私のお父さん (1

 白黒はっきりつけたいタチだった。真実にしか価値はないと考えるタイプだった。けれど、美しいグレーがあることや、何が本当かなんてどうでもいい場合があることを、肯定し始めた。
 これが年の功なら老いもいいものだ。心がくったりと柔らかく楽ちんだもの。
 父は、どんなひとだったのかと、亡くなってから半年、ますます分からなくなっていくのだ。だからといってそれは不快ではなく、頭の横っちょに常にぼんやりと漂わせている父を、何かのついでに眺めてみる。
 自らの生い立ちを偽り通していた父。ならば、その人生も偽りかと思いかけると、幼い私に接してくれた父の膨大な記憶が、温度を持って立ち上がってくる。誰にも否定できない確かなものだ。
 少しずつでも整理しておきたいと思う、私の知っている、父というひとを。

 厳しくて、神経質で、気難しい性格。なのに妙に茶目っ気と言うかイタズラ好きなところがあって、子どもをからかうのが好きだった。手先が器用で何でも出来たから、妻に先立たれても家事に困ることは無かった。
 料理は母より上手いと言っていた。夜の10時に小腹がすいたと言って、突然米を研いで鍋で炊き、寿司酢を調合し、自分が作った沢庵を刻み、海苔をあぶり、巻き簾を取り出し、新香巻きをこしらえてしまう。
 裁縫だって、ズボンの丈上げから、私のスカートのウエストサイズの直しまで、ミシンをだだっとと走らせる。
 何でもできるけれど、どうにも面倒くさいといつも言っていた。
 機械いじりも得意。息子に野球を、私に卓球を教えられる程度にスポーツも出来た。
 …出て来るわ出て来るわ、キリがないぞ、今日はここまで。