文字を持たない幼子は(続 幼児作品展より

 気付いてハッとした、これは文字じゃないんだ!!
 ”ヤクルトをこぼした”という画中の『乳酸菌』は、単なる模様。これを描いた子は5歳だからまだ漢字を習う前だろう。見えたままの、酉へんも草かんむりも意味を持たない線としてそこにあるだけ。

        f:id:wabisuketubaki:20190217105238j:plain

 漢字として読めてしまうから、捉えられなくなる世界がある。

 それで思い出したのが、鶴亀算。大学時代、小学生の算数に頭を抱えたことがある。方程式を使えば簡単なのに、小学生はまだ方程式を習っておらず、鶴亀算で解かなければならない。方程式を知ってしまった私には鶴亀算の考え方に付いていけず、小学生はこんな難解な方法を操れるのかと驚愕した。自分もかつては使えたのだろうか、と。

 既製品の法則を持たないからこそ、幼な子は無限の方法で心を表現する。

 最もシンプルなのは色だろう。どうも大人は頭で分ろうとしてしまう。分からないと落ち着かないのだ。下世話な目で傾向を探った結果、喜びは暖色系、憂鬱は寒色系、驚きは黄色やグリーン。

 "ママ"と題された作品があった。一面くすんだ葡萄色に塗りつぶされていた。他にも母親を描いた作品は多く、赤、オレンジ、ピンクと明るい色使いだったのに、この絵は。展覧会の運営スタッフである友人が近くにいたので疑問をぶつけてみた。幼稚園で働いている彼女は、う~ん…としばし言葉を探してから、こんな事を話してくれた。

 紫という色を使う子には何か心の闇みたいなものを感じることが多々ある。彼女の幼稚園には子ども達の造形制作の指導に何十年も携わるベテランの先生がいるが、その先生は、絵の具を用意する時に、あえて紫色を出さないのだそうだ。ところがある日、ある子が「せんせぇ、むらさきいろを塗りたい」と言い出した。そこで先生は赤と青を混ぜてごらんと導いた。この子は前日に廊下で友達にぶつかった際に頬を酷く打ち、痛みが続いていて憂鬱な面持ちだったという。

 ところで話中のベテラン先生のエピソードが、私にはとても意外で驚いた。私も面識があり、この日も握手で挨拶を交わして下さったこの先生が、子ども達から常識に縛られない伸びやかで無限の表現を引き出せるよう心を砕いてこられたことを知っている。その先生があえて紫色の絵の具を排除していた、というのだ。この先生でさえこんな操作を加えていたなんて。
 紫を使ってほしくない…長年子ども達に寄り添ってこられた先生の、それは唯一独善の願いか。
 或いは幸せな大人になれるよう、私達に、嫌な事があっても安易に紫な気分だと諦めるのではなく、赤と青に分離し解消してしまえる心の道筋を模索させたいのだろうか。

考えるな感じろ、幼子のごとく

 物事は対極の2面性をはらむという。ならば明るいほうを捉えたいものだ。

 

 幼稚園に通う子ども達の作品展を見に出掛けた。昨年に続き2度目である。上手に描こうとか大人ウケを狙うといった邪念がまだない、2~5歳の子ども達の絵や工作がずらり数百点。

 まず保育士さんや指導者が子どもに自由に作品を作らせる。完成後に「これはなあに?」と尋ねる。その時の子どもの答えがタイトルとして書かれる。これが曲者というか、面白いのだ。タイトルと作品がすぐになるほどと納得できる作品は半数以下なのだ。もちろんクジラやワニ、キリンなどそのものズバリな写実派もあるが。

 例えば… 画用紙がピンク一色に塗られた作品のタイトルは『ママとプール行った』。
 プール? なぜこれがプール?? その子が遊びに行ったプールにはピンク色の何か印象に残る遊具か看板でもあったのか。幾つもの作品を見る中で、どうやら子どもは楽しい気持ちを赤やピンクで表し、義務や憂鬱をブルーに塗る傾向があるようだから、このピンクは気分なのか。そもそもプールに行ったのは現実か夢か絵本の話か、TVで観た場面かも不明。もしかしたら発した言葉は絵とは関係ないのかもしれないのだ。

 こんなふうに、作品とタイトルを交互に見ては、脳みそをワシワシと揉まれるような感覚が味わえるのが、この作品展の醍醐味だ。難解なパズル、いや答えなんかないかもしれない。 年端もゆかぬ幼な子に弄ばれながら、大人というものがいかに常識に囚われているかを思い知る。ピンクがどうしてプールなのかと、つい自分の物差しで理解しようと足掻いてしまう。頭はフル稼働、楽しくて、後でどっと疲れる(笑。

 

 真っ白な画面に黒い絵の具で手を広げたような、箒のような線が描かれた作品があった。『羽根が出てきてん。ぴっちゃんがおるみたいで、うれしかったわ』
 ううむ。羽根ということは鳥かな。おるみたい、ということは、いない、のか?
 この答えは、さらに数十点見た後、別の作品で解けることになった。
 青と緑で描かれた鳥に『ぴっちゃん(インコ、と先生が注釈)がしんだ。かなしい』。
 やはり、ぴっちゃんはもうこの世にいないのだ。幼稚園で飼っていたインコなのだろう。がらんとした鳥籠を横目に見ながらどれほどか日が経って、ある日何かの拍子にふわり、ぴっちゃんの羽根を見つけて…。
 先の子は『うれしかった』と。小鳥が死んでしまったことを悲しいと感じるほうが当たり前だろうに、その羽根に在りし日手の中に包んだ小鳥の体温でも蘇らせたのか。喪失ではなく、小鳥がかつて生きていたことに微笑むこの子の感性が、なんて素敵なのだろう、と私はノックアウトされてしまった。

年賀状に人生を問われる

 何を大仰な、と笑われそうだけれど…
 人として生きるというのは、年賀状を誰に出す誰に出さないというような事を思い煩うことではないかしら……
 いえ、クヨクヨ加減は人により程度の差があると思うのですが ^^;

 昨年11月、喪中欠礼ハガキを書く際に迷って出さなかったのが、元”新郎新婦”様だった。私は3年前まで披露宴司会の仕事をしていて、担当したカップルの幾組かから年賀状を頂くことがあった。それは後日改めてのお礼として披露宴の翌年のみであるのが常だ。

 そんな中で毎年欠かさず年賀状を出し続けて下さる方が私には3組ある。人との縁や繋がりを大切になさるご夫妻なのだろう。一番長い方は十年を超えた。結婚の翌年に生まれた赤ちゃんの写真が、次の年には大きくなり、また次の年には”下の子が生まれました!子育てに追われてます~”などの手書きの文字が添えられていて。ご夫妻の確かな歩み、豊かな実りが感じられて、年賀状を手にニヤける私。
 それは嬉しいと同時に、恐縮というか申し訳ないというか。律儀なご夫妻のことだから、そろそろ出すの止めようかと迷いつつ止められなくて困っているのではと心配している。だから、この度の喪中欠礼ハガキに限らず、失礼を承知で、毎年こちらからは年賀状を控え、頂いたら、私の嬉しい気持ちを小さい文字でこしょこしょと詰め込んで返す形にしている。今年こそ途絶えるか、いつまで頂けるか……元旦の郵便受けから年賀状の束を取り出す度に、結局は期待している自分を笑う。

 学生時代の友人など殆どが年賀状だけの付き合いになっている。それはそれでいいものだ。普段頻繁に顔を合わせなくても年に一度互いの近況を確認し、思いを馳せる。ひと時懐かしくてホロ甘い。

 時を経るにつれ誰しも状況が変わっていく。疎遠になり途絶えるのも自然な成り行きならばそれでよし。けれど、夫の職場関係は難しい。特別親しかったわけでなく、部署が変わって数年たつ。もう今年で切ろうか出さなくてもいいよねと踏ん切りをつけたところ、先方からは届き、年明けに慌てて年賀状を書く。そんな事があったからと翌年出すと、先方は区切りをつけるつもりだったのか後日返信される。こんなラリーを数年来繰り返している方がある。或いは、こちらからもう何年も出していないのに、欠かさず下さる方がいる。パソコンの住所一覧で自動的に出しているのか、それとも…。返事はいらない、ただこちらが送りたいのだと片想いで出している方が我が家にもあるから、それかもしれないし。そういう場合、先方にはご迷惑だったりするのかしら、もう送ってこないでと思われていたならば申し訳ない限りである。

 年賀状。築いてきた人間関係と、その繋がり一つ一つを自分自身がどう思っているのか、年に一度、自分という人間を問われる気がする。選択を積み重ねていくのだな。

願いは同じ

 喪中だからとお正月らしいことのないまま年を跨いだが、ここいらは静かな住宅地であるせいか、元旦の朝はきりりと引き締まった空気に満ちていた。
 夫と家で録画したTV番組を見て過ごしたお正月休み、出掛けたのは、大晦日のお墓参りと、3日のお昼の回転寿司のみ。
 スクーターで5分強の回転寿司店へ向かう前に、夫は、私の希望を叶えるべく、ある場所へ寄ってくれた。毎年お正月に私が見たいというからだ。ちらっとでいいのだ、前を通ってくれれば。だって今時珍しい大きくて立派な門松なのだもの。
 それは某暴力団組長宅の門松だ。今年も見事だ。広大な敷地の周りには防犯監視カメラ網が張り巡らされているから、門の前に夫がスクーターを止めたのは筒抜けの筈。私はタンデムを降り、素早くスマホのカメラでぱしゃり。すぐさま又スクーターへ戻り、夫へ「は、早く出してっ」、毎年命がけである(笑。

f:id:wabisuketubaki:20190110092545j:plain f:id:wabisuketubaki:20190110092640j:plain

 門松は年神様を迎えるもの。一年の平安を願う思いは誰しも同じなのね。
 とはいえ、視点を変えれば目出度いばかりではないらしい。
『かどまつ【門松】 は 冥途(めいど)の旅(たび)の一里塚(いちりづか)めでたくもありめでたくもなし』
 一休宗純作。正月の門松はめでたいものとされているが、門松を飾るたびに一つずつ年をとり、死に近づくので、死への道の一里塚のようなものだの意。

 老いるのはやっぱり嫌だ、いい年を重ねるなんて中々難しいけれど、出来るだけ機嫌よく過ごせるよう、今年もがんばろ~~!
 ご挨拶が遅れ、松も明ける頃となりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

5つの願い、それは欲望でもあって

 灯油は重い。18ℓポリタンクをスクーターに乗せて買いに行くのも厄介だから、巡回販売車でお世話になっている。
 毎週月曜の正午頃だ。雪やこんこのメロディが聞こえてくると玄関へ走る。あらかじめ出しておいたブルーのポリタンクを見て、うちの前に販売車が止まってくれる。運転席から30歳手前位のオニイサンがひらりと降りてきて、会釈ひとつ、手早く灯油を注いでくれる。

 ごく短い手持無沙汰の間に私は財布を覗く。灯油の値段は週毎に違い、今回は1,790円。手元の小銭は100円玉ばかりじゃらじゃらだ、なんて確認している足元へタンクが返ってくる。千円札1枚と100円玉を8枚を差し出すと、オニイサンは顔をほころばせ、
「うわあ~助かります、100円玉がなくて困ってたんです」
「えっそうなんですか、私はまた小銭いっぱいで申し訳ないなぁと。そうですか、いやよかった~」
なんだか私まで嬉しくて。
 オニイサンを見送り、踵を返して、ふいに思い出した。

 ”ひとの5つの願い”っていうのを。
 認められたい、褒められたい、愛されたい、自由になりたい、役に立ちたい。

 たまたまの小銭の持ち合わせなのにまるで自分の大手柄並みにほくほくしている自分が可笑しかった。
 いい意味で、ひとってなんて小さくてシンプルで素直なんだろう(笑
 いつだって何でだって簡単に幸せになれるし、逆もまたしかりで(苦笑

 今朝、年内最後の燃えるゴミを出しに表を歩くと、きりりと門松を飾ったお宅から、灯油ヒーター独特のぬくい燃焼臭にお正月を感じました。ふしぎですね、うちだって灯油ヒーターはずっと点けっぱなしなのに、分からない、何も感じない。
 大好きな向田邦子さんのドラマの冒頭で、昭和初期の子ども時代を振り返って「毎年お正月は寒かった…別にお正月だけが寒かったわけじゃないだろうに…云々」のナレーションがあるのですが、今年はまさに寒い年の瀬、お正月を迎えますね。
 除夜の鐘をきいた途端、生まれ変わる訳ではない、今年のやり残し積み残し心残りもいっぱいですが、み~んな抱えて、続きは来年!

 これを読んで下さっている皆様、本当に、ありがとうございました。
 月並みですが、皆様にとってこの年末年始がよきリフレッシュとなりますように…