”日にち薬”って関西弁なの?

 節目は節目、なのだなぁ。
 先週、舅の一周忌を行なった。夫と私、叔父夫婦だけという小規模なものだったのに、ひと月も前からそわそわと落ち着かず、済ませて一段落した気になっている。
 舅が暮らしていた家は一年間手つかずになっていた。台所のコンロ脇には舅が毎日使っていた小ぶりなフライパンと片手鍋、シンクには洗い上げられた普段使いのお茶碗、汁椀、取り皿に湯呑み。勝手口に置かれたハンガーラックには散歩用の上着とズボン、帽子が数着ずつ掛かったまま。
 それらを法事の前に夫と片付けた。衣類をどうしようかと問うと、夫が「もう捨ててもいいだろ」と言ったので、私は可燃ごみの袋を広げた。次々に詰めていきながら、「不思議だね」と夫に話しかけた。
「去年、お義父さんが亡くなったばっかりの時には踏ん切りがつかなかったのに、一年経つと処分できるんだねぇ」
「…そうだなぁ」
 時間の流れと共に前へ進んでいくのだなぁ、ひとは。

さくら桜サクラsakura…

 いよいよソメイヨシノも終わりだなぁ。
 近所の桜並木。私は素直じゃなくて、つくづくあまのじゃくで、満開の頃に人や車でひしめいているのを見てわざとそっぽを向いて迂回したりした。そして今、静けさの中の葉桜を見上げている。
 通りかかる私に、はらりはらりと薄桃色の花びらを投げかけてくれるのが嬉しくて、確かに盛りの華やぎや美しさはないが、これはこれでいいものだ。
 花をすっかり落とした木がほとんどだが、まだ沢山の花をつけた枝があったりして、まだまだ楽しませてくれるではないか。同じ並木、同じ生育環境の桜達なのに、木毎枝毎にずい分差がある。もしかしたら私が考える以上に、個体差というか、草花にも個性があるのかもしれない。咲き急ぐ木もあれば大器晩成の木もある。そのおかげで私は長い時間花を楽しませて貰えるのだと思った。
 その夜、帰宅した夫が、職場の生垣のつつじのことを話しだした。敷地を取り巻くつつじのうちの何本かだけが満開なのだという。そこだけ特に日当たりがいいとかいうことも一見なさそうで、他の多くの木はまだ蕾だし、なんでだろうねと首をかしげていた。
 ますます木の意思、個性というようなことを私は思った。個性はきっといいものだ。みんな違うから色々ずれが出て、バリエーションは無限に広がって。ましてや人はきっともっとそうだ。性格が合わなくてかみ合わなくてマイナスの感情を生んでしまうのはなぜだろう。本来それは楽しいものである筈だ。

怖いのに顔が笑ってた

 怖くて笑っちゃった。そんなこともあるのかと思った。
 昨日は月に一度の通院日だった。約10年前にリウマチを発症し、足指の変形進行が特に酷くて、6年前に右、2年前に左の親指が人工関節に変わっている。今は月に一度の特殊な注射と、週一でステロイドの飲み薬という治療。状態が落ち着いている時は一万ぽ歩いても平気だが、何かのきっかけでふいに膝が腫れあがったりする。両の手首は既にある程度破壊されていて、片手鍋に中身が入ると片手では持てないし、硬いペットボトルや瓶の蓋、重いドアのノブは回らない。そんな時少し切なくイラダツ。そんな日々を送っている。
 一週間か十日ほどになるか、右膝が酷く腫れて、左膝も痛くて、立ち座りに苦労していた。去年からの五十肩の痛みと相まって明け方は布団の中で唸っていた。で、昨日。注射を打って貰ったら楽になるわくらいに思ってクリニックに行った。
 診察室へ入ると、いつもは「具合はどうですか?」「長く歩いたあと数日晴れたりしますがまあ落ち着いていると思います」という会話程度で終わるのに、先生は私の顔を見るなり、
「ちょっとねぇ先月の血液検査の結果が良くないんや。”(注射の薬剤の名)”を続けててこの数値はちょっとまずいなぁ…」と珍しい顔をなさる。私のジーンズの上から膝関節を触診し、「うわ、これはイカンわ」。壁際の処置用ベッドに横になるよう指示された。腫れによって溜まった水を注射器で抜き、即効性のある薬剤を直接関節内に注入するのだ。「これでもうひと月だけ様子見て考えよう」 普段から強い薬や治療を嫌がっている私の我が儘も考慮して下さっての言葉だと思った。 
 このところ五十肩の痛みのほうに重きを置いていた私はなんだが呆気にとられ、処置ベッドから降りながら、既に机に向かってカルテを書いている先生に、
「先生に”良くない”と言われるとビビります」と心細さを漏らした。先生は、
「いやいや(病状進行を)コントロールする方法はナンボでもある」とニヒルな感じで振り返った。
 先生、カッコええ。頼もしい。実際、この先生はこの道でも有名な名医である。にもかかわらず私は数年前、身勝手な決断から2年間クリニックに行かず、薬剤治療を一切断ってエライ事になった過去がある。実はこの一年ほども、注射と併用して飲むべきステロイドを内緒で飲んでいなかったのだが、そのせいかも…。ごめんなさい先生。昨日から慌てて服薬再開したことは言うまでもない。
 さて診察が終わり、会計を待っている時、私の後に診察室へ入った患者さんが出てきた。私より小柄で背が少し曲がったお婆さんである。70代か80を過ぎているかも。杖代わりの小さなカートを押しながら出てきた。その背中へ、ベテラン婦長さんが「すぐに電話して。いいから。ここでいいからすぐに」と声をかける。空いてはいたが院内の待合である。
 まもなくお婆さんのか細い声が聞くともなく聞こえてきた。「あああの私やけどな、今日これからすぐに入院せなアカンのやて。…うん、…そいでな、うん…腫れとったやろ? あれなぁ、膝の人工関節になぁ、菌が入ってるんやて。…うん…うん…ほいでな、切断せなアカンねんて」
 ええええええええええええええええ~~~~~~~~~~~っっっっっっ
 その時会計から名を呼ばれ、私は逃げるようにその場を立った。
 支払いをしてクリニックの扉を出た私は、声に出るか出ないかの独り言で「怖すぎるやん」と呟き、なぜか顔が笑ってしまっていたのだった。
 駅へ引き返す道、ずっと考えてしまう。いきなりそんなことを宣告されたら……。突然の入院、足の切断を電話で聞いた家族はどんなに驚いた事か。お婆さんは。リウマチの患者さんは長患いである。ずっと痛みや不自由を堪え、だましだまし暮らしてきて、80前後にもなって片足を切断と言われても事態が呑み込めていないんじゃないだろうか。そんなことがあるのか。人工関節内に菌が入る? ちょっと待て待て、私も両足親指がそうなんだけど、私にも起こる可能性有なの!?
 ひええ~~~~、ひええ~~~、としばらく恐ろしく、そしてその間やはり顔は笑っているのだった。
 本当に怖い時、人は笑ってしまう、ということもあるのだろうか。それとも私だけ?

自分の存在意義を問う

 決してノロケなどではなく、ウシロメタくてこれを書いている。
 バレンタインに私は市販のマカダミアチョコを買っただけ。珍しくも高くもない、けれど何度か買ったことがあり、夫が好むと分かっているもの。手作りは気を遣わせるし、チョコケーキとかだと、夫の帰りが遅くて夕食が22時過ぎたりしたら胃もたれしてしまうから(今年50歳の夫婦)。プレゼントも考えるけれど、夫は身に付ける物、趣味の物一切を自分で選び、欲しいと思ったらその日のうちにネットでポチるから、私の付け入る隙が残っていない。結婚22年、特にこの数年は手詰まりを感じている。
 ホワイトデーに夫は小ぶりながらホールのチーズケーキを提げて帰宅した。私の好きな洋菓子店の。「え~っ私はマカダミアチョコしかあげてないのにぃ」と気まずく言い訳をする私に、夫は更にもう一つ、これも高級洋菓子店の紙袋を差し出す。クッキー6枚が可愛いカップに入ったギフト。私はクッキーが大好きなのだ。
「そのカップさ、ラインの赤いのと青いのがあって、迷ったけど、青のほうが可愛いと思ったんだ。早速これでコーヒーを飲んでみなよ」と夫は瞳を輝かせる。勿論カップは可愛いが、それでは済まない、実はこの店のクッキーが滅茶苦茶美味しく、1枚200円近いことを知っている私は縮み上がる。
 嬉しいを通り越してひえ~となるも、ここは腹をくくって夕食後に美味しい美味しいとケーキを食べて、さて翌日、後ろめたさのあまり生まれて初めて私は『海老で鯛を釣る』という言葉を辞書で調べた。
 話はそれるが、調べながら新たな疑問も。海老だって高級食材よね。
 その後一週間、毎日1枚ずつクッキーを食べた。口の中でほどけるクッキーはもうほんとに美味しくて二重に打ちのめされながら。
 前々回書いた通り、この頃私は自分のダメ妻加減に凹んでいる。
 あらためて見直すと、洗面所に掛けているバスタオル。夫のを手が届きやすい手前に掛けておいても、私のお風呂上りには私のが手前に来ている。もしやとバスマットの真ん中を踏むと、乾いている。端を踏むと湿っている。
 今までもずっとこうだった夫と、どんどん思いを酌めなくなる妻。そんな夫婦になっている気がして、夫婦はバランスだと常々思っているから、余計に恐ろしくなる。

日を送る

 なんということのない日々の中にも細々といろんなことが散りばめられている。
 夫の父が昨年亡くなり、留守宅になっている夫の実家へ、今日は出掛けた。ガス警報器ピコピコの取り外しに立ち会う為に。
 スクーターで20分の道中に抜ける、市の南北を貫く山中のトンネルは3キロ弱と長い。この時期のトンネルの中は排ガスに澱んでいるが、暖かい。バイクだからこそ感じること。
 トンネルを出て、ワインディングの冷気を分けて下り、実家のある住宅街へ滑り込む。夫とは中学の同級生であるから、ここは私が育った町でもある。
 対向車線側の歩道にいた黒のスーツ姿の女性が、誰かに手を振った。私の進行方向だったので私も目を凝らすと、やはり黒スーツの胸元にコサージュを飾った女性がいて、すれ違いざま見た顔はかつての同級生だった。思わず「あ、Hさん」とヘルメットの中で呟いた。地元中学校の卒業式らしかった。そうかHさんのお子さんが卒業か。子を育む、堅実な歩みが眩しい。

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 冬の間は寒くて実家からスクーターの足が遠のいていた。無沙汰を気まずく思いながら「ただいま~」と入っていくと、義父の遺影が二カッと笑って迎えてくれた。「おうやっと来てくれたか」てな感じかな。
 罪滅ぼしに蝋燭とお線香をじゃんじゃん焚いた。間もなく業者さんも来られ、ピコピコはあっという間に回収された。インスタントコーヒーを淹れたら思いがけず香りが良くて、義父の次に味わった。明るい日差しが心地いい。ねえお義父さん、お義母さん、このお家どうしようか。また来るねと仏壇に手を振って玄関の鍵をかけた。
 帰り道は、かつて住んだ社宅の傍を通る。今の家に引っ越す前、結婚して13年住んだ鉄筋コンクリート5階建ての社宅が、先月取り壊されたことは聞いていた。更地になっていた。夫と過ごした13年も穏やかに均されていた。記憶はなくならない、大切に仕舞われていく。
 なんということのない今日も、私の人生のかけがえのない1ページになっていく。