父語録。殴る、は駄目だけど

 折に触れ、父の言葉が読み出される。それは亡くなったからではなく、もうずっと私の日常だ。
 台所で小麦粉を水で溶いていると「ぬるま湯を使うとダマになりにくいで」とか、夏にご飯を炊く時は「お酢をちょっと入れると腐り難いんや」とか。「お米には七人の神様が宿ってる、1粒でも粗末にしたら罰が当たるで」 おかげでお米をうっかり数粒こぼしたりすると、床を手のひらで撫でて、レンジ台の下まで捜索に及ぶ。「椎茸は旨みが逃げるから洗うなと言うけど、ちょっとは洗わんと気持ち悪いよなぁ」私は躊躇わずちょっと洗う。
 子どもの頃からずっと言われたこと、耳にしたことは、沁み込んでしまっているのだなぁと、父が亡くなって改めて実感する。
 小学生の頃、友達と諍いをして泣いて帰ると、「負けて帰ってくるな、殴り返して来い!」と追い出された(注/私は女の子です)。
「秋田犬の子犬はかわいいで」確かに。見るともうメロメロになる。
「うまいもんは宵のうちに食え」遠慮なく頂きます。
「刃物を使う時は刃の前に指を出すな」そそっかしいわりに手を切る事は少ない。
「悪い事をする時は腹くくってやれ」大学の授業をサボる時は単位を落とす覚悟で臨みました。
 事の大小あれど、親は子に、知恵や生き方を譲り渡していくのだ。私は特に子を望まずきたから、いないことに殊更の思いはない。しかしごく最近になって、私が父に貰ったものは誰にも引き継いであげられないのだと気付き、その点だけは惜しいような、勿体ないような気がしている。

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