いきものじかん #4 コ離れシッパイ

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 (♯3の続き) 子供の頃に拾った燕の雛は餌を食べてくれず死なせてしまいましたし、そんなものだと諦めていましたから、今回は有り難かったのですが、こんなにも長く飼育することは未知の領域です。

 来年野生に返せなかったらどうなるのだろう…。ネットを検索すると、巣立ちまで餌を与えた記録ばかり。その後も共に暮らしている方のホームページが1つ見つかり、食い入るように読みましたが、更新は3年目以降止まっています。そもそも燕の寿命ってどれくらいなのか。

 秋には一応大人になった燕。その体は私が知る文鳥やインコ、雀ともまるで違いました。とにかく軽い。細い体と体長の倍以上長い翼。申し訳程度の足。体中の骨が細い。渡りを可能にする徹底した軽量化ボディです。

 飛べるようになると、部屋の上空をぐるぐる何周でも旋回し、長押やカーテンレールなど高い所へ止まる。当時住んでいた2DKの、茶の間と台所を行き来する時のスピードと身の翻し方はまさに”燕”です。

 その華麗な飛びの途中で落し物をするので、部屋の壁や襖は、拭いても追っつかずエライ事になっていました。

 フンといえば、飛べないうちは可愛かったです。巣代わりの箱の隅に蹲った燕がつと立ち上がり、お尻を突き出し、後ろ向きにととと…と箱の反対側へ突進し、プチュッと出し、また元の場所へ戻ります。雛は巣をきれいに保つ本能を備えているんですね。

 気性も、ペットの小鳥とは全く違っていました。華奢な体で我が強い。餌の時には箱の縁にとまり、ピンセットで差し出す餌を飲み込む。出しっ放しは事故の元だから鳥カゴに入れようとすると、逃げる逃げる(笑、捕まえられないのです。夜眠る時は追いかけてでも籠に入れましたが毎晩ひと仕事でした。

 そんなわけで昼間は放していました。長押にいたり、私の肩にきたり。私が用があって、燕を茶の間に残し、台所へ立つと、私を追いかけて来ました。茶の間と台所を行ったり来たり飛びながら横目で私の姿を見る。そのくせ手を出しても避ける。

 茶の間、台所から続きに玄関があって、私達が出かける時は追いかけて玄関の手前まで飛んできます。帰宅し、玄関へ入ると私達をかすめるように燕が飛んできて出迎えてくれました。そのくせ「つかまらないよ~」とばかり逃げる。

 一途でツンデレの甘ったれ、奔放に暮らしていました。

 だから、そんなふうに冬を越し、翌年3月に迷子インコを引き取った時、自分よりでっぷりした鳥に威嚇され、燕はいつも行かない台所の隅っこでシュンといじけ、私が「おいで」と迎えに行くと、その時ばかりはしおしおと掌へ乗ってきました。あの時は可笑しかったな。今も夫との笑い話です。


 桜の花が終わる頃、外で燕を見かけるようになりました。我が家は団地の5階、窓からは青空を滑るように横切ったり、電線にとまるのが見える度、うちの燕はじっと見ていました。この子の同級生たちは子育てを初めようとしている筈。さあ今年は野生に還してやりたい、餌のトレーニングをどう進めたらいいか、いや案外本能が発露するかも、でもこんなに甘ったれにしてしまって…。

 そして燕を引き取ってから1年を迎えた6月のあの日。

 午後から私は仕事の打合せに出掛けました、いつも通り玄関手前まで燕に見送られて。その帰りの16時頃、たまたま早く帰宅した夫からのメールを電車の中で受けました。燕がいないというものです。普段なら玄関まで飛んで来る筈が来ない、家中探してるけど見当たらない、と。

 逸る心でバスに乗り換え、小走りに家を目指し、夫が探し尽した家を一緒に見回しましたが、いません。出てしまったとしか考えられません、近頃は窓の外を気にしていましたから。ではどこから? 少し開けた窓には網戸が嵌めてありましたが、よく見ると端が一部外れていて小鳥なら押して出られそうですが、そんなところをくぐるだろうか。あと一箇所は、お風呂場の窓です。台所に面した扉を換気のために開けてありましたが、風呂の窓は内倒し式で開いているように見えないのです。可能性としてはこの2か所ですが、これまで燕が近付いたこともなく、考えにくいのです。

 いやしかしやはり。だとしたら。仲間の姿を追いかけて一緒に行った…それなら喜ばしいけど、餌はどうするだろう、仲間を見、本能で捕れるように…そんな簡単にいくだろうか…飛び出したものの、初めての世界に驚いて身が竦んで、近所の電線で途方に暮れているのでは…。窓の外にはちょうど燕が3羽止まっています。私はサンダルをひっかけて外へ行きました。電線を見上げ、どれがうちの子だろうかと目を凝らすのですが、分かりません。うちの子なら、私が呼ぶと返事をします。私は電線めがけて叫びました。何度も呼びました。しかし返事はありません。ここにはいないのか。近所になんと思われてもかまわない、声の届くところにいたら、と呼びつづけましたが、空は真っ暗になって、いつしか電線にいた燕も姿を消していました。

 あの子がどんなに心細い思いをしているだろう、お腹を空かせているのではないか、私を呼んでいるのではないか、そう思えて、泣けて泣けて、涙が止まりません。家出や行方不明の子どもを案じる親はこんな気持ちでしょう。翌日も外で電線の燕に呼びかけました。人に慣れているからお腹が空いて誰かの肩に降りて、一年前みたいに警察に届けられていないかと、夫が近隣の3つの署に問い合わせてくれました。

 3日間泣き続けていましたが、3日目の夜に、夫が「もう泣いたらアカン」と言いました。それで、私は泣くのをやめました。

 呼びつづけた燕の名前は「ツィ」でした。いつか野生に還す生き物に名前を付けるのはどうかと迷いながら、自然にそう呼んでしまっていました。性別なんて分からなかったけれど、私は勝手にオスだと思っていました。

 ツィがいなくなってから数年間は、燕の姿を見ると愛しさと同時に苦々しいというか胸が苦しくなりました。せめてツィが生きているのか死んでしまったのか知りたいとそればかり思っていました。が、今は憧れのような愛しさばかりです。今年も燕たちはせっせと巣で待つ雛に餌を運んでいます。変わらぬ営みが行われています。             元気にしてる?  f:id:wabisuketubaki:20180606110645j:plain