夫婦を漢字一文字で表すと

 ”いい夫婦の日”を前に保険会社のアンケート結果が紹介されていた。

 トップは「忍」、ついで「楽」「和」「愛」「幸」。

 六位に「無」が入っていたりするのは、いわゆる”空気みたいな関係”ということか。これは良い意味と悪い意味のどちらにも捉えられると思う。私は夫にとって空気のようでありたい。当たり前にそこにあって、なくてはならない存在として。でもでもなかなかそこまでは到達できなくて、しょっちゅう落ち込む。来年は25年、銀婚式なんだけど、なぁ・・・。

 私が思い浮かべた漢字一文字は「同」だった。

 仕事以外はたいてい一緒に行動する。子どもがいないままここまで来たから関係は結婚当初とそれほど変わっていないのではないかな。

 中学の同級生と言うこともあるかな。そう言うと、「ええっ、中学時代から付き合ってるの?」とよく訊かれる。答えはNO。確かに中学生の頃も仲は良かったし、私は夫に片思いをしていた。が、付き合いは大学四回生からだ。

 同級生というのは話が通じやすくて便利である。同じタイミングで時代を過ごしているから、見ていたTV、懐かしのCMソング、記憶に残る事件、時代の空気も共感できる。同じ町で育ち、何より中学校の担任だった先生方のことや、部活動まで一緒だったから話が早い。結婚以前に共有している思い出が沢山あるのだ。

 性格は正反対だけれど、そんな二人が二人きりで一つ屋根の下で衣食住を共にしているから、例えばTVを見ていて、どちらかが何か感想を述べると、「今まったくおんなじこと考えてた」「それ今言おうと思ってた」の連続だ。

 夫は一人っ子、私は弟とは疎遠がち、互いの両親も亡くなってしまって、益々”ふたりぼっち”の感がある。

 喧嘩というか苛立ってキツイ言葉を投げ合うことはたまにあるけど、ほぼ穏やかな暮らし。ふと、あまりに”家族”になり過ぎているかしらと気になってくる。

夕暮れて駅までスクーターで迎えに行き、帰りは後ろのシートから夫の肩越しに、

「ねえ、私たちってきょうだいみたいだね」

と振ってみた。

 すると夫はすぐさま、

「きょうだいではない」

生まれた時から自動的に決められた絆と違い、血の繋がりを越えて結びついている、だから、

「夫婦は家族より絆が深いと俺は思う」

と言った。じんとなった。

 ただそれは、家族は嫌でも切れないけれど夫婦の繋がりは切れる、ということ。夫は共に生きていることに疑問を持ったりしていないようだが、私は時々心配になる。これでよかったんだろうか、夫は私で良かったんだろうかと、五十を過ぎて考える。

「あのさ、男の人は年をとっても若いお嫁さんを貰ったり出来るから、ほらドリフの加藤ちゃんみたいに、だから考え直したくなったら自分に正直に生きてよ」

 言って、叱られる。でも、本音だ。そりゃあ夫に他に好きな人が出来たら滅茶苦茶ショックだと思う。覚悟しておかねばと常々自分に言い聞かせている。私は夫を、夫として好きであると同時に夫という人間が大事だ。夫が幸せならそれでいいと中学生の頃にも思ったし、今も、最後は納得できる自信がある。

 ついこのあいだ思ったことがある。私がブログで綴る日常は、夫のことを書いても書かなくてもすべて夫への、ラブレターなんだと。恥ずかしげもなくまぁ(笑