苦くて、苦くて、

 先週、20年ぶりに伯母を訪ねて乗った私鉄は、これも20年前、結婚するまで勤めていた会社の近くを通る。車窓の光景の一々が脳の奥のほうにじんじん沁みた。感慨の内訳は大きく2つ。1つは恋人と会えなかった辛さ、そしてもう一つが勤務先への心苦しさ。社長には、本当に申し訳なかったと今も思っている。
 結婚前に3年間勤めたのは、社長、次長、社員、私の4人きりの会社だった。社長のアニキ肌な厳しさと、家族的な温かさがある、良い会社だったと思う。それなのに私ときたら仕事にちっとも身が入らないのだ。
 夫との交際を、父に反対され、勘当され、1人で暮らしていた。週末は夫に会えたが、平日の夜は電話だけが頼り。受話器を握りしめ、すがる様に夫の声に耳を澄ませた。しかし当時は夫も就職3年目の余裕のない時期で、返事は途絶えがち…夫が居眠りしてしまうからだ。それ程までに疲れている夫の睡眠時間を削っていることと、それでも電話を切れないこととが、私を苛み、”こんな状態が続いたらカレは私の事が嫌になる”と益々不安を募らせる。父が結婚に反対しているのは夫の人柄に問題があるのではなく、”娘はやらんぞ”なのが明らかだから、もうどうしていいのか分からない。
 頭の中はカレのことでいっぱい。沈んだ顔で毎日を過ごし、月に一度くらいは会社を休んだ。後ろめたいのに自分でどうする事も出来なかった。社長ははっきりした人だったから、私にクビを言い渡してもよさそうなものだが、寿退社まで何も言わずに置いてくれた。
 感謝とお詫びを籠めて、毎年出している年賀状を、今年は喪中はがきでひと足早く出した。過去はどうしたって取り繕えないけれど、何か別の形で、今だから出来る恩返しはないものかと、宛名を書く度思う。f:id:wabisuketubaki:20171129204356p:plain

あえて明るい服を着て

 昨日書いた「黒」のことで、あるバレエ教室のブログにぎくりとなった。
 生徒のレオタードについて『黒は締まって綺麗にみえちゃうとこあるので、できるだけ普段のお稽古は薄い色きて身体のラインをしっかり見せて下さいね!』
 …どうりで近頃、黒いセーターに袖を通してしまうわけだ(笑。
 これも昨日書いた父のこと。伯母に会えた4日前から思い巡らせている。
 私の知る父と、伯母(父の姉)が見ていた父と、ズレがあるのは当然だろう。父だけじゃない、誰にだって幾つもの面がある。ただ幼少期の父は両親に縁が薄く、幸福とは言い難く、それが父の印象を変えてしまっているとしたら悲しい事だ。私の知る父は、時には冗談もするが家で一人でお酒を飲み続けた。伯母は繰り返し「あの子は甘えん坊の寂しがり屋」だと言った。「小さい頃は明るくて無邪気だった」とも。
 一番驚いたのは祖母(父の母)のことだった。父からは”父を生んですぐに亡くなった”と聞いていた。しかしそれは”亡くなった”のではなく、曾祖母によって”子どもを置いて再婚させられた”のだった。それを1歳の父には”死んだ”ことにした。ところが、父が13歳の時、死んだ筈の母が数か月だけ帰ってきたという。
 祖母は、なんと私が19歳の時まで存命だったらしいが、父は一切関わることなく、”生きていた”ことは私に黙り通した。一体どんな心持ちだったのだろう。
 何とも言えないものに、伯母と会った翌日の私は塞がれ続け、到底分かる訳がないと諦めた。そして、強く、思った。それを夫に話した。
「人は立場によって様々に見てしまうし、見せたくない面を隠すのは当然だから、真の姿が見えないのは仕方がない、見ないことが優しさかもしれない。けれど、それでも私は良い事も悪い所も、”私が思う私”と”あなたが見ている私”が同じでありたい」

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黒は本当はこの世に存在しない

 おととい。ブラックフライデーとTVで何度も告げられ、ん?ブラックマンデーじゃなかったっけ??買い物に行くと店頭のポップにもこのロゴが踊っていて、知らないのは私だけかと慌てて調べた。”米国で毎年11月第4木曜日に催される感謝祭Thanksgiving Dayの翌日、第4金曜日を指す。このブラックフライデー以後本格的なクリスマスシーズンへ突入し、年末商戦が始まる。小売店が「黒字」になることから。” …ふうん、ハロウィンの次はこれ?いろいろ導入されるなぁ。
 ”世界恐慌を引き起こしたブラックマンデー(暗黒の月曜日)の「暗澹とした、光の見えない」とは大きく意味を異にする。” …なるほど真逆だ。
 「黒」は色の名だけれど、純粋な「黒」はこの世に存在しないという。いや確かめられない、というべきかも。まったく光のない状態が完全な「黒」であるとされているが、この状態ではなにも感じられない。「墨のように黒い」というような表現をするが、実際には、わずかの光を反射するものを「黒」といっている。
 かそけき光、暗闇は微妙な揺らぎでニュアンスを生む。大人には衣服などで好まれるが、子どもには敬遠されがち。
 白黒はっきりさせたい、と何かにつけ思う私はやはり、視野が狭いというか精神年齢が低かったのだろう。その意味で、この度、私は少し大人になれるかもしれない。
 父が亡くなって2か月が過ぎて、伯母(父の姉)が語ってくれた父の生い立ちだとか性格だとかは、私の知っている事と大きく小さくズレがある。正しくしたい、私の中の父を正確に修正したいと、土台に手をかけ、途中まで建て直したが、止めてしまった。無理だもの、確かめようがないんだもの。もう分からないままにしておこうと、初めて思った。真相は闇の中なんていうけれど、真実は在る。私には確かめられないだけで、確かに在る。だから、大丈夫。父は父。

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肉,玉葱,人参,じゃが芋とくれば

 ホームセンターのレジに並んだ。40歳前後の女性店員さんが私の差し出した籠の商品のバーコードをピッと読み取りながら「小鳥を飼ってるんですか?」と言った。
 ああ籠の中身で訊かれたんだ。ペットフードが数点だった。
「はい、インコを」
「うちももうすぐ鳥を買うんです、文鳥ですけど」
「わ~文鳥いいですね、私も子供の頃ずっと飼ってたのは文鳥なんですよ」
「私実は鳥を飼うの初めてで、ちゃんと世話が出来るか心配で」
 そんな話をしながら、バーコードを読み取られていく品を見ていて、少しきまり悪さを覚えた。小鳥の餌と、小動物用ドライフルーツ、そして猫缶。店員さんに”え、この人何を飼ってるの?”とか思われたんじゃないか、と。
 十年ほど前、燕を育てたことがあった。野鳥は本来飼育を禁止されているが事情あって預かった。餌は昆虫、生餌だが、毎日虫網を持って野山を巡るわけにもいかず(もしそうしても十分な量を確保するのは無理)、ミルワームを買って与えた。1、2センチのイモムシとでも言おうか。おが屑に埋めて詰めてあるプラカップが透明だから、よく見るとミルワームが蠢くのが分かる。レジの度、店員さんは手に取って一瞬固まっていた。外から見えないように紙袋にそっと入れてくれる人もいた。一度だけ、「これ、何の餌ですか?」と尋ねた人がいた。いや尋ねて”くれた”だ。気味の悪い買物客に言い訳のチャンスをくれた人。
 買い物は客のプライバシーの一部を如実に表す。店員さんがそれに言及するのはルール違反なのかもしれないが、心が揺れることもあるだろう。他人行儀が当たり前の関係の中で、思わず漏らしてしまう言葉。そこに店員さんのプライバシーも語られて。
 あの店員さんは文鳥を迎える喜びと不安に心躍らせていたのだろう。

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あなたを笑ませたくて

 ポインセチアやクリスマスソングが街を彩り始めた。さて。どうしよう。
 私たちは昭和な夫婦だからイベントに特に何もしない。ちょっとしたものを贈り合うくらい。なのだが。この”ちょっとしたもの”に年に2回、夫の誕生日とクリスマスとに私は打ちのめされる。
 夫の選ぶ贈り物は、手袋やハンドタオル、ルームソックス、文房具など、どれも柔らかな色合いや小さな刺繍、可愛いイラストといったチャーミングな品ばかり。なのに私ときたら、夫の喜ぶものを見つけられないのだ。品選びやラッピング演出などのセンスが元々ない上に、夫は好みのストライクゾーンが狭く、服や小物をすべて自分で選び、欲しいものがあると即買いしてしまう。つまり私は無くても困らないけれど、見ればにっこり出来る、意外な品を探さねばならないということ。いつもギリギリまでショッピングモールを右往左往。その最中で浮かび上がる言葉がある。
 ”与える者は幸いです”
 ギフトを、愛情を、貰うひとよりもあげることの出来る人のほうが幸せだと、夫と結婚して、つくづくと思い知った。今年こそ早めにとの意気込みも21回目になるが、いえいえ今年こそは。

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