automatic~生かされてる

 今の家に引越してきたのが7年前で、その翌年からお隣のSさんとお付合い頂いている。母親と同い年のSさんは哲学や摂理に精通しておられ、学ばせて頂く事ばかりだ。
 『私達は生かされているのだ』とは普段から耳にする言葉だが、余り真剣に向き合ったことがなかった。しかし最近Sさんからお借りした本を読んでいて、これまで疑問を持つこともなかった当たり前が不思議な事に思えてきた。
 例えば、心臓は勝手に動いてくれる。私が動かそうと頑張らないでも、眠っている間にも最適なスピードで脈動し、止めようと思っても止まらない。
 健康の為にバランスの良い食事を摂ることは、いかにも自分が努力してなんとかしているようにみえるけれど、たんぱく質を分解吸収し、筋肉を作るという作業は体任せで、私自身は何一つ行ったことがないし、行えない。
 この複雑に高度な自動維持システムが備わった体は、親から授かったが、母親とてお腹の中の我が子の内臓や手足を拵えたことはない。
 尤も私の意思が全く及ばないかというと、多少の造反は可能だ。ご飯を食べないとか、辛い出来事に心が打ちのめされて内臓の働きが狂うとか。しかしこれはあくまで、造反だ。
 原則として、体というのは、私という人間が生涯の活動をする為に与えられたものなのだなぁ。そしてこのシステムを作ったのはやはり神様っていうことになるのか。Sさんは神様とは宇宙の摂理法則の事だと言ってたっけ。
 せっかく借り受けた体なのに、メンテナンスが下手だったようで私は病気を発症させてしまったけれど、それでも体の細胞たちは日々刻々と働き続けて修復を進めてくれている。一年前に足の手術を受け、暫くよろよろ歩いていた。ところが先週、バス停へ急いでいた私は、小走りをしているではないか。こんなにも回復したのだと胸を熱くした。否、言い直そう、こんなにも回復して貰ってありがとうと心が熱くなった、と。