<私の浄心行-5>

<只今セルフ心理療法中です、読むと重たいと思うので遠慮なくスルーして下さいね>

 

 ようやく迎えた結婚式の日、高砂席で私はずっと笑っていた。
 披露宴の後に二次会の予定はなかったが、夫の同期7人と居酒屋さんで入社当時の思い出話で大いに盛り上がり、店を出たのは午後11時。繁華街を背に夫とぶらぶら歩き始めて気がついた。
「ね、もう別々の家へ帰らなくてもいいんだね」「そうやな」
「何時に帰っても誰からも遅いって怒られないんだね」「そうやな」
 夫に迷惑を掛けながら新しい生活が始まり、もう大丈夫だ、と思った。が、違った。
 その頃、父は庭木の剪定の仕事を一人でしていた。職転々の末に好きな仕事を見つけた、一人で出来るから気楽だと喜んでいたが、まもなく膝の痛みが出て仕事を休んだり、お客さんの物言いが気に入らなかったと相変わらず途中で投げてしまったりと、結局不安定だった。
 実家へ様子を見に行ってそんな父を見ると不安に駆られる。見たくないからと電話を掛けると、父は居留守を使って出ない。やがて珍しく父から電話を寄越したと思ったら「金を貸してくれ」という。あ、となった。来た、と思った。
 話を聞くと、父は生活費が足らず、サラ金でお金を借りたという。借りたのは5万円だが、週に1割を返さねばならず、2週目にして回らなくなった。このままでは利子がふくれて…恐ろしくなって私へ泣きついたようだ。
 夫は何にも言わないどころか快くお金を出してくれ、「今後も父へ幾らでも持って行ってあげて。ただサラ金だけは止めて貰わないとな」、私に父の様子を見守るようにと言った。
 こんな調子が数年続いたが、30代夫婦の家計にも限界がある。父は職転々のせいで年金が出ない。腰の引けた私を夫は励ましながら公的援助の手続きをした。
 すると今度は別の問題が。父に軽い認知症が出始めた。まもなく家の中で転倒骨折し入院。もう一人暮らしはさせられないと施設探しが始まる。なんとか入所先が決まるも、時々父は同じ施設利用者と問題を起こし、私に連絡が入る。私は携帯に父の入所先からの着信がある度、身も心も竦んだ。
 ……どこまでいっても不安は付きまとう。
 そして結婚して父と距離が出来るにつれて、自分の生い立ちを顧みるようになった。一つまた一つと立ち上がってくる。それらは当時も困った事ではあったけれど毅然としていられ、時に幸福でさえあったのに、今思い起こすそれらは辛い思い出に変わっていってしまうのだ。
 例えば・・・小学4年生。家には失業中の父がいた。食べるものもあまりなく父はお腹を空かせているだろう。給食のコッペパンを私はわざと残して持って帰り、3時のお八つだよと、パンを半分こしてトーストし、温かい日本茶をいれて。おいしいねと顔を見合わせて食べた。私と父の特別な、幸せな記憶だった筈なのに、今はみじめなものになってしまっている。そのことがまた悲しい。
 小学5年。勉強したいのにノートが買えなかった。メモ用紙に書き込んでいたら、先生に「ノートを使いなさい」と言われた。