼下がりの電車に乗り込むと、変な匂いがした。なんだろこれ…。とにかく好ましくないほうのものだ。私と一緒に乗り込んだ親子がいて、小学生の息子は母親に開口一番「くさいね、お母さん」と言った。「そうね」と母親は応じた。それから息子さんは、気になって気になって仕方がなかったのだろう、20秒おきに「お母さん、くさいね」を繰り返した。それは車内の全員の総意の筈なのだが、10回くらいになると、匂いよりもその言葉自体の不快感が漂ってきた。もう聞きたくないし、それを口にする男の子のほうがみっともないような感じになってきた。そしてそれは母親とても同じだったのだろう。息子の耳元に口を寄せ、小声で、しかし強く囁いた。
「くさいって言わないで」
 匂いというのは五感の中でも最も取扱いに注意を要するもののようだ。


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