それだけを

 揺れ始めた時、夫と私は洗面所にいた。6/18、7:58。

 夫は休みで、腕時計のベルトが余りに汚れているからと、分解して洗浄液につけたが、その液をこぼした。私は呼ばれて、ティッシュを持って行った。

 屈んだ夫との距離1メートル強。まず震度2くらいの揺れ。顔を見合わせる。くるか、くるのか…?!

 23年前の阪神淡路大震災の時も私達は一緒にいた。震度3程度の揺れに続いてかつて経験したこともない、家ごとシェイクされているような揺れと地鳴り。早く止まらないと家が壊れる、と夫は思ったらしい。私は天井が崩れて来るかどうかを見上げていた。

 大きい地震は2段階に強いのが来る。果たして今回も揺れが大きくなった。

 どこまで強くなる? この古い家はもちこたえる? 下敷きになって死ぬの? 刹那にこんな事を考えて、成り行きを見守るだけで立ち尽くしていた。動けなかったのか、動こうとしなかったのかは自分でも分らない。恐怖と諦め、どちらが勝っていたろうか。

 視界の中の夫は、強い揺れに変わった瞬間、私へと手を伸ばした。届かなかったし、私には歩み寄る余裕がなかったが、その手は私へ向けられていた。

 震度4で済んだ。家の中で倒れたものもなく、安堵して、地震は久しぶりだねと言い合い、TVをつけた。震源に近い町は相当の被害が出ていた。

f:id:wabisuketubaki:20180620135730j:plain 2時間後に、スクーターで夫の職場を見に出かけると、私達の町は何一つ壊れていなくて変わりない筈なのに、車で溢れていた。どの道路も、普段空いてる道も車が数珠つなぎ。そうか、JR、私鉄、電車がすべて止まっているからだ。震災という二文字が今更に浮かんだ。

 その後は家にいて、TVから刻々と伝えられる被害に、ええっとかうわぁとか漏らしながらどこか現実味がなくて、頭の中では、夫は確かに手を伸ばしてくれていたよねと、記憶の場面を繰り返し再生させていた。