ゆさとのお別れ 3

 昼間は家事や自分のしたいことをしながら、ゆさが倒れていないか確認した。自分でえさが食べられないこともあり、長時間留守には出来なかったが、スーパーへ買い物には出かけた。ゆさに与える青菜の仕入れも重要だった。
 好んで口にしたのは、水菜や小松菜、キャベツ、ごくたまに手に入れば大根葉やブロッコリーに僅かに付いている葉っぱ。食べるものは割と限られていて、どんなに大好物だろうと、同じものが続くと飽きる(笑。主に安定して手に入る小松菜と水菜を交互に与えた。青々とした緑の葉の部分をゆさにあげるから、茎ばかり残るのを夕食に供する。炒めたり、煮たり・・・茎だけだとシャコシャコと意外に硬さを感じたが、夫も私もゆさの為なら何でもないことだった。
 食欲のあるうちは大丈夫、食べなくなったら終わり。そう思っていたから、何かの具合でゆさが食べないと、とたんに私は塩をかけられたナメクジのようにへなへなオロオロとなった。
 ありがたいことに、ゆさは動けなくなってからも食欲はあって、とにかく食べてくれていればひと安心。ただ、徐々に徐々に食べる量が減ってきているのを認めざるをえなかった。食べ方も、少し前までは大きい葉っぱをそのまま何枚もわしわしと齧って平らげていたのが、勢いが減り、葉脈に手こずりだし、小さくちぎってやらなければならなくなった。人参も、厚い輪切りに噛り付いていたのが、薄いスライスになり、そのスライスを千切りにしないといけなくなった。
 動けないから筋肉が落ち、摂取エネルギーも減り、ゆさの体は骨ばって痩せていた。そのか弱くなった体を持ち上げる時、私は痛々しさと同時に愛しさを感じた。ぬいぐるみのように、いやぬいぐるみよりももっとずっと愛くるしい存在。

 回復が見込めなくても、このままでもいい、居て欲しい、もうしばらく居てくれそうだ。この頼りないながら、柔らかで優しい生き物の呼吸が、鼓動が止まるなんて、考えられない。たとえ意識がなくなっても、心臓が動いていてくれさえすればいい。私は、これまで末期の延命治療について、自分も家族にも無意味だと考えてきたが、生まれて初めて、延命治療を望む家族の気持ちが分かった。どうしても、ゆさにこの世に居続けて欲しかった。