50歳の、卒業。

 赤十字からの通知が郵便受けにあった。私宛だ。もしやついに、だとしたらマズイかも……封を切らぬまま夫のいる居間へ持って行った。
 17年前に骨髄バンクのドナー登録をした。もっと前から希望していたが、「健康な体に不必要なメスや針を入れて欲しくない」と夫に反対された。当時、移植中の麻酔事故による死亡例を1件だけ耳にしていた。認めてくれたのは、夫の母が末期癌で亡くなった翌年だ。傲慢かもしれないが救える命があるのならと。共にリスクを負うと言い、夫もドナーになった。そして今日まで夫にも私にも適合患者が現れることはなかったが。
「ね、お呼びだったらどうしよう、私もう…」
 駄目だと思うのだ。リウマチ治療のために数年前から生物製剤という特殊な投薬を受けている。私の骨髄液は使えないのでは。せっかくドナーが見つかったと喜ぶ患者さん達をがっかりさせるのか。
 夫の前で恐る恐る開いた中身は、登録延長についてだった。
 私が登録時には50歳までだったが、現在は54歳まで引き上げられている、登録延長可能なら51歳の誕生日までに手続きを、というものだった。
 ほっとした後すぐに、寂しいような気持ちが沸き上がってきた。
 喜ぶべきか残念なのか分からないが、誰の役にも立てなかった。
 ともあれ、ドナー卒業である。

値上がりさえ嬉しいんだキミがいてくれれば

 うさぎの牧草を買いに行ったら値上がりしてた。
 住宅街の只中の、一見それと分からないような小さなうさぎ専門店で、もう13年も買い物をしている。牧草はほぼ2週間に一度のペース。
 いつものようにガラスのサッシ戸を開けて入り、小さい枕サイズのいつもの牧草の袋を差し出すと、店主である60代位のご婦人が、すまなさそうに「実は値上がりしまして…」と語尾を濁した。
「あ、そうか、消費税が上がりましたもんねぇ」
「いえそれが輸送費やら何やらで…」とまたフェードアウト。
 980円→1050円だから、ま、それほど、ねぇ。
 それよりも。
 値上がりという事実を私は嬉しく感じていた。支払いを済ませ、袋を受け取り、店を出たところで、私はしみじみと思った、ああ10余年変わらなかった牧草の値上がりを『ゆさ』と迎えることが出来たんだなぁ、と。
 実は3週間ほど前からうさぎの軽介護生活に入っている。
 『ゆさ』は現在13歳6カ月ほど。うさぎの平均寿命は8~10年といわれる中、ゆさは人に換算すれば100歳近いそうな。生後間もなく公園に捨てられていたのを保護され、縁あってうちへ来た。
 今年の春頃までは多少ジャンプ力が落ちてはいたが、私の周りをくるくると元気に遊びまわっていた。それから少しずつ少しずつ運動量が減り、白内障の白濁で視力が衰え、梅雨の終わりには右足を引きずるようになった。お盆を過ぎると、首と体が右へ傾いて真っ直ぐ歩けなくなった。ケージの中で時計回りをしてはバタンっとひっくり返り、ジタバタもがいて起き上がる。9月の中頃にはひとりで起き上がれないことも出て来た。起き上がっても暫く眼振というか目まいが続き、自分で体を支えられない時間が増えた。
 私はケージへ手を差し入れ、ゆさを立たせるが、ゆさのからだはねじくれて倒れてしまう。そんな状態のゆさに接し、初めのうち私は苛立ちを覚えた。恥を忍んで白状するが本当に私という人間は優しくない。もどかしさ、見てられない辛さから、「しっかり立ちなさいよ」と八つ当たりじみた乱暴なやり方でゆさを起こした。ゆさは踏ん張れず反対側へ倒れ込み、時には餌入れの陶器の器へおでこをぶつけた。それを見て私は慌てておろおろとゆさに謝った。そして思った、私はとんでもない人間だと。
 2週間前からケージの前に毛布を敷いて寝るようになった。幸い今の私は無職で何の問題もない。
 夜中に倒れたゆさを起こし、眼振が収まるまでゆさの体を撫で摩る。すると、少し前まで「夏から急に弱って、もう長くないのかな」とか「こんなに体が不自由なままでいるのは辛いだろう」等と思っていたのに、いつのまにか「このままあと5年は頑張って貰おうか」、そして「たとえ今より体が利かなくなって、自分で餌を食べられなってもいい、何年でもこのままで、とにかく息をしていてくれるだけでいい、ずっと心臓の鼓動を止めないでいて、この世に居続けて」と強く思うようになっている。
 今、ゆさと共に生きていることを実感させてくれる消費税率アップである。

ハイ今日から秋!

 残暑と台風が寄せては返し、いつまでも暑いけれど、季節はやはり進むのだ。
 今日、金木犀の香りがした。
 午後になって買い物に出ようと玄関の扉を開けたら、風の中にふわりと混じっていた。斜向かいのお庭に立派な金木犀の木があって、枝に目を凝らすと、淡いオレンジの粒々が見えた。
 金木犀が香ったら秋。そう決めている。だから今日から秋。毎年9月の25~28日頃に開花する。9月も終わろうとしている。
 今月、父の3回忌が行われた。法事は納骨堂のあるお寺で弟夫婦がすべて準備してくれて、私は数珠を持って行くだけでよかった。
 祭壇に向いお経をあげて下さる住職、その後ろには、真ん中に通路が開けられ、左右に数列のイス席が並ぶ。私の前に弟とその娘が並んで座っていた。
 娘(姪)は今年小学6年生。年に一回会うかどうかなので、私にとってはいつまでも幼稚園くらいの頃のあどけない表情があるのだが、今の彼女は、身長もほぼ私と同じで、私より肩幅が広い、どこのお嬢さんかお姉さんかという感じに成長している。もうじき思春期の難しさが出てきたりするのかもしれないが、今の所はまだまだお父さん子である。
 声を潜めて親子が。
 姪「ねえどれくらい?」
 弟「30分くらいかな」
 暫くして、退屈したのだろう姪が弟の顔を窺う。すると弟は合掌した手に姪の視線を引きつけておいてから、指先をくっつけたまま真ん中を開いていき、ハート型を作った。次の瞬間、姪が弟のわき腹へ肘打ち。
 ああいいなぁ、と思った。子のいない私には眩しく微笑ましくて。
 来年五十になる弟の人生の秋は、これから大いなる実りに満ちていくのだ。

サイアクの迷惑女

 時計をよく読み間違う、と前々回書いたが、実は…とんでもない失敗をしたことがある。もう27年も前のことなのに、思い出す度「あーっ」と声がでちゃうほどの。

 夫とは大学4回生の春から付き合い始めた。超まじめ学生の夫は普段の授業と空手サークルに加え、教員免許取得の為のカリキュラムも選択していたので多忙だった。
 そして彼はいよいよその多忙の山場である教育実習を迎えた。
 自分の出身高校で2週間教壇に立つ。事前準備、実際の授業、後のレポートと、早朝から深夜まで毎日追われる彼。
 私は、彼が痛々しく、手伝うことも出来ず、ただ傍観。会う時間もなく、せめて声だけでもと彼が翌日の授業準備をしている夜10時頃に電話で話す。話し出すと寂しさがこみあげてきて私は中々受話器を置けず、それが彼の作業の邪魔になる事が分かるから余計に苦しくなってきて、自己嫌悪に陥った。そんな私を見かねて、ある夜、彼が
「今夜はまだまだ準備が終わらなくて、おそらく2時くらいまでは起きてるから、後でもう一度電話かけてよ。俺、それを励みに頑張る」
と言ってくれた。
「え、いいの? ほんとにいいの? でも夜中に電話が鳴ったら、ご両親にもご迷惑でしょう?」
 当時はまだ携帯電話といえば車に据え付けるようなでかいセルラーフォンしかなかった。私達が利用していたのは家の固定電話で、彼の部屋の子機である。こちらからかけると親機がまず鳴る。彼から掛けて貰うと、今度は私の頑固雷親父に聞こえてしまい、「こんな真夜中に非常識だ」と叱責される。
「大丈夫、俺、必ずワンコール目で取るから」
 午前1時に掛けると約束した。私はウキウキと、しかし父の手前、茶の間の電気を常夜灯に落とし、置時計と黒電話を抱えて毛布をかぶってその時を待った。
 いつの間にか眠っていた。慌てて時計を見ると、1時20分。20分なら良かろう。いそいそと番号をプッシュ。呼び出し音がぷるる…ぷるる…あれ2コール目だぞ、だけど今切ったら中途半端なイタズラ電話だ、ええいと耐えて…ぷるる…ぷるる、まずい、こんなに鳴らしちゃったらご両親がっっ…その時、彼が受話器を取ってくれた。
 が、「……」無言である。
「もしもし…、もしかして、寝てた?」
「…う…ん…」
 寝ぼけてる。なんか話せる状態じゃない。
「ごめん、切るね、おやすみ」 がちゃり。
 彼はヘトヘトだったから起きているつもりが睡魔に勝てなかったのだろう。それを起こして悪い事しちゃった。このところ彼は睡眠不足だったのに。あ~あ。でも、でも、彼が電話掛けていいって言ったのに。楽しみに待ってるって言ってくれたのに。
 がっかりと、私は傷付いた気持ちで毛布と電話と置時計を片付けかけて、目を疑った。… 4時5分なのだ!!!!!
 長針と短針を間違った!? えええええええええっっっっ??
 じゃあ私は、彼の家の電話を明け方に高らかに鳴らし続け、約束の電話を待ちながらおそらく2時か3時にやっと寝付いたばかりの彼を叩き起こしたの??? どうしよ~~~~~~~~~~~っっっっっっ
 今すぐお詫びの電話を掛け直したいのをぐっと堪え(当たり前だけど^^;;)、頭を抱えた。一刻も早く謝りたいよう。
 あんなに夜が明けるのが待ち遠しかったことはない。

あの、風。

 あ、この風。頭の中でカレンダーを確認する。やっぱりお盆だ。毎年そう。お盆前後になると立ち始める。
 そうして、この風を人生で最初に感じた時の光景が勝手に浮かんでくる。
 学年までは定かでないが私は小学生で、プールの水面から顔を上げた時だ。
 頬に風を感じた。風は頬の表面をさわわと撫でるように流れていく。水から出たばかりの耳にかすかだが飛行機でも通過しているような耳鳴りがしていて、無意識に上空を仰ぐ。青天の高みのところどころに刷毛で撫でたような雲があるばかり。その間も頬を吹き抜けている風の穏やかさに気づく。涼しいとまでは言わないけれど暑さがない。そういえば太陽も、まだぎらついているけれど少しだけ遠のいたような感じがして。

 秋の気配なんて言葉を知らない頃の、鮮やかな感覚の記憶。

 夜通しドライ運転させていたクーラーを数日前から切って寝ている。朝の出勤時に夫と「涼しくなった」と言い合う。夏は、とっくに折り返しに入っているのだ。