春の空に吸われし四十九の心

 春はいいね。夏秋冬もそれぞれ好いけど、春は特別だと思う。
 私は出不精で外出しても買い物なり用が済めばさっさと帰るのだけれど、今日はぶらぶら歩きたかった。駅前の郵便局で荷物を送った後、商店街とは反対のほう、静かな住宅街へゆっくりと入っていった。
 初めて歩く界隈。空中には柔らかい眩しさが漲っている。ゆったり広い街路を進んでいくと、この街路が分断する形で、両側へ伸びる公園があった。桜の大木が何本もあって、古い大きな石碑が立っていて、足元を草花が埋め尽くしている。小さなブランコがあった。ずんずんと立ち入り、ブランコに腰掛けた。何年ぶりか。大好きだったのだ、ブランコが。
 子ども用の幅の狭い座面はお尻にゴリゴリ痛い。釣りチェーンを両腕に抱えて掴む。よし。昔取った杵柄と言うほどではないが、足と体を使って、どんどん漕いでみた。子供の頃はよくこうやって高く揺らした。このブランコは最高だ、目の前に大きな満開の桜の木があるのだもの。
 いい年の女がブランコなんて気味悪がられるだろうかと少し考えたが、幸い誰も歩いてこない。もし見られても、この桜とこの陽気だもの、大目に見て貰えるような気がした。
 ひとしきり漕いで気が済んで、ああそうだった、止まるのに足を地面に擦ってブレーキを掛けると靴が砂埃にまみれてしまう。こういうところは大人になっちゃってて嫌だなぁ。振れが収まるのを待ちながら、思い出していた。
 まだ3、4歳頃から本当にブランコが好きな子で、一度落ちて鼻血と涙を流しながら公園から家まで帰り、泣き止むとまた公園でブランコに乗ったほどだ。
 その落ちた一度は、これはおぼろな記憶だが、私は手を放したのだ。風の中を前へ後ろへ、低く高く揺らしていて、ふわりとあんまり気持ち良くて、そのまま空気の中へ飛び込みたくなって、手を放してしまったのだ。
 揺れが止まった後も腰かけたまま、青空をバックに枝を広げる桜を眺め、途中で少しだけ文庫本を開き、小一時間程そうしていた。
 ブランコから立ち上がる時、こんなことを考えたのは初めてだが、なぜだか今日の桜は、若くして亡くなった母の分のお花見だったように思えた。
 冬の寒さが穏やかになってくると物凄く待ち遠しいのに、開いた途端、あと一週間か十日かと気が気でなくなる。何と狂おしい花だろうか。