その時その人の持ってる悩みが一番の

 去年と大違いに幸せ…と昨日書いた後で、比べての幸せでは絶対の幸せは得られない、と十日前に書いたばかリなのを思い出した。駄目だなぁ、ついつい比べてしまう。
 白状すると他の方のブログを読んで、私にない感性に嫉妬を感じてしまうことも多い。こんなふうに、比べることは無いものねだりの暗い感情を簡単に生んでしまう。

 結婚前、夫との交際を父が認めてくれなかった。私は勘当されて他府県で一人暮らし、夫は就職したばかりでいっぱいいっぱいで、週末に会えないこともあった。夫は私の父にちゃんと認めて貰った上で結婚式を上げなければと言う。このままでは結婚出来ないし、夫の家族にも迷惑だ。苦しくて寂しい、出口の見えない毎日。
 そして夫は夫で、課せられるオーバーワークに喘いでいた。電車を乗り越して会社を休んでしまいたいと何度も考えたらしい。暗い表情の夫に、両親や親戚が掛ける励ましは決まってこうだった。
「まだ若いから耐えられるよ」「●●さんはもっと大変だよ、がんばらんばきゃ」
 言われ続けた夫がぽつりと私に言った。
「俺もそう思おうとしてる、もっと辛い人がいる、俺なんか恵まれてるって。だけど本当にキツい。俺、そんなに堪え性がないのかな」
 それを聞きながら私も自分に問うてみた。好きな人がいて、仕事があって、我慢強く待っていれば父も許してくれるだろう。例えば難病の人の苦しみに比べれば私は幸せじゃないの。だけど苦しい、私にとっては今の状況が辛くて辛くて耐えられないよう。
 私は言った。
「その時、その人の持ってる悩みがその人にとって最大の苦しみじゃないかな」
「……そんなこと、なかなか誰も言ってくれないよな」
 それは彼へのいたわりではなく、自己弁護の言葉だった。

 あの時痛感した筈なのに変わることなく20年以上生きてきてしまった。しかしようやく近頃、今度こそ相対でなく絶対の幸せ、揺らがない自分になりたいのだ、たとえ来年に両足を切断しようとも微笑んでいられるような。

去年の今頃

 久々に会う友達に遅ればせのバレンタインチョコでも買おうとデパ地下へ寄ると、店頭がなにやら桃色なディスプレイ…そうか次のイベントは雛祭りだ。
 和菓子屋さんのショーケースの上に飾られた男雛と女雛。背後の紙製の金屏風を見て、ふいに昨年の雛祭りを思い出した。
 プラスティックのトレイに、メラミンの食器。昼食の献立はちらし寿司とお吸い物と菜の花の辛子和えと、あと一品は何だったかな。そして、名刺よりひと回り大きい紙にカラー印刷されたお雛様が添えられていた。私はそれを摘まんでしばし眺め、枕頭台に飾った、病院のベッドの脇の。
 2月の下旬から1か月の入院だった。左足の指を手術した。親指を人工関節に、他の4本は指付け根関節を切り縮め、ピンで固定。足底から足首、ふくらはぎまでにギプスを当て、抜ピンまでの3週間は絶対に荷重をかけてはならず、車いす生活を送った。
 一切の家事はなし、読書に編み物、午後3時になれば同室の人たちとのティータイム。そうして病院の一日が暮れ、9時の消灯の頃になると、夫からラインが届く。職場での出来事や家の様子、猫のアポロの写真が届く。私はアポロの背後に映る居間のテーブルの上の新聞やリモコン、夫が食べたらしいシリアルの袋、寝室の敷毛布の模様に目を凝らし、切なかった。退院はいつになるだろうか、足はちゃんと動くようになるだろうか。アポロは私のことを忘れちゃうんじゃないだろうか。ああこんなにも家に帰りたいのに帰れないことがあるなんてと信じられなかった。ぬくぬくと暖房が調節された病室で、窓の外をちらつく雪は他人事。それでも寒い3月だった。
 うふふ。1年前と大違い。医療用ではなく、市販の左右同じサイズのウォーキングシューズを履いて私は混雑する売り場を歩いている。夫の好きなくるみ入りのフランスパンとたこせんも買って帰ろう。

違っても仲良し、違うから面白い

 「性格が違うから合わないってよく言うけど、人ってみんな違うのが当たり前で、違うから面白いんだよ、違っても仲良くなれるんだよホントは」
 20代の頃に聞いた、友人の言葉をこれまでに幾度思い出しただろうか。国際結婚して海外で暮らすようになった彼女とは音信が絶えてしまったが、いつまでも尊敬する友人だ。
 結婚以来仕舞い込んだまま未使用の食器やなんかを、リサイクル業者へ持ち込んでも値が付かないだろうからと、ネットフリマに送料と手数料ほどの値段で出品している。
 普段からネットショッピングをしない私にとって、ネット上の売買は未知の世界、初めての経験で、購入者とやりとりをしていると、いろんな人がいるんだなぁと感嘆する事しきりである。
 随分前に内祝いで頂いたティスプーン6本セットがあった。デザイナーさんのプロデュースで、1本ずつビニールに包まれたままのスプーンが化粧箱に納まっている美品だ。
 箱のサイズは厚い新書本くらいで送料が600円かかる。手数料は1割引かれる。赤字にならなければいいと800円にした。100均でスプーン6本買うより少しだけ足して品質の良いものを手に入れられるなんて、いいじゃない。
 すると間もなく問合せがあった。挨拶に続き、
「箱は要らないので、700円になりませんか?」と。メルカリでは値引き交渉もフランクに申し込まれる事が多い。この方は私より取引経験が多く、箱無しにすれば配送料が下がるから100円引いても大丈夫でしょ?と提示下さったのだ。確かに、送料は175円になるのだ、私の利益も増える。
 しかし、だ。ちょっと戸惑ってしまった。品物は古いが新品未使用。せっかくの綺麗な品なのだから、私なら化粧箱入りのセットとして受け取りたい。それを箱は要らない、なのか。う~ん…ほんとに要らないのかな、いいんだろうか、いっそ私からのサービスとして箱で送ろうかしら。
 そうして30分近く逡巡した後、ふっと考えの向きが変わった。この方は、使う気なんだ。私みたいに無駄にとっておかず、届いたらすぐ使う。だから箱は要らない。それを私が箱で送ったら、箱を捨てなきゃならなくなる。
 いろんな人がいるねぇ、と夫に話しながら、私はつい自分の物差しで測ってしまう視野の狭さを思っていた。

49歳にして美人を目指す

 昨日、図書館でこんな本に目が留まってしまった。
 『50歳、おしゃれ元年』
 元々服装は地味でお化粧嫌い、夫も着飾る系の女性が苦手なのをいいことに、一日中スェットで過ごすようになって久しい私が、バレンタインに恋バナを書いたせいか、ギクっとなった。今までHowto物や啓発本には強がって背を向けてきたのに。今年末50歳になる。
 手に取ってパラパラ、”気が付くと着るものがない、クローゼットにいっぱい服を持っているのに””手持ちの服が似合わなくなった”…ううむ。そして”ばったり知り合いに会っても大丈夫な服を着てますか?”にトドメを刺される形で、この本を抱えて貸出カウンターへ。
 服装もそうだが、仕事を辞めて1年以上になるせいか、近頃顔の輪郭がぼんやりしてきたと洗面台に立つ度気になっていた。
 表情の美醜を築くのは目鼻立ちではなく内面だと、近頃手にした本に書かれていた。これまでにも耳にした言葉だが、今回は妙に響いた。この本には、人の想念の力がいかに大きいかが力説されていた。想像力=創造力だと。
 「顔は自分の持ち物ですが、他人の為にあるのです。だって自分では見えない。見るのは相手でしょ? ですからいつも温かい表情を心掛けましょうよ」と、これは最近ある先輩女性の言葉。
 確か古いCMだったと思う、「50歳過ぎたら男は顔に責任を持て」というのを思い出した。姑があるベテラン芸人さんのことを「若い時は貧相だったけど、渋い、いい顔になってきたわねぇ」と言ったことがある。これは何も男性に限らない筈。むしろ女性の方が老いを味方につけるのは難しいのではないかしら。
 よし。”おしゃれ元年”、今年一年、明るい表情で過ごしてみよう。これは実験だ。
 年末にここで良い結果発表が出来るよう挑戦してみます!とりあえず今日は外出中、口角を上げていました。皆さんも良かったらご一緒に実験しませんか?

そしてバレンタインは*追記有

(昨日の続きです)
 私が好きになった人は別の人を好き。それが目の前の現実。だけど、本当にこの想いはどうにもならないのかと頭の中の自分に食い下がってみた。どうすればいい? 彼女から奪う? まっぴらごめんだ!! そんな事をして万一彼が私に振り向いてくれたとしても、私は自分に対する後ろめたさに一生苛まれる。そんなの耐えられない。それに。そんな形で恋人を変える彼なんかいらない。彼女を大切に想う彼が、私は好きだった。彼はいい人だ。想うのは私の自由で今は止められない。叶わなくたっていいじゃない、彼が幸せなら。彼の幸せが私の幸せ。よし、決めた! 自分の想いは墓場まで持っていこう。
 私は彼の親友を目指した。彼と彼女の交際を全力で応援した。2人の内緒事はいつしか3人の内緒になった。時には胸がずきんと痛むことがあったが、毎日は充実しきっていた。そして中学を卒業し、別々の高校へ進み、3人の繋がりは絶えた。
 その後、私と夫との交際は、大学時代に再会してからのこと。
 彼の幸せが私の幸せ。そんな無私な想いは、きっと思春期の純粋さゆえだ。その後の私は強くも高潔でもない。夫に他に好きな人が出来たらどうしようと、結婚してから今までに何度となく考えてしまい、怖くなった。しかし次の瞬間、まあいいか彼が幸せなら私と一緒じゃなくたって、そう思えて、す~っと気持ちが楽になる。
 中学時代に夫のことを潔く諦め、片恋を貫いたからこそ、のちに神様は夫と再会させてくれたのだと思っている。結婚して21年、今はもう真っ赤になって震える手でチョコを差し出さなくていいことにホッとしている。もうあんな怖い思いはごめんだ。それでもやっぱりささやかに何か…とゆうべから迷って、夕ご飯をはりきって作ることにした。食後に一緒に頬張るつもりで彼の好きなマカダミアナッツチョコを、スーパーで籠に入れて、えへへと笑った。

*潔さだけ語った形になっちゃいましたが、もし私が略奪を決意しても、叶わなかったと断言できます。ほんとにダサダサなトンでもない女子でしたから(笑